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第4部 火の鎖、虹の釼  作者: 沙魚川 出海
火の鎖、虹の釼
11/20

【イーリス】(四)

自由=不羇

束縛=桎梏

「清火をどうするつもりですか」

 沙汀渚。

 私と清火に親しくしてくれた人。私と清火に優しくしてくれた人。

 もしかしたら、いつか友人と呼べたかもしれない――もしかしたら、既に友人だったのかもしれない童顔の女性に、私は言った。

「決まっているじゃないですか。返してもらうんです。あの日――あの子に奪われたものを」

「あの日……? 清火が――貴女に何をしたんですか」

 慈愛に満ちた女神に見守られながら、彼女は薄く笑う。

「アンドロギュノス――いいですよね、貴女達は。神格と人格、神性と人性、それらを併せ持った半神半人。貴女達は神に愛され、永遠を手に入れた。どこまでも続く時間――貴女達二人は、いつまでも続く幸せにありつける」

「そんなことは――」

「わたしが貴女の立場なら、さっさと清火君を連れてあんなところから逃げ出すのに。貴女は甘いんです、イーリスさん。いつまでも変わらない日々があると思っているから、現状を変えようともせず、二人でままごとを続けているんでしょう? 結局――人でない貴女達に、人の気持ちなんてわからない。貴女達は人間じゃないんです」

 沙汀さんは講壇から降り、出口へ向かって歩いてゆく。いつの間にかあの黒衣の姿がなかった。

 面白いものを見せてあげます――振り返ることなく、彼女は礼拝堂を出た。剣を鞘に収め、私はただ黙って彼女のあとを追うしかなかった。

 口を開けた暗闇が、私達を地下へと誘う。

 階段を下りたそこは、何かの研究施設のようだった。広い部屋に長方形の台が等間隔に並び、壁際にはメーターがついた筐体がいくつも置かれている。天井にも足下にも無数の管やコードが蠢き、薄暗い照明のせいか異様な雰囲気を漂わせていた。

 最奥部にあの黒衣の男がいた。相変わらず手にしているのは、黒い布に包まれた棒状のもの――しかしそれよりも、奥に存在していた物体に私は目を疑った。

 ゆらゆらと揺れる灯燭に囲まれ、石の台座がつくられてある。その台座に祀られているものは、淡い光を放ち、薄暗い地下の部屋を静かに照らしていた。

 光を発しているのは、一メートルほどはある――大きなカルディア。

 柱だ。

 台座の上に固定され、一本の太い管が突き刺されている――神の臓器。

 角度によって様々な色に見える、角張った縦長の石。あの物体は〈柱〉――イアカスには〈天柱(てんちゅう)〉と呼ばれていた。莫大なエネルギーを放出し続け、恐ろしい動力を秘めた結晶。祭儀にも用いられ、聖堂にはあれよりも数倍大きいものが祀られている。

