02 書き置き
夜の1時過ぎ、終電を逃し帰路についていた社畜、神里有香は首輪を付けた黒猫を捕まえようとして異世界に転移してしまった。それもヒロナ・イセイアという少女の身体に。
「さて、と。行くとは言ったものの……」
立ち上がった有香は腰に手をあて、周囲を見渡す。
枯れ木がぽつぽつと立ち並び、ざりざりとした乾いた土と、そんな土を舞い上げる乾いた空気。
そんな土地が延々と続いている光景に、額に冷や汗が流れる。
「どこに向かって歩いていけばいいのかしらね」
「一応次の目的地は決めてたんだ。しばらくはそこで滞在して調べ物をしようと思ってたんだけど……」
隣に立つテトラは懐から手帳を取り出すとパラパラとページを捲り、手書きの地図のようなものを開いて見せる。
「今はここ、ルミナエ地方って場所にあるロア荒野」
「……見たことがない文字なのに読めるのが気持ち悪い……」
そこにあったのはルミナエ地方と書かれた一地方の地図であった。
書かれている文字はおそらくこの世界の文字なのだろう、有香にとっては馴染みのない文字であったが、ヒロナの肉体に宿った記憶から自然と読み方を理解できてしまった。
便利ではあるが、初見の文字をすらすらと読めてしまうという感覚はどこか薄気味悪いものがあると、渋そうな表情を浮かべる。
「それで、この荒野を歩いていって、抜けた少し先にあるのがトレロの街」
「そこに向かうってわけね、それまで3日……」
視線を下へ動かす。今のこの身体、14歳程度の少女の身体で旅をする。
時刻は夜、おそらくは自室で眠っていたのであろう少女が身につけているのは薄桃色の寝間着一枚であった。
「この格好で旅なんて正気じゃないわね」
「正気じゃないね。しょうがない……はい」
そう言ってテトラは羽織っていたグレーのマントを有香にかける。
まだ体温の残ってるマントのぬくもりに、すこし驚いたように有香はテトラの方を向いた。
「……なに。こっちじゃあなたはちっちゃい女の子なんだから、当たり前の事をしただけ」
「……ありがと」
こちらを見る有香の顔に少し照れたようにふい、と顔を逸らして見せるテトラ。
そんな彼女の優しさに触れ、少し気持ちが落ち着いた有香は、テトラと一緒に歩き始めた。
「まずは……食料と水の確保かな」
「……いきなりサバイバル?」
「しょうがないでしょ、一人旅だったんだから2人分の食料なんて持ってないもん」
「そりゃそうね……でも私、サバイバルなんてしたことないわよ。この子もね」
旅をする上で色々な課題があるのは事実、その中でも直近の問題となるのは食料である。
大学を卒業し、社畜として5年間働いてきた有香にサバイバルの経験なんてものはなく、ましてやここは異世界である。
どのようなものが食べられるかなどわかったものではない。
「ふふん。私に任せてればいいの、これでもずっと一人旅をしてきたんだから!……一年くらい」
「……まぁ、経験ゼロの私がどうこう言える立場じゃないし、素直に頼ろうかな」
胸を張るテトラ。”経験者”としてはそこはかとなく頼りない実績ではあるが、未経験者と比べれば天と地ほどの差がある。
そう言い聞かせるように有香は頷きながら、荒野を歩いていくと、ぽつぽつと点在している木ばかりだった風景から、小さな林のようなものが見えてきた。
「よし、まずはあの林で必要なものを調達しよう。何か獣がいれば毛皮で何か作れるかもしれない」
「獣……大丈夫かな」
「このあたりに出てくるのは大きくてもイノシシサイズだよ」
「十分危険だと思うけど」
この世界にどういった生物が居るのか、ヒロナの記憶を探ってみる。一般的な動物、犬や猫は居るらしい。
ちらほらと地球には居ないと思われる不思議な生物の情報もあるが、イノシシは居ない……あるいはヒロナは知らないようだ。
(この世界のイノシシサイズの動物ってなんだろ)
そうして、二十分ほど歩いて林の入口に到着した2人。
地面には落ち葉が積もり、枯れた土の匂いから変わって植物の匂いが混じった空気が肌を撫でる。
「夜は冷えるしひとまずここで夜を明かそ。食料調達は日が昇ってから」
「そうね……火起こしとか必要?」
