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許さない。

 根岸のクラスの教室には、人だかりができていた。


 昼休みだからといって、普段から人が集まるわけもない。

 集まっていたのは野次馬。

 話題の渦中にある根岸の元に集まり、耳障りな話に花を咲かせていた。

 根岸が話すたび、クラスには笑いが漏れる。

 もちろん全員がそういうわけではないが、そういう連中がこのクラスに集まってきているのだ。


「相変わらずイカれたことしてるね。根岸」


 僕は楽しげに話をする根岸たちに割って入る。


 話題の中心にいた根岸は立ち上がりかけていたようだったが、僕に気づくなり口元を歪める。そして再び座って椅子にふんぞり返った。


「雨宮じゃん。いいところに来てくれたな。これからちょうどお前のところにいこうと思ってたんだよ」

「ふーん、そうなの」

「お前、紗倉の家とか知らないか? 俺、ちょっと用事があってさ」

「教えるわけないでしょ。バカなの?」


 僕の返答に、根岸はぴくりと眉を動かした。

 周囲の生徒たちもざわつく。クラスカーストでも上位に位置する根岸に、こんな口の利き方をするやつはそういない。

 しかし今の僕は、そんなことに配慮する必要もないほど頭にきている。


 根岸は少し息を吸って間を置き、また笑う。


「教えるわけがないってことは、紗倉の家、やっぱり知ってるんだな。なあ、そう言わずに教えてくれよ。俺とお前の仲だろ?」

「僕と君の仲? 僕たちの関係は、小学生の時に僕が君にいじめられて、不登校になった。いじめっ子といじめられっ子って認識なんだけど。そういう認識であってる?」


 またざわつきが強くなる。

 根岸は少し驚いた様子で目を見開き、ばつが悪そうに周囲に目をやった。


「お、おいおい、人聞きの悪いことを言うなよ。俺はそんなことしてないだろ?」

「安心してよ。別に僕はもう気にしてない。そんなどうでもいい話は、今はいいでしょ」


 言って、僕は根岸の机の上にあるものに目を向ける。


「机に置いてある手帳、紗倉さんでしょ? それを返してもらいに来たんだ」


 根岸の投稿した動画は、胸くそ悪かったが一応見ている。紗倉さん宛に手帳を取りに来るように言っている。

 どこでまでも紗倉さんを傷つける行動ばかりする根岸。いや、再生数や登録者数しか頭にないだけなのか。どちらにしても同じことだ。


 根岸は訳がわからないと言った様子で首をかしげる。


「はぁ? なんでこの手帳をお前に渡さないといけないんだよ」

「紗倉さんのお母さんに頼まれた」


 根岸は驚いたように目を丸くしていた。


 事前にきちんと彩葉さんと連絡は取っている。今の紗倉さんはもちろんだが取りに来られる状況ではない。難しそうなら、無茶はしないでとも言われている。だが、僕は無理矢理にでも返してもらうと約束している。


「お前が、紗倉の親から? お前、マジで紗倉のなんなの?」

「それを、お前に、答える必要があるの?」


 根岸は不快そうに顔を歪める。

 下に見ている人間からお前呼ばわり。根岸みたいなやつにはこういうのがよく利く。


 重ねて、僕は深々とため息を落とす。


「紗倉さんの鞄を盗難して、中から盗んだその手帳。そしてお前は、その内容を無許可に拡散した。これは明らかな犯罪行為だ」


 根岸は頬をひくひくと引きつらせる。


 クラスの喧噪は一層強くなる。


「だ、だから人聞きの悪いこと言うなって。俺はこの手帳を拾っただけで、盗んだりは……」

「紗倉さんが鞄を盗られた場所は、駅から出てすぐだってね。あいにくと、あの地区は最近子どもがよくトラブルに巻き込まれるからって、防犯カメラが増設されている。被害届を出せば、誰が紗倉さんの鞄を盗んだ人間か、警察が調べてくれるだろうね。たとえ顔を隠したりしても、相当用心深く防犯カメラのない道でも選ばない限り、防犯カメラで追うことは十分できる」


