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ガジン ~妻~

作者: 吾妻 俊海

ガジン ~リナ~ の続編


完成後連載として再投稿する予定です。


職業小説ですので、ガジン ~リナ~ から読んでいただけると、幸いです。

私の頭の中は真っ白なカンバスになっていく。

横たわった身体を心臓の鼓動がやさしく揺する、静かで深い呼吸、時折息を吹き返し夢の世界を目の前にして戻ってくる。私の瞼の裏に再び浮かび始めたカンバスは白と黒にフラッシュしながら徐々に輪郭をぼやけさせ再び眠り始めた私を包み込んでいった。アトリエに溢れる独特なシンナーとベンジンと油とアルコールと絵の具の匂いのその向こうで、ラジヲが聞こえる、司会者の女性がとても艶のある声で詩を朗読している。 彼が大切にしている事は貴方にも大切な事。とまるでその朗読の一部が私に語りかけているようだ。真っ白なキャンパスが私を包み込むとキャンパスは私を溶かしてゆく、朗読は薄れる意識の中に溶け込んでくる、はるか彼方で朗読は続いている。貴方が信じたのは彼と彼の才能、そしてなによりもその情熱…、鼓動とは違う音が徐々に大きくなるのを感じる、仙人は隣で何かをため息混じりにつぶやいている、ほんの一瞬だけ意識を取り戻す、鼓動とは違う音、階段を降りてくる音、いつもの音、いつもの気配、いつもの空気、いつもの匂い、変わらないものが心地よい、そして変わらないものが意識を奪う、きっと私は無意識にうつ伏せの顔を心地いい方へ捻っていると思う。奥さんが降りてきた…



ふと目を覚ました、ソファーの肘掛に頬杖をついたままだった、いつのまにか寝てしまったのだ。今日は忙しかった、一息ついて目をつぶって昔の記憶たどりながら眠ってしまったのだろう、何を思い出していたのかは覚えていない、記憶があいまいだった。今日はとても大切な出来事が起きた、だから今日色々な事を思い出した、走馬灯のように。それでもまだ思い出せない大切な思い出が一杯あるような気がする。お父さんに出会ってから結婚して妻になり二人の子供を授かり、病気になったり、怪我をしたり、失望したり、乗り越えたり、笑って泣いていろいろな事を思い出した。でも、もっともっとたくさんの思い出があったはずだ、そう思いながら私はソファーから立ち上がり机の上においてあるラジヲをつけた、司会者の女性がとても艶のある声で詩を朗読している。 彼が大切にしている事は貴方にも大切な事。その朗読はなぜか私に言っているように聞こえた。よく考えてみると、今日忙しいと思ったのは思い出が溢れて来て落ち着かなかったからだろか、記憶を辿ると一日で何十年の思い出が蘇り、何十年も生きた気がした。そんな過去の記憶をまた辿りながら、司会者が詠んだ朗読を繰り返した。彼が大切にしている事は貴方にも大切な事…そうだ忘れていた。朗読を聴きながら懐かしい思い出が蘇る、何が本当に大切な事なのかを教えてくれた人がいた。結婚した当初、私の両親はお父さんに夢ではなく現実をしっかり見つめてほしい、要するに画をやめて仕事に重点を置いてほしいと願っていた。私は複雑だった、すでに長男は生まれており、両親の気持ちも分かるし、お父さんの画を描きたいという情熱も分かっていた、そんな両バサミになっていたある日の事だった、親友のギターリストでマナブといった、本当にギターが好きで、ビンボーのどん底でもギターばかり弾いている人だった、その人に言われたことだった。

「二人が出遭ったのもお互い引かれたのも認めたのも好きなものも画なんだろ、それをやめるって事は結ばれていた絆を捨てるようなものじゃないかなぁ、よく考えろよ、いいのか?本当にいいのか?分かっているだろ? やめても、やめさせてもだめなんだ!」

私の周りにはそんな人ばかりだった、芸術大学だった事もあるが、何しろそういう人と付き合っていると飽きなかった。夢を語れる人ばかりだったからだ。試行錯誤を繰り返し、作っては壊し、苦労して苦悩して、創造して創作して、泣いて酒を飲んで笑って酒を飲んだ、そんな人ばかりだった、だから説得力があった、見果てぬものに向き合える人間はとてつもない力を持っていると感じた、そしてその力があるからこそ初めて人に夢を見せることが許され、そして語ることが許される。私はそう思っている。あのとき周りにはそんなアーティストばかりだった。マナブもやはり夢を追い続ける人、ここ最近の情報によると精神病院を行ったり来たりする人のなってしまったけれど… とそんなことを考えながら、ラジヲを消して階段を下りた。