「暖まらないとだし、小さな枝でも集めておいてくれる? なるべく乾いてそうなの」
「わかった」
焚き火を作るためにそれぞれが別行動を取ることにした。
テトラは石を集め、並べて焚き火のスペースを作る。
対して有香は小枝を集めていく。
「……子どもの手って、こんなに小さかったんだ」
枝を拾い、小脇に抱える。
それを何度か繰り返すうちに、実感していく、自らの身体が本当に少女なのだと。
柔らかく、幼さの残る手のひらを見つめる。土に汚れた、傷のない手のひら。
大人になった自分の手のひらはもう少し大きかったはずだ。もっと多くの枝を拾い集めて抱えられるはず。
そんな事を思いながらも、この身体の本来の持ち主に対する庇護欲がじんわりと湧き出てくる。
「集めたわよ」
「ん、ありがと。こっちも……うん、準備できた」
枝の束をテトラの隣に置き、一息つく。
これだけで少し疲れているのは、慣れない身体を動かしているせいか、それとも時間帯からして寝不足なせいだろうか。
テトラはというと、辺りの落ち葉を掃いて、ちょうどいい大きさの木片などを組み立てて準備を終えていた。
ぱちん、と指を鳴らすと同時にぼっと小さな火種が燃え上がる。
パチパチと弾ける音が響く中で2人は腰を下ろす。
「よっと……ふー……お疲れ様」
「ん、お疲れ様……ふぁ……今の、魔法かなにか?」
目の前で起きた現象、ライターのような火起こし道具もなく火を起こしてみせたテトラに対して、有香は冷静に尋ねる。
魔法、平時であれば多少驚いて見せただろうが、世界の移動という火起こし以上に不可思議な体験をした上に、疲れからくる眠気もあればもはやどうでもいいことであった。
「そだよ、あっちじゃ使えないもんね。多分その子も簡単な魔法くらいは使えるかもしれないけど……」
「んー……ふあぁ……そう、なんだ……」
温かな火にあたり、一気に眠気が高まってきたのか、有香の視界がぐにゃりと歪む。眠気の限界だった。
慣れない異世界、子供の体力、そして安堵感。それらが塊となって有香の意識を急速に泥の中へと引きずり込んでいく。
「……っ……あ、れ?」
かくんと、身体の力が抜けるように倒れそうになる。硬い地面に頭を打ち付けてしまう……と、目を閉じたところで、柔らかい感触に受け止められた。
「ふふ、お疲れ様。このまま寝ても大丈夫だよ」
有香は目を開き、視線を動かす。どうやら隣のテトラに受け止められるように、膝上へ頭
を乗せているようだ。
「ん、や……だい、じょうぶ……私は大人なんだから、こんな子供みたいに……」
「今の身体は子供でしょ。それに誰かが見てるわけでもないんだから甘えたってバチは当たらないよ」
なんとか起きようとする有香だったが、テトラはくすくすと笑いながらそれを制止するように、有香の頭と肩に手をおいた。
(……ダメだ。温かくて、気持ちよくて……もう、いいかぁ……)
温かな焚き火と、テトラの体温に理性が微睡んでいく。
次第に何も考えられなくなっていき、有香はテトラの膝枕で眠りについた。
それから数時間が経ち、小鳥のさえずりと、木の葉の隙間から射し込む陽の光が、有香の目を覚ます。
「……夢じゃなかったか……ふぁ…はふ」
目の前には消えかけの焚き火。上からはすぅすぅとテトラの寝息が聞こえる現実を認識し、有香はあくびを漏らす。
少し痛む身体を起こし、伸びをするとその気配に気づいてか、テトラも目を覚ました。
「ふぁ……んにゃ、おはよぉ……」
「おはよう、テトラ……どう?」
「ん~……どうって、何がぁ?」
社畜体質ゆえか、目を覚ましてすぐに行動できる有香に対し、テトラの寝覚めはあまりよろしくないようで、寝ぼけ眼を擦りながらふわふわとした声音で答えていた。
「力。使えそう?」
「あ~……んー、うん。そろそろ使えそう」
「そう、良かった」
第一に確認するべきは、テトラの持つ世界を移動する力が再使用できるようになっているかどうか。
これができなければ帰ることすらできないのだ。
幸いにも、寝ぼけながらもテトラはできると答えた。ひとまず安心したように、有香は胸をなでおろす。
