01 世界を行き来する猫
時計の針が2時の方向を指す頃合い、人通りの少ない夜道を1人の女性が覚束ない足取りで歩いていた。
終電を逃したのか、くたびれた様子の女性はあくび混じりに、長い帰路をぶつくさと愚痴を零しながら進んでいく。
「にゃぁ……ぉ」
「んぁ、なに……? 猫、か……」
りん、と。まるで鈴の音のような透き通った鳴き声が聞こえ、振り向けば、そこには首輪をつけた猫が居た。
「飼い猫だろうか?」そんな考えがよぎり、神里 有香はぼんやりと立ち止まった。
首輪をつけたまま捨てる飼い主なんてそう居ない、なら捕まえてあげれば飼い主の元に返せるのだろうかなど、いつもなら考えもしないことを思いつき、実行に移す。
「にゃ」
「あっ……っと、待て待て」
人が近づけば、猫は逃げるもの。
小脇に鞄を挟み、有香は逃げる猫を追いかけていく。道外れ、獣道に踏み入れていき、その途中。
茂みの前でぴたりと猫が足を止めた。
「よーし、いい子にしてろよー……せーの―――」
こちらをじっと見つめる黒毛の猫。それを捕らえようと手を伸ばし、一歩を踏み出した瞬間、ざり、と踏みしめる足音が変わる。
「ん……? あれ、ここ……どこ?」
乾いた土の上。顔を上げれば、周囲に広がるのはぽつぽつと木々が立ち並ぶ一面の荒野であった。
少なくとも現代日本でこのような光景を見ることはできないだろう、何がなにかわからない有香に襲いかかるのは、困惑だけではなかった。
「っ、ぐぅ……!?」
刹那、脳内に流れ込む……いや、吹き出す膨大な記憶。
「これ、は……誰の、いや、私……の……!?」
知らない人生が、一気に頭へ流れ込んできた。
幼い頃の記憶。家族。日常。全部が“自分だった気がする”ほど鮮明で、有香の意識がぐらりと揺らぐ。
吐き気と眩暈が同時に襲い、地面に手をついた。
「っあ、はぁ……はぁっ! 違う、私は……あたしのはず、だ……私、は……っ?」
――終電を逃した日の帰り道。
――明日は“お父さま”と街へ行く予定。
異なる2つの記憶、どちらも、自分が過ごしたはずの日常のように胸へ刺さる。
膝をつき、頭を垂れる。滲み出す冷や汗が乾いた地にぽたぽたと垂れ落ち、硬い土を掴むように握りしめた。
ふと、その手に視線が移る。土を握りしめる手……果たして、自分はこれほどに小さく柔らかな手をしていただろうか?
「っ、あ……? 私、あたし、は……誰、だ……?」
顔に触れる。自分の顔の形を正確に認識しているわけではない。
けれど確かな違和感がある。
こんなもちもちとした肌触りをしていただろうか、こんな鼻の形をしていただろうか。
得体のしれない気持ち悪さで喉が詰まりそうになりながら、じんじんと痛む頭を抑え、立ち上がる。
すると少し先に水場を見つけた。
有香は浮かび上がった疑問を確かめるために、おぼつかない足取りで水場へ向かった。
「っ、ふー……っ!? これ、は……誰の顔……なの?」
やっとの思いでたどり着いたそこで、水面に映る自分の姿を確認する。
きらめく水色の水面に映るのは、見知らぬ少女の姿であった。
体格も、顔つきも、ともすれば人種も。
何もかもが神里有香とは似ても似つかない人間の姿がそこにあったのだ。
「まさ、まさか……これが、異世界転生……? い、いやまって。私は別に死んだわけじゃない、ないはずよ……!」
状況が理解できない。
突然の出来事、それも全くの異常事態でありながら、頭の痛みと知らないはずの記憶が確かにこれを現実であると認識させてくる。
そんな混乱の真っ只中、有香の耳に声が届いた。
「あーあ、まさか巻き込んじゃうなんて」
「っ!? 誰!?」
声のした方向へ振り向くと……そこに居たのは、木の上に腰掛ける白髪の少女であった。