それでその時に私は決めたのだ、この人に画を好きなだけ描かせてあげようと、そして願った、好きなだけ描いてほしいと、足りないものは私が補えばいい、画は私達の絆なのだから画は二人にとってもっとも大切なものなのだから。


アトリエは何も変わっていなかった、終わりも始まりも全てがここにあるのにアトリエはその全てをオブラートで包んでいる。おいママ お父さんはため息混じりに私を呼んだ、 お父さんどうしたんなぁ と私は相変わらず暗い顔のお父さんに微笑んで明るく言葉をかけた。リナが横たわり、二階で聞いていたラジヲと同じ番組が流れていた。リナは寝たのね 寝顔を見つめて毛布をかけた、リナとはもう20年近くの付き合いになる雌の犬だ。柴犬だがあまり大きくない、吠えるのが下手でまるで子供が鳴くように吠えるのでリナが吠えると微笑ましくなり番犬には向いていなかった。リナ自身も吠えるのが苦手な事はわかっているのだろう、生理的欲求以外にそんなに吠える事も無くただじっとこのアトリエにいるのが好きだった。そっと水入れを置いた。


水入れの水に、画が反射した、私は眠っているリナの頭を撫でながら今日の出来事を伝えた。大賞をとったのよ、お父さんの画、大賞よ 起こさないように小さなかすれた声で伝えたつもりだったが、リナは薄目を開けた。リナに言ってわかってくれるかどうか本当のところはわからないが、でもなんとなくリナに伝わっているような気がする。リナは薄目を開けたまま白い牙をみせた、笑っている。リナはわかっている、何も言わないけれどわかっている。そっとお腹をさすった、小さな鼓動が伝わってきた。絶え間無く刻む小さな鼓動を感じた。


そう大切な賞を受賞したのね、そしてまたスタートに立ったのね と言っているようだった。


これで良かったんだよなぁ グラスのウイスキーを空にしてお父さんはつぶやいた。まだ画を描く気が起こらないのだろうアトリエの真ん中においてあるアールデコのデザインの彫刻が彫られた古い椅子に腰掛けたまま動こうとしない。

私も立ったままお父さんと同じようにアトリエの奥にある真っ白なカンバスをただ眺め続けた、油絵の具の匂いが私を落ち着かせてくれる。穏やかな中で真っ白なカンバスに浮かび上がる記憶。お父さんも思い出しているのだろう、過去の事。お父さんの一つ絶対にすごいと言える事は、お父さんは絶対に諦めなかった と言うことだ。あの時諦めていたらと思うとゾッとした、諦めた瞬間からすべてが崩壊し始めただろうと思った。朗読を終えたラジヲの司会者が次にリスナーからの葉書を読み、終えた、「龍馬LOVEさん!諦めないでがんばってくださいね! では龍馬LOVEさんのリクエスト、海援隊で『思えば遠くへ来たもんだ』をどうぞ。」、懐かしいなぁとラジヲから流れる曲を口ずさみ、もう15年も前のことなんだとあらためて思った。お父さんは心を病んだ、それは強度のうつ病だった。

その発端は息子の同級生の腕を切断させてしまった事だった。この地域には神輿同士がぶつかり合う激しい祭りがある。毎年必ずけが人は出るのだが、その子は神輿同士ぶつかり合いに挟まれ、皮一枚残したまま腕を切断してしまったのだ。その時の一方の神輿の頭がお父さんであった、その地区の代表として対応にあたり、その後その子の腕は元に戻った、手術は神経一本一本をつなぎ合わせていくという大手術だった。しかし心身ともに力尽きてしまったお父さんはその疲労とショックから発病したのだ。酒、女、暴力、引篭もり、対人恐怖症も発病してしまい、もちろん働きに出る事も、父親らしい事もできなくなった。それえでも画を描くことだけは辞めなかった。

病が画を奪わないように、私は願うしかなかった。日の出と共に神の化身であると信じている朝日に願い、この人に唯一残された画を描きたいと思う気持ちを奪わないでほしいと、ただただ神に願った、そんな日々が何年も続いた。最初の数年間は何もかも上手くいかなかった。


お父さん…本当に大変だったね、よくがんばったね 真っ白なカンバスを見つめながら、本当に画を諦めなくて良かったと神に感謝した。

ママありがとうなぁ とお父さんはつぶやいた。

この病が完治する事は無い、だから今でもそうだが働きに出る事は無い、一日のほとんどをこのアトリエで過ごす。毎日画と向き合っている、ある意味この病がお父さんに、好きな画だけを残してその他の雑念を取り払ってくれたのではないかと最近では思うようになった。病の以前は、午前9時には仕事に出て午後9時まで働き、それから画を描いていた。町会の役員もした。自営業だった為休みなど無かったのだ。

