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どうかしている熱。

 僕は雨の中、ゆっくりと家に向けて歩き始める。


 雨が少しずつ服を濡らしていき、肌に張り付き、次第に重くなっていく。

 コンビニで傘を買ってもよかったのだが、とてもそんな気分ではなかった。


 家の近くの公園前。

 そこまで帰ってきたところで、ポケットに入れていたスマホが音を立てた。


 表示されていた名前を見て、僕は通話ボタンを押す。


「もしもし。おかえり姉さん。もう日本に着いたんだ」

「ただいま。さっき着いたところ」


 通話の相手は僕の姉さん、雨宮真希だ。

 個展で海外に行っていたが、ようやく日本に帰ってきたようだ。

 現在起きていることは姉さんも把握しているが、あちこちから確認が来ていたらしくまともに連絡を取れていなかったらしい。


「それより心愛ちゃんは?」


 姉さんの声には焦りがあった。

 僕は公園に入り、隅のベンチに腰をかけた。ベンチは雨で濡れていたが、すっかりびしょびしょになっていたので気にはしない。


「さっき配信をしようとしていて、モカさんと止めたところ。とりあえず今回大丈夫だったけど、これからはわからない」

「そう……」


 姉さんは暗い声で呟く。

 僕はずっと姉さんに聞きたかった問いを投げる。


「姉さん、姉さんは知ってたんだよね。紗倉さんが昔アイドルをしてたってこと」

「……うん、知ってたよ。もともと心愛ちゃんと会ったのは、あの事の直前だから」


 姉さんが紗倉さんに会ったのは、姉さんと『アップルサイダー』のタイアップがあったからだという。『アップルサイダー』がアニメグッズとコラボした際に、イメージイラストの依頼が姉さん、雨宿マキアに来たらしい。


 そして、メンバーとの顔合わせが終わったあと、がちがちに緊張した女の子が姉さんのところにきた。


「大ファンです! サインください!」


 発売されたばかりの画集をわざわざ書店で新品を買ってきて、サインをお願いしてきたらしい。


 それから姉さんと紗倉さんの交流が始まった。

 紗倉さんの描いたイラストを見せてもらったり、コミケの売り子を手伝ってもらったり。

 イメージイラストは納品され、あとはしばらくあとにお披露目があるだけ。


 姉さんと紗倉さんはまた次に会うときは、絵の話、いっぱいしようね、なんて約束をして別れた。

 しかしそれから間もなく、『アップルサイダー』で例の事件があった。

 『アップルサイダー』は強制的に活動休止を余儀なくされ、もう一度会う約束が果たされないまま、紗倉さんは脱退。しばらくあとに、『アップルサイダー』は解散した。


 しかし姉さんは業界側の人間。事件のあらましは最初から聞いていたらしい。


「それで心愛ちゃんがどうしてるか気になって、連絡を取って、会いに行くことにしたの」


 当時の紗倉さんはまだ家に引きこもっていたとき。


 紗倉さんはひたすら、姉さんに謝罪をしたらしい。

 せっかくコラボしてくれたのに、そのイラストは世に出ることなく終わってしまった。

 そんなこと気にしなくてもいいって姉さんが言っても、泣きじゃくりながら何度も何度も謝罪を述べる紗倉さん。その姿が、どうしてか想像できてしまった。


「でも元気になってほしいからいろんな話をしたの。そのとき、VTuberの話になって、私は勧めたの」

「……それが、僕の配信」


 紗倉さんは雨宿ソーダの配信を気に入ってくれたようで、姉さんと頻繁にやりとりをするようになっていたらしい。人と話すことさえままならなかった紗倉さんがいきいきとしていく様子は、姉さんとしても本当に嬉しかったらしい。

 そして学校にも行けなくなっていた紗倉さんが、また学校に行ってみようと話してくれた。


 そのときにプレゼントしたものが、VTuberのアバターと配信機材一式。


「心愛ちゃんは、昔の颯太と同じだったのよ。嫌なことがあって立ち止まっても、私が描いたVTuberでまた元気になってくれた。私はただ、それが嬉しかった、だけなのに……」


 僕はなんとか今までやってこられた。

 でも紗倉さんの背負っていたものは、僕なんかとは比べものにならないほど暗い過去を背負っていた。そして再び、飲み込まれた。


「私、間違ってたかな……」


 姉さんの声は震えていた。


「また心愛ちゃんに、私の絵が大好きだって言ってくれたときみたいな笑顔を見せてほしくて、私は心愛ちゃんにVTuberの道を示した。でも、こんなことになるなら……」


 姉さんは後悔していた。

 いや、姉さんだけではない。

 紗倉さんも、彩葉さんも、姉さんも、そして僕も。

 みんなが後悔している。

 それぞれが紗倉さんに笑っていてほしかった。ただ、それだけなのだ。

 でも一つ一つの行動がすべて裏目に出て、その結果がこの最悪を招いた。

 

 だけど、そのすべてを間違いだった、最悪だと判断するのはまだ早い。

 まだ、終わっていない。


「姉さん、これから、とんでもない迷惑をかけようと思うんだけど」


 姉さんとの通話を終えたあと、僕はよくやくベンチから立ち上がった。

 

 雨はいよいよ本降りになり、水を吸った服は鉛のようにずしりと重い。

 濡れた服が体を冷やし、早く着替えなければ風邪を引くかもしれない。


「はぁ……雨、冷たいな」


 体に触れる雨が、氷のようだ。凍てつくように、痛いほどに。

 真夏の雨が、季節外れに冷たいのだろうか。

 それとも。


 僕の体が、壊れてしまっているほど、熱いのだろうか。


 どうかしている、そういう、熱。

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