エピローグ
「ねぇ、そろそろ配信始めたいんだけど」
「……ぐび、ごめん、もうちょっと待って……」
通話アプリの向こうで、かれこれ三十分くらい紗倉さんは泣きじゃくっている。
本来なら配信を始める時間をとっくに過ぎているのだが。
コメント欄は配信を待つ声であふれかえっている。
「夏休みに入っても彩葉さんから配信の許可が出たって聞いたから、もっと喜んで配信すると思ってたんだけどね」
「そ、それとこれとは話が別だよぉ……」
紗倉さんが僕にコラボをしてほしいとお願いしてきた、そもそものきっかけ。
それは二年生の夏休みに入るまでにチャンネル登録者数が十万人を達成という、彩葉さんとの約束があったからだ。
当初、一度は十万にリーチをかけていたが、身バレの炎上を機に一度落ち込んでいた登録者数。だけど僕たちのリレー配信をきっかけに、登録者数はV字に回復。今では十万より遙か上に行ってしまっている。これでめでたく紗倉さんも配信サイトから十万人突破のご褒美、銀盾をいただけることになった。
ただあんなことがあったわけだから、もしかしたら彩葉さんからお許しは出ないかと少し心配していた。しかし紗倉さんが何度も頭を下げてお願いし、多くの仲間やリスナーに切望されていることを知って、彩葉さんが折れたのだ。
「でもリスナーに高校の人たちもいると思うと、配信もちょっとやりにくいよね。もう高校であったネタとか気軽に使えないし」
「あ、うわうわ、もうそれは考えないようにしてるんだからやめてよ……」
通話アプリの向こうで頭をぶんぶんと振っている紗倉さんの姿が浮かぶ。
高校にも行くことができなければ当然配信活動なんてできるはずもない。
しかし昨日、僕たちは一応、一応ではあるが終業式の日に登校できた。
終業式も終わり、あとは簡単なホームルームだけを終えれば帰宅、という時間に滑り込んだ。
遅刻しましたーとのんきな声を上げながら教室に二人で入ったときの空気、とても言葉では言い表せないほどいたたまれないものだった。
重役出勤ばりに遅刻してきた僕たちにクラスメイトたちは明らかに戸惑っていたが、とりあえず受け入れてくれてはくれた。
とんでもない質問攻めに遭ったのだが、担任教師が仲裁に入ってくれた。学校側も校内で生配信をして紗倉さんの顔をさらしたことを大変問題視しており、――メディアからも問題視されていたし――被害遭った紗倉さんにとても親身に対応してくれた。身バレしたVTuberなんて扱いにくいことこの上ないだろうが。
教師陣の他にも、僕らの事情を知っている桐也、紗倉さんのことを心配していたイラスト部の氷川さんたちは紗倉さんや僕を守るように立ち回ってくれた。
興味本位で寄ってくる人はいるが、僕たちを攻撃するような人たちはいなかったのは幸いだ。高校にちょっとした有名人がいる、程度の認識に落ち着いてくれた。
紗倉さんも戸惑ってはいたが、これくらいなら二学期も高校に通えそうだ。
しかしこれからは夏休み。
勉強も大切だが僕たちは僕たちで配信活動を頑張っていかなければいけない。
先日あれだけ好き勝手な、ある種事件的なことをやらかしたにも関わらず、世間の目は温かかった。
現在もネットニュースのあちこちで話題にされており、時々地上波のニュースでも取り上げられていると聞く。僕や紗倉さんに出演のオファーが来ることもあるのだが、姉さんやモカさんとも相談した上で、当面はお断りさせてもらうことになっている。
一般高校生である僕たちにあれこれ聞かれても、まともな受け答えが成立するとは思えないし。
ただ僕たちはすでにネットミーム化されており、しばらくは話題にされていくことは確実だろう。
紗倉さんは元人気アイドルで逆境にも負けず立ち上がったVtuberと言うことで、以前にもまして熱狂的ファンが増えている。
