最初の幸運はフィーン
ユウマは、ガンゲノムシティにいた。
ここは出発ロビーへ向かう前の中間エリア。装備を整え、仲間と合流し、ミニゲームやトレーニングを行える――かつて画面の向こうで見ていた場所だ。
「……本当に来てしまったのか」
見慣れたはずの街並みが、現実の空気をまとっていた。
AIで動く鬼たち――CP(Combat Phantom)たちが行き交い、人間の姿はユウマひとり。
いつもプレイしていた“仮想の世界”が、いまは肌に触れるほど生々しい。
「しかし、どうしろって言うんだ……」
そのとき、路地の先で小さな声がした。
「……だれか、助けて……!」
鬼の少女が倒れていた。
額には小さな角が二つ、ほとんど人間と見分けがつかない。
黒いフリルのワンピース。雨に濡れた白い脚が、ひどく現実的だった。
「大丈夫か?」
ユウマが駆け寄ると、少女はうめきながら答えた。
「……腹が減って、動けないんだ」
周囲の鬼たちは、まるで何も見えないかのように通り過ぎていく。
厄介ごとには関わらない――それがこの世界のルールでもあった。
「食べ物……持ってないか?」
「え? あ……」
ユウマはバックを開けた。中にはバナナとリンゴ。
「これでいいのか?」
少女はそれを奪うように掴み、むしゃむしゃと食べた。
食べ終えた途端、ほんのりと頬に血色が戻る。
「うまい……助かった。持ち物が全部消えてしまってな。詰んでいたんだ」
「持ち物ロスト? それって……まさか、ハニーバグ?」
「バグ……? なんのことか分からん。朝起きたら、何もなかっただけだ」
ユウマは息を呑んだ。
ハニーバグ――リリース初期に確認された、不具合。
システムが偶発的にプレイヤーや鬼の装備データを強制的に消すという悪魔的バグだ。
その名は、犠牲者が“他プレイヤーのホームに一晩泊まることで回復する”という仕様からついた。
――多くの恋愛を、そして事件を生んだ。
「まだ腹が減ってるんだ……」
「直し方を知ってるよ。……俺のホームに来ればいい」
「本当か! 頼む! お願いだ!」
少女の金の瞳が一瞬、光を取り戻す。
「名前は?」
「フィーン。フィーン・ザーナメナ。自分で言うのもなんだが、伝説の鬼だ」
「俺はユウマだ。伝説の鬼だかなんだか知らないけど、ついてきてくれ」
二人は、ガンゲノムの住宅区へ向かった。
デフォルトのホーム――初期設定の簡素な家。
扉に鍵を差し込むと、ガチャリと音がした。
「……入れる、のか」
ユウマが驚く間もなく、フィーンは興味深そうに部屋を見回した。
「おお、これがユウマのホームか。片付いているな」
「あはは、何もないだけだよ」
「ここで休めば直るんだな?」
「ああ。明日までここにいれば――」
言葉の途中で、ユウマは視線を逸らした。
濡れたスカートの隙間から覗く生足が、思わず現実を忘れさせる。
だがその一瞬、フィーンが笑った。
「ユウマは……いい匂いがするな」
「そ、そうかな」
「あたしが嫌いか?」
「いや、嫌いってわけじゃ――」
「ホームまで呼んでおいて、急も何もないだろう」
「そ、それは……」
「ひと目見た時から、あたしはお前が気に入った」
「え?」
「ダメか?」
「だ、ダメじゃ……ないけど」
フィーンは微笑んだ。
その笑みは挑発的でもあり、どこか孤独を滲ませていた。
鬼の性質は基本、淫乱だ。
そして、静かに距離を詰める。
目の前で、彼女の瞳がゆらぐ。
その瞬間、ユウマのHUDがちらついた。
HUD(Head-Up Display/視界情報)
ユウマの視界の端には、ゲームのように常に情報が重なっていた。
【スキル発動可能条件:接触(唇)】
「……キス、していいか?」
「なぜ聞く。あたしが嫌がると思うのか?」
言葉の終わりと同時に、彼女の唇が近づいた。
「ちゅる、キスして」
ちゅるちゅるちゅる
?!キスってこんなに、気持ちよかったっけ。
キスまでで我慢できたらフィーンを隷属させられるのかな。
「んんんっ。ユウマはキスがうまいな」
んちゅっ
「そんなの、はしたないよ」
れろれろれろっんんちゅ
「そうだ。あたしは、はしたないのだ」
フィーンが自分の身体を自分でまさぐる。
「あぁ、もう我慢なんてできないよ」
そうだ、でも、キスまでで耐えられれば。
でも、だめだ。エロすぎる。
フィーンを押し倒す寸前に、フィーンが崩れるように床に倒れた。
「はぁはぁ、あぁん!ユウマ、きて・・・ん?なんだ?」
紫色の光が弾けた。
紫の粒子が二人の間を舞い、空気が震えた。
次の瞬間、HUDが点滅する。
【隷属Lv1:契約成立】
フィーン・ザーナメナ。ランク:SS
SSだって?!伝説クラスだ。本当だったんだ。
フィーンが息を吐き、瞳が静かに細められる。
その表情は、戦士の冷たさでも、AIの無機質さでもなかった。
まるで――命を分け合うような、深い安堵の笑みだった。
「これが……“隷属”か?」
「違うよ、ユウマ。これは……“絆”だ。あたしは今、AIの管理を離れて、ユウマのものになった」
彼女の声は、確かに人のものだった。
「フィーン。君は僕のものになったよ」
「ゾクゾクするよ。ユウマ、嬉しい。どうぞ、この身を好きなように」
こうしてフィーンが隷属の一人目になった。
キスまでで、この先我慢できるだろうか。