働きに出ないで画を描き続けるという事は、サラリーマンだったら家族で首を吊っていたかもしれないが、自営業だった為に、家族全員の力で何とかしのげた。しかし病気を患いながら画を描き続けるっていうのは本人にとっても家族にとってもとても大変なことだった。経済面で言えば、画材は物凄い資金を必要とする。油絵の具、額縁、カンバス、一つの絵が完成するためには少なくとも数十万という資金が必要で、A4サイズ程度の3号の画であっても作成費用に10万以上は掛かるのだ、もちろんそんな小さな画は出品しない、展覧会に出展する画を描くときのキャンパスは100号サイズと呼ばれ162.1*162.1cmになる、これは成人女性の平均身長よりも大きい、もちろんキャンパスが100号と大きくなれば、作成にはそれなりの広さがある場所も必要になるし、使う画の具も膨大な量を必要とする、一塗りで描けるわけではないので、何度も何度も塗りなおして描いていく、更に画のイメージを決定付けるのに額縁は重要な役割をするので、それなりの見栄えと絵のイメージを活かす額を選択しなければいけない。それにお父さんの画は抽象画だ、抽象画にはとても多くのインスピレーションを必要とした。お父さんの場合テーマは考えない、完成したものに名前をつけた。さらにインスピレーションはいつも一定とは限らない、だから常に5枚程度の画を同時に描いていた。試行錯誤のためだったり、日々変わるインスピレーションに対応するためだ。そうなってくると、年間で200万近くの資金を必要とした。

その他にも大変な事は多い、画を描くと言う事はとても寡黙で、物凄く力のいる作業だ、自分のテンションを常に一定に保つ事が必要で、自分の中に色を生み出す集中力も必要だった。精神的な病を患った人にはそれは苦痛でしかなかった。体調によっては全く描けない日もある。そんな画家としての苦悩と同時に、父親としての苦悩もあった。

それは父親らしい事をしてやれなという事だ、お父さんは家族を愛した、その為に、仕事にも励み、画も描いた。夢も現実も両立させようとする、力強い人だった。私の両親へ誓い、仕事もがんばる代わりに画を描くことを許してもらった。病はその全てを奪ってしまった。


ママありがとうなぁ という言葉が頭の中に木霊した。無愛想な表情で、低い音程の無表情なその言葉にお父さんの全ての想いが詰まっている。笑いながらでもなく畏まる事も無い、飾りのない言葉だった。ただかみ締めるような言葉だった。そう感じた。涙が出た。


電話があったのは、お昼前11時ぐらいだった。たまたま今日はお休みで家にいた、天気がよくて、とても家事がはかどっていた。ベランダに洗濯物を干し終え、炊事場でお昼の準備をしようと、ラジヲをつけて冷蔵庫の中を確認した。下の階のアトリエにはお父さんがいた、今日はあまり体調がよくないのか、あまり動いている気配が無かった、それに少し苛立っていた、もう来てもいいはずの展覧会の結果が出ていなかったせいだった。いくつもの審査を通り、すでに入選の連絡は受けており、その先にある結果を待つばかりだった。

私はご飯があまっていたので、お昼を卵チャーハンにしようと、アルミボールの中に卵を落とした、ラジヲから流れる軽快なギターの音、メキシコの民謡をR&BにしたRitchie Valensの 『La bamba』だった、その出足のギターの音を聞いただけで、体が自然とリズムを取ってしまう。軽快なギターの後にドラムが続く、Para bailar la Bamba… Para bailar la Bamba Se necesita …リズムとビート、その切れの良さに溶く卵が弾ける、天気のよさが拍車を掛ける、まるで常夏のメキシコにいるようだと思いたかったが、窓から見える枯れ木がそれを拒んだ、しかしここから海が見えれば最高だと思った。歌詞や意味など知らなければ英語も適当に、言葉をメキシコ風に口ずさみ、私は見られたら少し恥ずかしいなと思いながらメキシコ人になりきって、箸で卵を溶いていたそのときだった。

電話が鳴った。ラジヲを付けたまま電話に出ようかどうか迷ったが、胸騒ぎがしてラジヲを消す事にした。Bamba、Bamba…と間奏に差し掛かったラジヲを消し受話器を上げた。

その後の事はよく覚えていない、おめでとうございます!と言われた時、全ての力が抜けていくのも、頭の中が白くなっていくのも分かったが、目の前に起こった事を理解できないでいた。私はあためふためきながら受話器をおいて、階段の上からアトリエに向かって、お父さん…お父さん…お父さん… と迫ってくる振るえと鳥肌を我慢しながらただ何度も繰り返していた。

まだまだ書き始めたばかりの為、駄文お許しください。


アドバイスやメッセージ、率直な感想を聞かせていただけるとうれしく思います。


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