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「リボン」「犬」「葉書」
更紗ありさ
「葉書買ってこい」
「はぁ?」
春が近付いても相変わらずダルそうな同室者が、そう俺にお願いした。……むしろ命令した。
遠く離れた家族に手紙を出そうとする態度には感心する。だがこの寒空の下、外に出るなんて真っ平ごめんだ。
「自分で行けよ」
「やだ。寮の売店は売り切れだったし、太郎と遊ばなきゃいけないし」
そう言って、愛犬太郎の頭をわしゃわしゃと撫でる。だが、俺も巌として譲らない。
「良いか、この寒空ではしゃげるのは犬だけだ。俺は人間だから無理」
「あぁ……『犬は喜び、庭を駆け回り』ってやつ?」
「そ」
だから自分で行ってくれと繰り返した俺に、彼はとても嬉しそうな表情を見せた。何か良い事を思い付いた、子供みたいな笑み。
「分かった!」
そうして太郎の首輪に、小銭入れとメモをくくりつけ、最後にリボンで固定する。
――何だか、物凄く嫌な予感がした。
「おい、お前……」
「行け!太郎!葉書を買ってくるんだ!」
「お前が行けよ!」
――結局、太郎のつぶらな瞳に負けて俺が寮を出たのは、それから三十分後の事だった。
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「風邪」「鮭」「学校」
春野天使
「ハックション!」
学校を出たとたん、私は大きなくしゃみをした。見上げた空は冬模様。チラチラと粉雪が舞っていた。
私は足取りを速めて、家へと急ぐ。もうすぐ高校入試なのに、風邪なんてひいてられない!
「おかえりー」
家に帰ると大学生の兄がいた。学校はもう冬休み。家でゴロゴロしてるばかりだから、たまに鬱陶しく思う。
「ハックション!」
兄の目の前で、また、大きなくしゃみをした。
「あっ、お前風邪ひいたんじゃねぇか?」
そう言いながら、兄は台所へ行く。
「来いよ。今から兄ちゃんがいいもん食わしてやる」
「いいもん?……」
私は胡散臭く思いながらも、風邪でだるくて言い返すのも面倒。素直に兄について行く。
「ジャーン! どうぞ!」
私の目の前には、ドンブリに入った鮭茶漬けが置かれた。鮭フレークがたっぷりのったお茶漬けは、兄の大好物だ。
「これで風邪治るぞ」
「……? 鮭茶漬けで風邪が治るなんて聞いたことないよ」
「治るって。これ、兄ちゃんの愛情たっぷり茶漬けだから」
私は軽くため息をつきながら、兄の鮭茶漬けを食べてみる。割と美味しい。一緒にのったたくわんのお漬け物も良い感じ。
「兄ちゃんも鮭茶漬けで風邪治った」
私は温かいお茶漬けをサラサラと食べる。結構優しいとこもあるじゃん。
「風邪って人にうつすと治るとも言うよな」
私はお茶碗を置いて、パジャマ姿の兄を見る。兄は屈託のない顔して笑ってた。
「……」
兄の風邪は完全に治ったみたいだ。
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「雛あられ」「ハンカチ」「ウグイス」
マグロ頭
ウグイスが伸びやかに歌う昼下がり。僕は軒先で寝転がっていた。
春眠暁を覚えず。まさにその通りだ。もう昼だから的確ではないけれど、いい陽気なのだ。風がそよぎ、花々が薫る。何処までも穏やかで伸びやかな一日。春爛漫ここに極まれりとは、まさにこの事だろう。
ああ、気持がいい……寝てしまいたい……寝てしまおうか……寝てしまおう。
だらけきった体は、いとも簡単に睡眠を欲した。仕方がない。こればかりは本能の欲求だから。
眠気に勝てず、目を閉じた。その瞬間、背後で盛大な音がした。
「ちょっと、ミーたん。ダメでしょ、雛あられをたおしたら」
振り向いたその部屋には、保育園に通う妹と小さな黒猫。そしてせっかく飾ってあったのが台無しになってしまった雛あられ。おや、何故かハンカチもある。
「もぉー。あたしがかたづけなきゃいけないのよ!」
ご立腹らしい妹は、黒猫に姉の様に接していた。対する黒猫はおとなしく叱られている。少しうんざりしているみたいだが……。
妹の小言は少し続いたが、片付けに入ったのを見計らって、黒猫は僕の方へ歩み寄ってきた。
『……堪らないよ。目隠ししたのは誰だって話だ』
低く、神秘的な声。何を隠そう、黒猫もとい、死神ミネルハルバイトの声だ。ちなみに女性である。
『はは〜ん。ミーたんは目隠しされて、イジメられてたのね。通りで雛あられにぶつかっちゃったわけだ。ん、でもミーたんなら目隠しされたところで、そんなに障害にはならないでしょうに』
口には出さず、考えただけ。でも、ちゃんと返事はくる。
『当たり前だ。私を誰だと思っている。……しかし、沙希のしたかった事は、私がぶつからなければ、出来なかった事なのであろう?』
僕は驚いた。あの厚顔無恥で自分至上主義だったミーたんが、こんな思い遣りをもっているとは知らなかったのだ。呆けた顔をしていた僕を見て、ミーたんは恥ずかしそうに付け加えた。
『……私も、この家で好くしてもらっている。その、だから、時には恩返しをしてみないと駄目かなと思ったのだ……』
優しい言葉。初めて聞く事が出来た。僕は今日という幸せな一日に微笑みを浮かべた。
「おいでミーたん。一緒に昼寝をしよう」
うららかな春の陽射しが僕らを包む午後の一時。