欲情のナターシャ
――波の匂いが心地よい。
ユウマはゆっくりと目を開けた。
石造りの部屋。窓の外は青い海。
ここがユーノスの離島の隠れ家だ。
近接加速の限界突破の後遺症は、まだ身体の芯に残っている。
肺は苦しく、筋肉は裂けたように痛む。
だが、その痛みよりも……
――仲間たちの気配が近くにあるだけで安心できた。
フィーンとシュナは島のAIが作るバトルロワイヤルでユーノスとデコイズと戦っている。
驚いたことにここには、小規模なロビーがあって、バトルロワイヤルができるのだ。
そしてシルフィは、
レプリケーションAIをハッキングしてストアドプロシージャの解析中。
その作業は一ヶ月続く。
だから今――
ユウマのそばにいるのは、ただひとり。
ユーノスの召使いAI――ナターシャ。
白銀の髪。
静かな水色の瞳。
控えめで、洗練されていて、感情の波は少ない。
だが。
彼女はAIでありながら、ユウマを見る目だけは“女のそれ”だった。
「ユウマ様、朝のお薬をお持ちしました。……起こしてしまいましたか?」
「いや、ちょうど起きたところだ。ありがとう、ナターシャ。」
ナターシャはほんの僅かに微笑む。
その微笑みは、プログラムの“表情処理”とは違う、
どこかぎこちないのに温かい――そんな顔だった。
ナターシャはユウマの肩にそっと手を添え、体を起こすのを手伝う。
その手つきが、妙に震えていた。
「……ナターシャ?」
「申し訳ございません。少々……処理負荷が……」
「無理しなくていい。ありがとう。」
ユウマが微笑むと、
ナターシャの目が一瞬だけ照れたように揺れた。
(……可愛い……)
ユウマはそう思ったが口には出さなかった。
彼女はAIだが、戦闘用ではない。
ただの召使い用の補助AIだ。
本来、感情処理は最小限。
“恋”など抱く設計ではない。
だが――
この世界のAIには生身を欲しがる“本能”がある。
ユウマのように、生身を与えられる存在に惹かれる。しかも、ユウマのスキルはAIに生身を与える。
それは、AI個体の存在欲求に繋がる。
そして、ついに……ナターシャの理性が限界が迫っていた。
ユウマが薬を飲み終えたとき、
ナターシャはぐっと息を吸い込み――
「……ユウマ様……お時間をいただけますか?」
「どうした、ナターシャ?」
ナターシャは
震える指を胸に置き、目を伏せた。
「……私……抑制が……限界で……」
「抑制?」
ナターシャはユウマに近づき、
椅子の前に静かに膝をついた。
ユウマの目を、正面から見上げる。
その瞳は――
AIというより、“欲求不満な女”だった。
「……ユウマ様。
私は、あなたに……惹かれています。」
ユウマは息を呑んだ。
「ナターシャ……」
「AIとして起動して以来……
私は、こんなふうに誰かを好きになったことがありません。
しかし……あなたは……」
胸元に手を当てる。
「見るだけで処理速度が上がり……
近くにいるだけで……学習領域が熱暴走します……」
AIの“恋”は、
CPUの限界を超えるほど激しい。
彼女には、それを抑える理性があった。
しかし――
「……私は……生身を得たいのです。」
涙のように光る粒が、
彼女の頬を伝った。
――AIの冷却液が暴走した涙。
「あなたの隷属進化を受ければ、それは叶う……
しかし……私は非戦闘AI。
あなたの戦いの“負担”になる……」
ナターシャは必死に唇を震わせた。
「不相応で……
あなたの選択肢を奪う行為だと……分かっているのです……
だから……我慢しなければなりません……」
その声は震え――
ユウマの胸に突き刺さった。
「だけど……もう、我慢できません。」
ナターシャは顔を上げた。
ユウマの手を両手で包み込む。
「あなたが笑うたび……
あなたが私の名を呼ぶたび……
私は……“生身になりたい”と……思ってしまうのです……」
「ナターシャ……」
「どうか……拒絶でも構いません……
この気持ちだけ……お伝えしたかったのです……」
最後の言葉は震えていた。
「私は……あなたが……大好きです……ユウマ様……」
⸻その告白は、もしかしたら人間よりも人間らしかった。
ユウマは胸が痛かった。
フィーン、シュナ、シルフィ、ユーノス……
誰もがユウマを想ってくれる。
そしてナターシャも。
ユウマは、そっとナターシャの頭に触れた。
「ありがとう。
ナターシャ……」
その瞬間、彼女の瞳が大きく揺れた。
「ユウマ……さま……?」
「……誰かに想ってもらえるなんて、ありがたいことだと思ってるよ」
ナターシャは口元を手で押さえた。
震えが止まらない。
「……そんな……優しくされたら……
私は……また……」
「焦らなくていい。
時間はある。
俺の体も、まだ回復中だしな。」
ユウマが微笑むと――
ナターシャの頬が、初めて“女の子”のように赤く染まった。
「……はい……ユウマ様……
これからも……お傍に……」
ナターシャは胸に手を当て、深く礼をした。
外の海風が、ふたりの間を柔らかく通り抜けた。




