07 妖精の人隠し
時間は少し遡る。テトラと有香の意識が異世界に戻って来る、少し前のこと。
「――それで? まだ私達に付きまとうつもりですか?」
トレロの町の外れ。人気の少ない路地裏に、冷ややかな声が響く。
声の主はアステリアだ。彼女の背後には、恐怖に震えるヒロナが隠れている。
二人の前には、下卑た笑みを浮かべた男たちが三人。見るからに素行の悪そうな、いわゆる「ならず者」たちだった。
「へっ、つれないこと言うなよ姉ちゃん。金回りが良さそうだからさ、ちょっと恵んでくれねぇかなと思ってよ」
「そのガキも、いい服着てるじゃねぇか。身ぐるみ剥いで売れば、いい金になりそうだ」
男たちがジリジリと距離を詰める。
アステリアは短く溜息をついた。金貨の袋を見せびらかして買い物をしていたのが仇になったか。
だが、彼女にとってこの程度の男たちは脅威ではない。適当に魔法で脅して追い払おうと、袖口に手を伸ばした――その時だった。
「動くな!」
背後から、硬い何かがアステリアの背中に押し付けられる。厚手のローブの上からでもわかる、押し付けられているのは刃……おそらくは短剣だろう。
いつの間にか背後に回り込んでいた四人目の男に、アステリアは完全に虚を突かれた。
「調子に乗るなよ。魔法使いだろうが何だろうが、詠唱する前に刺せば死ぬんだよ」
「全く……野蛮ですね」
「おい、さっさと歩け。騒ぐとそのガキの喉を掻っ切るぞ」
ヒロナが短く悲鳴を上げ、男の太い腕に乱暴に掴まれる。
人質を取られてしまっては余計な抵抗できない。アステリアは観念したように両手を上げ、ヒロナと共に男たちに従った。
連れて行かれたのは、町外れにある廃屋だった。埃っぽい室内は腐った木と埃の匂いが充満していた。
二人は手足を荒縄で縛られ、床に転がされる。
「さて……まずは持ち物検査といこうか」
男たちがアステリアの懐を探り、金貨の入った袋を取り上げる。
ジャラリ、と重たい音がした。
「ヒャッハー! 大漁だぜ!」
「おいおい、こんなに持ってんのかよ! こりゃ一生遊んで暮らせるぞ!」
金貨の山に目を奪われ、男たちの注意が二人から逸れる。
その隙に、ヒロナが涙目でアステリアを見た。震える唇が、音のない声で「ごめんなさい」と動く。
アステリアは静かに首を横に振り、男たちに聞こえないように静かに囁きかける。
「大丈夫。貴女は何一つとして悪くはないのです。油断をした私の責でしょう。気になさらずに」
柔らかく、落ち着いた声音でそう語ったアステリアは、手足を拘束されたまま、軽く身を捩ってヒロナに身体を寄せる。
その時――
フッ、と。唐突に部屋の空気が揺らいだ。
風が吹いたわけではない。まるで空間そのものが一瞬だけ真空になったような、奇妙な感覚。
「……あ?」
金貨を数えていた男の一人が、ふとヒロナの方を振り向く。そして、その違和感に目を剥いた。
「お、おい……消えたぞ」
「あぁ? 何言ってんだお前」
「見ろよ! ガキが消えたんだ!」
男の指差す先をならず者たちは見る。そこには、誰もいなかった。
いや、正確には隣に居たアステリアは居る。だが、もう片方の獲物……ヒロナを拘束していた荒縄は、解かれた様子もなく、手首や足首を縛っていた輪の形を保ったまま床に転がっている。
まるで、さながらマジックショーの如く肉体だけが忽然とその場から消滅してしまったのだ。
「な、なんだコリャ……!? おい女! ガキはどこ行った!?」
「逃げたのか!?」
「馬鹿野郎、縄も解かずにどうやって逃げるんだよ! それに出口はずっと俺らが見てただろうが!」
「くそっ、てめぇが監視だったろうが! 毎度毎度てめぇの不注意で――」
男たちがパニックに陥り、廃屋の中を乱雑に探し回る。
しかし、隠れられる場所などない。窓も閉め切られている。
そこに残されているのは、変わらず縄で縛られたままのアステリアだけだ。
「おい、女ァ! テメェ何しやがった! お前が逃がしたのか!?」
リーダー格の男が、血走った目でアステリアに詰め寄り、その胸倉を掴み上げた。
「あのガキをどこへやった! 魔法か!? とっとと戻せ!」
「…………さて、何のことやら」
アステリアは何も存ぜぬとばかりに首を傾げて見せた。だが、その内心では深く安堵している。
(ふむ。転移魔法……の痕跡は無く。魔力の揺らぎも視られない……なるほど、これが世界移動の時に生じる”転移”)
テトラと有香から聞いていた、彼女の能力によって引き起こされる現象。
テトラの能力に巻き込まれて転移してきたものは、この世界における「同一の存在」の肉体がテトラの元へと転移される。
つまり、ヒロナが消えたということは、テトラと共に、ヒロナを器としている有香が宿に戻ってきたということだ。
最大の懸念点であった少女は無事に保護された。ならば――もう、人質はいない。
アステリアはゆっくりと顔を上げ、男を見据えた。 その瞳に、怯えの色は微塵もない。