 根岸の顔色は、明らかに悪くなる。

 防犯カメラの件ははったりではない。紗倉さんの母親である彩葉さんから聞いている話だが、駅近くの交番に確認したところ、やはり防犯カメラの増設は事実だ。紗倉さんが鞄を盗まれた辺りも、防犯が強化されている地域。


 人気者になって事態を楽観視していたのだろうが、根岸は超えてはいけないラインをいくつも超えた。そして第三者から状況を並べられることで、根岸自身もじわじわとそれを感じている。


 額には薄ら汗を浮かべ、取り繕った笑みを浮かべる。

 そして、机の上に投げ出していた紗倉さんの手帳に手を伸ばす。 


「いやいや、だから俺は盗ってもないし、最初から返すつもりなんだって。この手帳、紗倉に渡しに行くんだろ? だったら俺も一緒に」

「その手帳に触るなよ」


 根岸の言葉を遮り、僕は告げる。


「その手帳は、お前みたいに大して努力もしていないやつが触っていいものじゃないんだよ。お前が遊び回っていたときに、紗倉さんは努力して、積み重ねてここまで来たんだ。その努力をわからないようなバカが、触っていいものじゃないんだよ」


 クラスの空気が、しんと静まる。


「本当に、ふざけるなよ。このゴミクズ野郎」


 その言葉は、これまで口にしたこともないほど、強い怒気に濡れていた。


 廊下の外から聞こえる雑音だけが響き、空間が凍てつく。


 根岸が椅子から立ち上がった。

 その表情にはもう、隠すつもりもないほどの怒りがにじんでいた。


「ほら」


 根岸は、手帳を手放し、投げてよこした。

 紗倉さんの手帳は、汚れた教室の床を転がり、僕のつま先に当たって、止まった。


「お前さ、俺にそんな口を叩いていいと思ってんの? 俺がネットでこんなことがあったって軽く投稿にすれば、お前の家に視聴者が押しかけるかもしれないんだぜ?」


 僕は話半分に根岸の声に耳を傾けながら、紗倉さんの手帳を拾い上げる。

 ほこりがついてしまった手帳の表面を、手で拭って汚れを落とす。


「また昔みたいに、いじめてほしいのか?」


 手帳を拭く手が止まる。

 今の根岸と、過去の根岸。姿は全く違うのに、それでも過去の映像がフラッシュバックする。

 だから、僕は逆におかしくなった。


「僕が高校に入って、お前と小学生ぶりに会ったとき、なんて思ったと思う? お前のことを、どんな風に思ったと思う?」


 高校一年生になったばかりのころ、僕はかつての旧友と再会した。望んでもいない、心の傷とも言える部分。だけど。


「ああ、僕はこんなくだらないやつにいじめられていたんだって。心底馬鹿馬鹿しく思ったんだよ」

「……お前、自分があのときから変わったとでも思ってんのか?」


 振り上げられた拳が机に叩きつけられ、衝撃が教室を揺らす。それは間違いなく、周囲の生徒を、恐怖させた。

 ある者は距離を取り、ある者は小さく悲鳴を上げ、ある者は怯えに体をすくませる。


 でも僕は、なにも感じなかった。

 恐怖も、怯えも、そんな感情は思考の遙か向こう。心根の奥底にあるのは――。


 根岸は威勢よく拳を叩きつけてみせたものの、当の僕が反応を示さないことに顔をしかめているようだった。

 だから、僕は嗤った。


「ねぇ、根岸。覚悟しなよ?」

「……覚悟だぁ? 一体なんの覚悟をしろって言うんだよ。この俺が、お前みたいなゴミ相手に」


 周囲には大勢の生徒がいるにも関わらず、怒気と侮蔑を込めて、根岸は言葉を吐く。

 僕は手帳の表紙にそっと触れる。


「これから起きることはなにもかも、お前が引き起こした結果だ。お前はもう、引き返せないところまできたよ。高校も社会も視聴者も、お前を許しはしない。なにより――」


 僕は、手帳に滑らせた手で、空を掴むように握る。

 その先に、力が灯る。


「妹を泣かせたお前を、僕は絶対に許さない」

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