僕に至っては、僕のリアルを知った人間も相当数いるだろうに、僕が女の子であることを信じて疑わない人間が一定数いる。男だなんてあり得ない、あれは替え玉だとかなんとか。どこまで本気で言っているのかわからないが、もう好きにしてくれてほったらかしにしている。
そのうち収まってくれるだろう。たぶん。自分の貞操は自分で守らなければいけない。
なにはともあれ、である。
僕たちがこれからも活動していく配信者であることには変わりない。
あれだけ好き勝手に配信をして、ほどほどの配信なんてしていたら目も当てられない。
だから夏休み初日、雨宿家の雑談配信を取ったのだ。今回はお騒がせして申し訳ありませんでしたというサブタイトルをつけて。
そして僕たちの配信を待ってくれる人たちがたくさんいることを受けて、紗倉さんはずっとその暖かさに涙しているわけだ。
「もうぢょっと、待ってぇ……」
紗倉さんはちーんと鼻をかみながら、頑張って涙を引っ込めようとしている。
とりあえず僕は、配信の待合所にコメントを打つ。
『ココアが皆さんの暖かさに触れて絶賛号泣中です。配信までしばらくお待ちください』
「ねぇええええええええ!」
「早く泣き止まないと、どんどんコメントを打っていくよー」
「く、くそぅ……っ」
紗倉さんは早くどうにかしようとしているようだが、未だにずるずると鼻水をすすっている。
コメント欄は温かい。
僕がそんなコメントを打ってもなお、リスナーは紗倉さんを待っている。
『いつまでも待つよー』『配信待ってます』『のんびり行こう』『ココアちゃん泣かないで! もう怖い人はいないよ!』『ソーダくんココアちゃんをいじめないでね!』『愛してまああああああす!』
様々なコメント、リスナーの心地よい声があふれている。
そして、見知った人からコメントも流れていった。
モカさんから。
『弟くんもココアちゃんもファイトだよ! みんな応援してる!』
クーから。
『ココア姉頑張って。あっ、ソーダは適当にしていればいいよ』
キリシマさんこと桐也から。
『おいしい場面、たくさん待ってるぞ』
そして、僕の姉さんこと雨宿マキアから。
『二人とも、配信を楽しんでね』
あふれるコメントの中でも、僕たちの知り合いの声はよく通った。
他にもコラボしてきた人や、V勇で戦ってきた人たちからのコメントもたくさんあった。『アップルサイダー』の人たちからもあった。
僕たちは基本的に、自分自身の姿で直接会うことはない。
モカさん、クーのようにリアルで会っている人も中にはいるが、ほとんどは顔も会わせたことはない。
リスナーなんてまず会うことはない。僕たちとリスナーは、ネットを通して会う人ばかり。
それでも僕たちは、たしかにつながっている。
「ぐずっ、もう配信する。待たせてごめんね……」
「いいの? 落ち着いてからでもいいけど」
「あと一時間は落ち着きそうにないから始めていいよ、ずびっ」
「そ、そうっすか」
紗倉さんが配信の準備を始め、僕も最後の準備に取りかかる。
「雨宮くん、いや、ソーダくん」
「なに紗倉さん、じゃなくて、ココア」
紗倉さんことココアは、少しためらったような間のあと、恥ずかしそうに笑った。
「これからも、よろしくね。バカたれお兄ちゃん」
「こちらこそよろしく、イカれた妹ちゃん」
お互いに笑い合い、配信を始める。
僕の姿と、バーチャルの姿がリンクする。
僕はどこにでもいるさえない高校生。
その姿がネット上で、黒髪美少女の肉体をまとい、境界が溶け合っていく。
僕たちはリアルとバーチャルの狭間に生きている。
僕は、雨宮颯太。
そして、雨宿ソーダ。
僕たちは、VTuberだ。