「……ふふ」
「――ッ!」
現在、宿の一室。
記憶を探っている最中、膝をついた有香は、激しい動悸に胸を押さえていた。
「はぁっ、はぁっ……!」
冷たいナイフの感触。男たちの罵声。カビ臭い空気。手首に食い込む縄の痛み。
そして何より、ヒロナが感じていた絶望的な恐怖。それらが奔流となって、有香の脳内を駆け巡る。
「有香、どうしたの!? 何があったの!?」
テトラが心配そうに有香の肩を揺する。
有香は荒い呼吸を整え、脂汗の浮かぶ顔を上げた。その瞳には、明確な困惑と……怒りの色が宿っている。
「……攫われたのよ」
「えっ?」
「私たちが来る少し前、外出中にならず者に絡まれて……ヒロナとアステリアは、廃屋に連れ込まれた」
有香は自身の、いやヒロナの手首をもう一度見る。
赤く腫れた、生々しい縄の痕跡。
こんな小さな子供に、こんな真似をするなどと。
抱いた恐怖を自分のものとして、そして彼女を無事に帰してあげないといけないと誓った自分に対する情けなさと合わさり、怒りを込めて拳を握りしめた。
「最初にこの世界に来た時と同じように、私がこちらに来たからこそヒロナの身体はあそこから抜け出したけど……アステリアはそうじゃない。彼女はまだあの廃屋に囚われているわ」
「そんな……! 助けに行かないと!」
「当たり前でしょ」
ふらつく足にしっかりと意識を込め、決意を込めた瞳でテトラを見て、救出を決心した。
彼女は大事なスポンサーであり、そして……不安を抱く少女に寄り添い、支えようとした善人だ。
「ふざけてんじゃねぇぞ!」
廃屋に、男の怒鳴り声が響く。
男はアステリアを床に突き飛ばし、抜身のナイフをその鼻先に突きつけた。
「魔法で逃したんだろ! 種は割れてんだよ! 俺らがビビるとでも思ったか!」
理解できない現象への恐怖。それを誤魔化すように、男たちの暴力性は増していく。
だが、アステリアは口元についた埃を払うように軽く首を振り、まるで世間話でもするかのように口を開いた。
「……貴方、右肩が痛みませんか?」
「あぁ?」
「古傷でしょう。雨の日には特に疼く」
突拍子もない言葉に、男の動きが止まる。
「な、なんでそれを……」
「さて、なぜでしょうね? ……後ろの貴方、最近、物をよく失くすでしょう。それも大事なものばかり」
アステリアは視線だけで男たちを射抜く。
それは適当なハッタリだ。右肩の古傷は男の歩き方の癖から、物を失くすのは不注意さを指摘されていた事から推測したコールド・リーディングに過ぎない。
だが、得体の知れない現象を目の当たりにした彼らにとって、その言葉は不気味な「呪い」のように響く。
「な、なんだコイツ……気味悪ぃな……」
「貴女達は触れてはいけないものに触れたのです」
アステリアは声を低くし、呪詛を吐くように囁いた。
「あの子が消えたのは魔法などではありません。妖精の人隠し……妖精が気に入った子供を攫ってしまうというおとぎ話がありますね? あの子はとてもいい子なので……貴方がたに盗られてしまうと妖精が隠してしまったようです」
「は、はっ! 何適当こいてんだ、そんなわけ――」
「えぇ、えぇ。ただ学の無い貴方がたでも冷静になって考えてみればわかること。転移の魔法など、なんの下準備も無く行使できる者はいません。なればこそ、これは人ならざるものの所業……そうですね?」
男たちがたじろぎ、後ずさる。
おとぎ話、妖精の人隠し。そんなものは口からのでまかせにすぎない。
だがしかし、このようなならず者たちですら知っている常識……そう、この世界では「転移」などという魔法は簡単に使えるものではない。
だからこそ、この現状は男たちにとって理解ができないものであり、このようなハッタリによって疑心が植え付けられてしまうのだ。
(さてはて……いつ頃迎えに来るのでしょうか)
「場所はわかる?」
「えぇ。ヒロナの記憶に残ってる。拉致されるときに目隠しとか、頭陀袋を被せられなかったのは運が良かったわね」
宿を出た有香とテトラは、夜の帳が下りた通りを疾走していた。
テトラと比べればヒロナの走りは遅く、それでも不思議と踏み出す一歩は力強く、疲れ知らずに走り続けられる気がした。
有香自身のやる気なのか、それともこの身体の持ち主が、アステリアを助けたいと願っているからか。
「相手は三人。武器を持ってる。正面から行ったら危ないわ」
「だいじょーぶ。私の魔法で目くらましをする。その隙に有香がアステリアを連れ出して。伊達に今まで一人で旅をしてきたわけじゃないってところを見せてあげる!」
「OK。……待ってなさい、アステリア……!」
目指すは町外れの廃屋。
果たしてアステリアは無事なのか、二人はただそれを祈り、いち早く救出するために記憶を頼りに駆けていく。
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