「――やはり、僕の彼女は君だけだ……」

 口元を歪める黒衣の、視線の先――柱から伸びる管が枝分かれし、その一本が透明な液体で満たされた丸い機械に繋がっている。その中で眠っていたものに――私は息を呑んだ。

 真っ白な裸体。水の中で揺蕩う白い長髪。皮膚に何本もの管を刺され、上部から伸びた太いパイプが首筋に繋がっていた。

 あまりの気味悪さに吐き気がする。

 想像したくなかったが、これは――

「そっくりですよね。貴女のことを思って造り上げた彼の作品です」

「…………」

 手遅れだ、と思った。

 話し合えばまだどうにかなると思っていた。事情を聞けば納得できるかもしれないと思っていた。

 けれど手遅れだった。

 もう何かが欠けているのだ――この男も、沙汀さんも。

 自然と、剣を握る手に力が籠もる。

「さあ――ゼフテラ。君は一人で十分だ。ニセモノは壊さないといけない」

 虚ろな表情、空ろな声色で、黒衣が機械を操作した。胎水が排出され、胎内から『ゼフテラ』が一糸纏わぬ姿を覗かせる。

 ぱちり。

 大きく瞼を開いた彼女は、碧い瞳を爛々と輝かせ、「はい、サーヴァ様」と抑揚のない声と共に動き出した。その双眸に――標的の姿を映しながら。

 最初に浮かんだ感想は、ゼフテラとやらはこの男を様づけで呼んでいたのか、ということだった。想像しただけでとてつもない嫌悪感が襲ってきた。その次に、どうやってこの『ゼフテラ』を造ったのだろうという疑問が浮かんだ。おそらく元となった体があったはずだ。亡くなったイアカスを利用し、柱とカルディアをなんらかの方法で連結させ蘇生させたのだろうか。そして、あの男の望む容姿や性格に造り替えた……?

 仮にそうだとしたら、天枢院の支援があるとは考えにくい。イアカスの遺体をこんな形で利用し、あまつさえ神聖な柱を個人の野望のために使用するなど、天枢院が許すとは思えないからだ。

 これはこの男の独断。

『ゼフテラ』への執念だ。

 裸身の女が、私とよく似た――本当によく似た顔で、「ニセモノは排除します」と言った。声は似ているかどうかよくわからなかった。

 女の体が淡い光に包まれる。輝きを纏った『ゼフテラ』が、裸身を思いきり撓らせ突っ込んできた。

「くっ――」

 巨大な鉄球が激突したような衝撃。吹き飛ばされた私は床を何メートルも転がった。骨が軋み、肺から息が漏れる。「ちょっと! ここで暴れないでよ!」という叫び声が聞こえた。顔を上げる。白い髪を振り乱し、飛びかかってくる『ゼフテラ』。飛び起きて後方へ退くと、空振りした彼女の拳が実験台を抉り砕いた。

 凄まじい膂力、そして異能。柱の影響か実験の成果か――彼女から感じる力は並のソティラス以上だ。イアカスの力の源は、その身に内包するカルディア。カルディアを通じ、母神デメテルから力を受け取ることで、彼等は強大な異能を行使できるのだという。この女は、カルディアの力を存分に引き出し操っていた。

 床を削り、管を引きちぎり、台を壊し、壁を穿つ。沙汀さんがまだ何か叫んでいる。相手の攻撃を避けながら、私は『ゼフテラ』の肢体を観察した。皮膚に刺された管の痕。パイプが繋がれていた、首の後ろに開いた痛々しい穴。同じ髪の色――違う瞳の色。

 深く息を吸い、集中力を高める。胸の中心――カルディアに全血液を注ぎ込むイメージ。そして、集めた血液をもう一度全身に向かって解き放つ感覚。

 私の体から溢れた菖蒲色の光が、環となって拡がってゆく。

「か、は……ッ」

 光に呑み込まれた彼女の、動きが止まる。剣を使う気など頭にない。そっと彼女の腕を取ると、その手はとても冷たかった。

 光が輝きを強める。

 赤――彼女は恐怖も驚愕もしていなかった。

 橙――彼女は歓喜も悲哀も覗かせなかった。

 黄――私は彼女の胸に手を触れた。

 緑――私は彼女の心を直に感じた。

 青――からっぽだった。

 藍――私といっしょだ。

 紫。

 瞬きの間――紫へ至る、刹那の虹色の光。

 精神と身体の狭間に架かる橋を断たれた『ゼフテラ』は――もう一人の私は、眠るように目を閉じ、ゆっくりとくずおれた。

 溟海法(めいかいほう)

 イアカスとは根本的に異なる、ニンゲンにのみ振るうことの許された大いなる可能性。

 私がこの力を扱えるのは、この胸にある旧きカルディアの影響である。聖遺物がもたらした神性は、幸か不幸か人間でなかった私にも、天に届く光を分け与えたのだ。

 人間は遥か昔、この力を一度失った。永い年月をかけ輝きを取り戻してきた光を、かつては超能力・超自然力などと呼んでいたそうだが、さらに神性を高めた光のことを――溟い海を游ぎ、眩い光を灯す力のことを、人は異能力――〈溟海法〉、ないし〈不羇(ふき)術法(じゅつほう)〉などと名づけていた。