闇夜の中で、月光の元輝くような髪と、金色に輝く瞳。神秘的な光景でありながら、何処となく浮浪者のような、
これが平時であれば、正常な状態であれば見惚れていたかもしれない。そんな美しさの前で、混乱した有香は困惑の表情を浮かべるしかなかった。
「私はテトラ。あなたが追いかけていた黒猫……って言えばわかる?」
「黒……猫……? は、はは……何を言って――」
「別に信じないならそれでいいんだけれど、んにゃ……野垂れ死なれても寝覚めが悪いし……はぁ、なんであんな時間にふらふら外歩いてるんだか」
呆れたようにため息をつく少女。腰掛けていた木の上からぴょんと飛び降り、あくび混じりに身体を伸ばすその仕草は、猫を想起させた。
「あなたは巻き込まれたの、私の……”世界を移動する力”に」
「――は?」
理解ができない。突拍子もない言葉に疑問符が浮かぶ。
しかし、この現状がそれが真実であると伝えてくる。見慣れない景色、姿形が違う自分自身と突如現れた眼の前の少女。
「説明するのめんどくさいにゃ……んーと、とりあえず座って話そ」
「あ、あぁ……うん、わかったわ……」
拒否する理由もない。何もわからない以上、話を聞いて少しでも状況を把握したいと、少女に促され木の元まで歩いていくと、2人は木に寄り掛かるように腰を下ろす。
「私はテトラ、テトラ・バースカニャ。あなたは?」
「えっと、神里 有香……のはず」
「あやふやだね。まぁ理由はわかってるけど。頭の中に別人の記憶があるから、自分が誰なのか確信が持てないんでしょ」
自己紹介を行うと、今有香が抱えているモヤモヤをずばりと言い当てるテトラ。
そう、突如として脳から溢れ出した記憶。その記憶の持ち主と、神里有香という人間の記憶が混在している現状、彼女は自分がどちらなのか、定かでないのだ。
「もう片方の記憶の持ち主、名前はわかる?」
「えっと……ヒロナ……イセイア?」
「それが、この身体の本来の持ち主だよ」
「……じゃあ私は?」
「見た目だけヒロナちゃん。中身は神里 有香。まぁ大体そんな感じ」
テトラの説明を受けても有香の理解があまり進まなかった。
この肉体の持ち主は自分ではなく、ヒロナ・イセイアという人物だという、それは理解できた。
だが、なぜ神里 有香であるはずの自分が、縁もゆかりも無い少女になってしまっているのかが全くわからない。
「えっと、つまり……? 私はこの子ってこと……?」
「ん~……そうだとも言えるし、そうじゃないとも……ごめん、説明できないや」
「そんな無責任な……」
「にゃ……これでも申し訳ないとは思ってる。巻き込んだことはごめんなさい」
少し申し訳無さそうにテトラは顔を伏せる。
「で、さっきも言ったけど能力の制御がまだできなくって。任意に使えることもあれば、勝手に使っちゃうこともあるの。それがさっき」
「じゃあこれは本当に事故だったのね……でも、任意に使えるってことは戻れるってこと、よね?」
能力が一度きりのものではないと聞くと、有香は安心したようにテトラの方を見る。しかし当のテトラはというとバツが悪そうに目を泳がせていた。
「今すぐは無理。……一日に何度も使える力じゃないの」
「え、えぇ……? じゃ、じゃああっちの世界の私の身体はどうなるの……!?」
「えっと、魂が入れ替わってるとかじゃないから、あの場所で倒れてるはず……」
「ちょ、ちょっと困るんだけど!?」
「だから悪いとは思ってるの! 思ってるんだけど無理なものは無理!」
すぐには戻れないと聞き、さぁっと青ざめていく有香。行倒れのように倒れている自分自身の身体が今どうなっているかわからない状況で、戻れないと言われれば動揺するのも当然だろう。
だがしかし、テトラも声を張り上げ、無理なのだと断言してしまう。