「んと、確認しておきたいのだけれど……私が向こうに帰ったとしたら、この身体の持ち主……ヒロナちゃんが目を覚ますって事で良いのかしら?」
「そうだねぇ、ふぁ……はふ、有香の意識が無くなると同時に、ヒロナちゃんの意識が覚醒するはず、多分」
「……どうにも不安ね」
「だって他の人を巻き込むことなんて滅多にないんだもん。あー……でも、私の意識が抜けると、この身体は動かなくなるんだよね~……あっちの世界の私の身体、あの黒猫の意識がこの身体を動かしてるってわけじゃないみたい」
テトラが思い出したように語る。
有香とヒロナという、人間同士でこの現象が発生しているわけだが、テトラはそうではない。
テトラの話からすると、力を使った後は動かないテトラの身体とヒロナ1人がここに放り出されることになる。
「……無責任にすぐ帰るってわけにはいかない、か。とりあえず書き置きと、それとまたこっちに戻って来るまでの間この子が食べられる食料の確保が必要ね」
「だね~それじゃあれっつごー!」
そうして、2人は早朝の爽やかな空気の元、森の中で食料の調達を行う。
見知った果実もあれば、地球には無いような植物も見受けられた。
それでも、有香は感じていた。
この世界も空は青く、鳥が空を飛び、獣が草を食む。何も変わらない、命が溢れている世界なのだと、空を見上げながら有香はまた一つ、命に感謝するように果実を手に取った。
「……これいけると思う?」
「食べてみればわかるよ! あーむっ!」
「よくそれで旅なんてできるわね……」
毒物かもしれないというのに、無警戒に口に含んで見せるテトラに呆れる有香。
しゃり、と小気味いい音とともに果実を食べるテトラは、もぐもぐと味を確かめるように咀嚼し……。
「……まじゅい……一瞬甘かったけどなんかもう炭みたいな渋みというか苦みが口いっぱいにひろがって……」
「食レポしなくても大丈夫だから……ぺっしなさい」
そんなこんなで、乗り越えられる程度の苦難を経験しつつ、2人は食料調達を進めていった。
「よし、っと……ふー……これだけあれば十分かな。周りに危険な獣も居なかったし!」
「そう、よかった。半日くらいかしら……小さな女の子を1人森に置いていくなんて、正直不安だけど」
「仕方ないよ、これが精一杯。後は書き置きかな」
食べられる果物と山菜類、それと焚き火の火を再度起こし、テトラが持っていた水筒を有香に手渡し、一先ず準備は終えた。
周囲に危険はないとはいえ、完全な安全地帯というわけではない。
もしも目を覚ましたヒロナが、移動してしまったりしたら安全が保証できなくなる。
そんな不安を抱えながらも、有香達にできるのは伝言という形でヒロナに書き置きを残すことだけであった。
「さて、なんて書き残そうか。何かいい考えはある? 有香」
「うーん……長々と書いてもあれだし……」
ヒロナに残すメッセージ。2人は頭を悩ませて最適なメッセージをひねり出す。
結果……。
「『目を覚ましたらこんな場所に居て混乱していることでしょう。貴女は事故に巻き込まれ、貴女のお家から遠く離れたこの場所に移動してしまいました。何がなんだかわからないかもしれません。けれど、そこに寝ている白髪の女性が必ず貴女をお家に連れて帰ってくれます。だから、信じて彼女が目を覚ますまでここで待っていてください』……こんな感じで良いかしら」
「んー、そうだね。それで良いと思う。あんまり長いと読む気無くしちゃうしね~」
「……本とか読むの苦手そうね、あなた」
何度か精査をして、残すメッセージをテトラのメモ帳にまとめる。
ページをちぎり、しっかりと手に包むと、木を背に有香は腰を下ろす。
「……よし、それじゃあ帰るわよ、テトラ」
「おーけー、まっかせて~」
軽く深呼吸をして、覚悟を決める。
一度目は何が何かもわからないまま転移した。
しかし今度は意識的に世界を渡るともなれば、少しは緊張するというもの。
メモを握りつぶさない程度に手に力を込める。
「それじゃあ、いくよ――」
次回の更新は12月25日予定。
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