「ゼ、ゼフテラアアアアーーーーッ!」

 絶叫が地下に響いた。彼女の創造主たる男が、よろめきながらこちらへ近づいてくる。沙汀さんが溜め息を吐いて首を振った。

「イーリスさんの力のことは教えたはずなのに」

「おおおお、そんな力、ゼフテラは使わないっ! それにその目、その瞳の色っ! やはり貴様はゼフテラではなああああいィッ! このニセモノめええええぇっ! 殺してくれる! 貴様を殺してなお余りあるこの激情、火山の如しっ!」

 黒衣の男が声を張り上げた。その身からただならぬ気配を漂わせ、狂った気勢を上げながら。

「ふははははっ……! 待っていろゼフテラ、天柱さえあれば――君は何度でも甦るのさあっ!」

 剥き出しとなった狂気と、曝け出された兇器。布の下に隠されていたのは飾り気のない長大な槍だった。

 黒衣の碧い瞳が鈍く光る。もはや私を殺すことしか頭にないのか、その双眸からは敵意以外の何も読み取れない。

 そして。

 目が合った瞬間――戦慄が走った。

 この十余年、私が相対した者の中で間違いなく最強の遣い手。対峙しただけで、私との圧倒的な実力差が感じ取れてしまった。

「うふふ……ニセモノは壊してやる――跡形もなくっ!」

 緑がかった黒色の光が、黒衣から溢れる。鉄色の輝きを纏った黒衣が、叫声を上げながら槍を構えた。互いの距離は十メートル以上。その間合いを――黒衣は一秒に満たない時間の隙間に突き込み、消し去った。

「――――ッ!?」

 聖遺物によって得た超感覚的知覚を以てしても見切れない、恐るべき迅さの突き。足を動かすことも、防御体勢を取ることもできなかった。かろうじて身を捩り槍先を回避すると、壁にぶち当たった鉄色の閃光が凄まじい衝撃で地下を揺らした。土砂が崩落するような轟音。見ると壁に穴が開き、外の景色が覗いている。地下だと思っていたが、ここが一階で先ほどの入口は二階だったのか。槍でこの厚い壁を貫くとは、信じがたい一撃だった。

 土煙の中、黒衣が再び槍を構える。逃げられるとは思えない。やるしかなかった。相手の攻撃をまともに受ければ致命傷は確実。白兵戦も長期戦も絶望的にこちらが不利だ。先手を打って動きを止め、カルディアを破壊するしか勝機はない――

 深く息を吸って、止めた。

 光を求める意志がカルディアを呼び覚まし、異なる世界へと至る扉を開く。

 異能はESP――超感覚的知覚能力の延長だ。決して限られた者のみにしか使えない力ではない。誰もが持つ意識の輝き――意志の光が、不確かな境界を貫き反応した結果である。

 純粋な願いによって発現する力。

 善意だろうと悪意だろうと関係ない、ただ純粋な――力への意志。

 私は力を願い――扉を開けた。

 菖蒲色の光が私を包む。これはイアカスを討ち滅ぼす光。イアカスにのみ作用し、イアカスを屠ることのみに特化した不羇なる術。

 この光はイアカスのカルディアに直接干渉し、彼等の呼吸を乱す。精神と身体の狭間に架かる橋を断ち切り、外傷を与えずカルディアのみの破壊を可能としていた。全ての事象に連なる因果――此岸と彼岸を結ぶ橋を切り堕とし、母神の欠片を毀す神殺しの業。どんなイアカスの〈不羇術(マギア)〉でも、それがカルディアのもたらした力であるならば、この光で無力化することができるのだ。

 問題は能力の精度だ。確実にカルディアを破壊し敵を仕留めるには、直接相手の胸に触れなければならない。遠距離からカルディアを破壊することは不可能であり、だからと言って戦闘中に敵の胸に触れるのは容易ではない。そのため、まずは敵の動きを止める必要があった。自分を中心に、薄く、波紋のように光を拡げ標的に触れさせる。その程度のわずかな光でも、イアカスの呼吸を乱し動きを止めるには十分だった。デメテルの欠片が有する神性は、私のカルディアが放つ神性の前では極端に無力なのだ。