「そん、な……うぅ、もしも浮浪者に襲われたりしてたら……!」
「い、一応こうなると思って茂みに倒れ込むよう誘導しておいたから……運が良ければ大丈夫、のはず」
「はぁぁ……何でこんなことに……迷子猫なんていつもなら見ても捕まえられないだろうって見て見ぬふりするのにぃ……」
十中八九、柄にもない行動をした理由は疲労と眠気である。そうだと理解しつつも、自分の行動を後悔し、有香は頭を抱えてしまう。
「と、とりあえず時間を置けばまた使えるようになるから、そうなったらすぐに帰してあげる! んだけど……」
「……何よ、まだ何か悪いニュースがあるっていうの……?」
嫌な言葉の引きをするテトラに、有香は少し睨むような流し目で見つめる。
「えっと、この能力で世界を移動すると、その世界に居る異世界同位体の身体が移動した地点に転移することになるんだよねぇ……」
「ど、どういうこと?」
「つまりその、その身体の持ち主、ヒロナちゃんは別のどこかからここに移動してきちゃった……みたいな?」
「っ……こ、ここってどこなの? 少なくとも近くに人が住んでそうな気配はしないけど」
もう一つの悪いニュース。それは有香の現在の肉体、ヒロナ・イセイアは有香がこの世界に来ると同時にこの場所に転移してしまったということ。
「えーっと……そのー……ここ結構人里から遠くて……」
「……最寄りの街までは?」
「……3日ほどかかるかと」
「つまり今から歩いても、次能力が使える時になっても街にはたどり着いてない……と。私があっちに戻った時、この身体はどうなるの?」
テトラの顔色を見れば、答えはほぼ分かっていた。それでも確認せずにはいられない。
都合よく元いた場所に転移するというのであれば、テトラはここまで冷や汗を流しながら申し訳無さそうに畏まらないだろう。つまりは……そういうことだ。
「本来の持ち主の意識が目覚めます……」
「それだけ?」
「はい」
「はぁ~~…………」
心底深い溜め息が漏れる。
つまり……自分が来たせいで、ヒロナという少女は見知らぬ土地に取り残された。
そう考えると、有香の胸がきゅっと締め付けられた。
もちろん、自分は巻き込まれただけで関係のないこと、戻った後は彼女たちが自力で頑張って帰ってくれと言うのは簡単である。
しかし、神里 有香という人物はそこまで非情な言動ができる人間ではなかった。
「あなたが言いたいことは、彼女が元々居た場所に帰ることができるように協力して、ってことでしょう?」
「その通りでございます……巻き込んじゃった以上は、ちゃんと帰してあげないとおちおち旅もできないよ」
「私も、こんな小さな子を見捨てるほど腐ってないわよ。それに――」
自嘲気味に笑いながら、有香は思い返す。
この肉体に宿った記憶、その全てを自分のことのように思い出すことができる。そこには、この少女が裕福で、温かな家族の元で幸せに暮らしていた記憶が沢山あった。
大好きな家族から引き離され、孤独を味わわせることになる。そんなことを知らんぷりはできない。
そう決意した有香は、立ち上がると座ったままのテトラへ手を伸ばした。
「善は急げよ。ほら、行きましょう、テトラ」
「……うん!」
手を取り、立ち上がる。
月明かりの下、二つの影が並んで歩き出す。
“帰るための路”が、始まった。
面白かった、続きが気になる、興味があるという方は感想やいいね、評価をぜひともお願いします!
更新報告やイラストの掲載はX(旧Twitter)で行っています。こちらのフォローもお願いします♪
【YouRe:https://x.com/You_Re622】
次回の更新は1週間後の12月18日木曜日を予定しています。




