明日の配信は。
暗い部屋。
私はまた、ほとんど動けなくなってしまった。
ベッドの上で体を丸め、空に視線を向けて何時間も動けない。
私の情報がネットに拡散されてしまってから、もう何日もたったのに、なにもできていない。
スマホもパソコンも、電源を入れることさえ怖くて、なにもできない。
昔の、あのときと、同じだ。
一番はじめのきっかけは、おばさんからアイドルのオーディションを勧められたことだった。
おばさんはお母さんのお姉さんで、芸能プロダクションで働いている人だ。
アイドルにあこがれがあったわけではない。興味があったわけではない。
ただ私はアニメや漫画、そしてイラストが大好きな子どもだった。
そして、そのオーディションで作ったアイドルグループは、サブカルと積極的にコラボしていくことを想定していたものだった。声優をやるとか、アニメの曲を歌うとか、メンバーをイラスト化してグッズかするとか。
だから興味本位で、受けてみただけだった。おばさんから言われたことを練習して、言われた要点を押さえて。
それなのにあれよあれよと、それこそあっという間にオーディションに合格。
私は『アップルサイダー』の五人目としてデビューすることになった。
私以外の四人はみんな、それぞれが突出したスキルを持っていたのに対し、私はただの一般人だった。器用貧乏なだけで、周りに着いていくのが精一杯だった。
私には、夢があった。
その夢に近づけるかはわからなかったけど、なにかきっかけになればと思ってアイドルを続けていた。
そして、あの事件があった。
メンバーの中に、自分の体に少しコンプレックスがある子がいた。その子は幼少時、義父から虐待を受けていた経験があり、肌に少し傷が残っていたのだ。
そんな子に、運営は水着を着てイベントに出るように強要した。それも一種の個性だなんて無神経なことを言って、無理矢理に。
私はただそれを、止めただけ。
でも勢い余って運営の責任者がガラスのショーケースにぶつかった。
救急車を呼ぶ事態になり、イベントは中止。
なにもかも、文字通りぶちこわす結果になった。
一部の報道で私が運営に暴行したなんてニュースが流れ、ファンやネットは大荒れ。
運営も体に傷がある子に無理矢理水着を着させようとしたなんて言い出せず、先行して出した救急車が呼ばれた事件だけが一人歩きした。
私は罵詈雑言にさらされることになり、中学はおろか、家からも出られなくなった。
不登校になってしまった私に、わざわざ会いに来てくれた人がいた。
それが、雨宿マキア先生。
わざわざ私のことを心配して連絡を取って、会いに来てくれた。
私は泣きながら謝った。
せっかくコラボイラストを描いてもらったのに、そのイラストは日の目を見ることなく終わってしまったのだ。
大好きな人の絵にそんなことをしてしまったことが、どうしようもなく申し訳なかった。
それなのに、マキアさんは、そんなことは気にしなくていいと笑って許してくれた。
それから、たくさん話をした。
おしゃべりの中で、自分の弟が少し前からVTuberを始めていると教えてくれたのだ。
VTuberは知っていた。マキア先生がイラストを描いていた太陽カルアさんは過去のアーカイブだけど何度も見た。アニメやゲームの話をする人もたくさんいて、ずっと見ていた。
だけど『アップルサイダー』の一件以降、私はネットを見ることができなくなっていた。
だから、マキアさんから教えられるまで、雨宿ソーダくんのことも知らなかった。
興味が、沸いた。好奇心が恐怖を少しだけ上回った。
そして初めてみた雨宿ソーダくんは、対談コラボで小鞠テンコさんに口説き文句十選を聞かせていた。久しぶりに、おなかを抱えて笑ってしまった。
彼の配信を見て、少しずつ外の情報を取り入れられるようになっていった。いろんな配信を見て、新しい世界に触れて。
マキアさんには、私も将来、ソーダくんみたいなVTuberをしてみたいかもです、なんていったりして。
もう一度学校に行ってみようと思いますと、マキアさんに報告。
マキアさんは自分のことのように喜んでくれて、すごいプレゼントまで用意してくれたのだ。
それが、新しい場所で生きていくための体と術。
雨宿ソーダくんに憧れて、私はVTuberになったのだ。
でも、また私は、同じ場所に戻ってしまった。
暗い部屋で、暗い気持ちに飲み込まれ、身動きができない。
外の情報が、世界が、怖い。
また涙が出そうになったとき、部屋の扉がノックされた。
「心愛、入るわよ」
お母さんだ。
私は答えられずにいるけど、いつもお母さんは少し間を置いて、部屋に入ってきてくれる。
「明かりくらいつけなさい」
言いながら、お母さんは部屋の明かりをつけてくれる。
お母さんは私がこんな風になっても、いつもと変わらず笑顔で接してくれる。高校に行くように促すわけでも、外に行くように誘ったりもしない。
ただ、待ってくれる。
そんなお母さんに申し訳ないと思うけど、それでも私は……。
「さっき、マキアさんが来てくれたわよ」
「……え?」
「やらないといけないことがあるからって、今日は帰っちゃったけどね。これ、マキアさんから差し入れ」
お母さんが持ってきてくれた手提げ箱には、たくさんのシュークリームが入っていた。
「それとこれ」
お母さんの手には、私が盗られてしまった革製の手帳があった。
「颯太くんが、取り返してきてくれた。颯太くんは直接持ってこられないから、マキアさんが持ってきてくれたんだって」
お母さんは手帳をベッドに置くと、シュークリームを一つ小皿に取って、机に置いてくれた。それから少しは夕食を食べに出てくるようにとだけ言って、また部屋を出ていった。
どこまでも気を使わせてしまうお母さんには、本当に申し訳ないと思う。
弱い私で、ダメな私で、辛い。
私がつまらない失敗をしてしまったせいで、いろんな人に迷惑をかけている。
マキアさん、お母さん、モカさん、クルリちゃん、それから、雨宮くん。
手帳に触れると、慣れ親しんだひんやりとした感触が指に伝わってくる。
少し傷ついている気もするが、汚れなどはない。
ふと、手帳の隙間からなにかが出ているのに気が付いた。
私が使っている手帳の紙ではない。
手帳から引き抜いたものは、淡い水色の封筒だった。
封筒の中身は、一枚のメッセージカード。
そこには、ただ一文、書かれていた。
『明日の、僕たちの配信を見て』
明日は日曜日。
雨宿家の、リレー配信が予定されていた日だ。
その日、雨宿家メンバー四人のうち三人のチャンネルで、配信予定枠が立てられた。