 だが――果たして眼前の脅威たるこの男に、それが通用するのか。

 経験則からは導き出せない解を求めて、思考の糸がぐるぐると絡み合っている。

 ――悩んでも仕方がない。殺らなければ殺られるのだ。

 黒衣が槍を上段に構えた。

 今だ――右手に持っていた『彼女』の剣を抜き、私は己の全感覚を注ぎ込んだ。菖蒲色の光を纏った刃を、黒衣に向かって水平に振りきる。切っ先から伸びた光が、黒衣を貫通し後方で霧散した。

 全方位に拡げるのではなく、凝縮させた光を直線的に放つ。これなら数秒は――黒衣の呼吸を乱し、動きを止めることができるはずだ。

 すぐさま距離を詰め、胸を打ち抜く勢いで掌底を突き込む。掌に、紫へ至る赤い光が一瞬浮かび上がった。神臓を握り潰すことだけに全神経を集中させ――

 鈍い音。

 ――視界が、ブラックアウトした。

「あ……」

 動かなくなったのは、私の体のほうだった。力が入らず、その場に膝を突く。

 頭を割られた。

 あっという間に、すごい量の血が顔面を濡らし始めた。

「なんだ今のは――一瞬体の力が抜けたぞ」

「それがイーリスさんの力です。神殺し――イアカス相手には無敵を誇る力……でしたけれど、さすがは七政。もはや旧き神の光を以てしても、デメテルの光は抑えきれないようね。見事だわ、クシフォス・サーヴァ」

 沙汀さんの――声だろうか。遠いのか近いのかわからない。あんなに暗い彼女の声は聞いたことがない。私が知っている彼女の声は、もっと――

「小癪な……! ゼフテラを騙るだけでなく、女神に仇なす妖術まで使うか! こんな女がゼフテラであるはずがなかったのだっ!」

 鈍い音が立て続けに頭蓋を鳴らした。まだ殴られているはずなのに、途中から音が聞こえなくなった。何も聞こえなくなった。目を閉じているはずなのに、目の前が真っ赤だ。口の中が苦い液体でいっぱいになっている。気持ち悪い。吐き出したい。自分の体がどうなっているのかわからない。頭はたぶん――潰された。耳も聞こえない。目は――どうだろう。

 瞼が重い。

 このまま眠ってしまいそうだ。

 私が死んだら、私の代わりはそこに倒れている彼女が務めるのだろう。

 今思い出したけれど、やっぱり私の言った通りじゃないか。

 私を待っている人がいる――と沙汀さんは言っていたけれど、それがこの男のことなら、やっぱり待っていたのは私ではなく以前の『私』だ。

 そんなの、知らない。

 私はイーリス。

 私を待っている人は――

「――――」

 左腕が動いた。もうほかの部位は感覚すらない。潰された顔面の中で奇蹟的に失われていなかった視力を頼りに、私は黒衣の足首を掴む。

 最後の灯火。

 足首から神臓へ、一本の橋を架ける。その橋は空に架かるあの美しい橋と同じ情景で、私はあの日見た光景をいつまでも忘れることができなかった。

 赤。

 橙。

 黄――左手の甲を踏み抜かれた。

 緑。

 青。

 藍――首を掴まれ、強引に立たされた。

 紫へ至る綺麗な虹色。

 鮮やかに燃ゆ極彩色。

 ――壁に叩きつけられた。げほっ、と息が漏れる。口からどろどろした粘液が零れ、顎から首、胸へと垂れてゆく。

 首が締まって息ができず、抵抗する力もない。

 死んだはずの聴覚が、水の流れる音を拾った気がした。耳に留まったのは川の流れる音。海が近いのだろうか……。

 鉄色の槍が胸を貫く刹那、私は祈った。

 神様でも悪魔でもなんでもいいです。

 どうか――清火だけは助けてあげてください。

流る星は闇に安らぎ、廻り行く焔の明日を示す……

夜空に架ける詩女神の橋は、紫へと至る終の虹……

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