それは音を立てて。
ネットではすでに紗倉さんの過去が掘り返され、あちこちに整理されて並べられている。
僕はそこまで深く知らなかったが、『アップルサイダー』というアイドルグループは、それほどまでに人気で、大事件だったようだ。
ジュニアアイドルグループ『アップルサイダー』。
中学生以下の若い女の子で構成されたアイドルグループ。業界の低年齢化に驚いていたのだが、昔から芸能界ではよくあったことらしい。現在活動しているアイドルグループでも、結成時の平均年齢が13,4歳という普通らしい。
見出されれば、その年齢でも芸能界で戦えるだけの業態になっているようだ。
『アップルサイダー」は大手の一角が、ゆくゆく大人になるまでのアイドルのストーリーを作りたいという企画で動き始めたものらしい。
子役、歌唱、ダンスなど、多方面で活躍できるスキルを持った子どもたちで作られたアイドルグループで、メンバーは五名。
紗倉さんはそんな中でも、バランスよくなんでもこなせる子という立ち位置だった。一般からオーディションで入ったらしく、それまでの経歴はなし。
しかし成長率はダントツということで、メンバー全員から一目置かれていた存在だったらしい。
紗倉さんはなんでもそつなくこなす。
一つ一つのことに手を抜かないし、必要なスキルは必ず仕上げてくる。
歌も歌えて、絵も描けて、配信もできて、ゲームだって初心者から中級者レベルまで十分上達する。
努力を続けること。
それが、紗倉さんの最大の武器なのだ。
他のメンバーもそれぞれに武器を持っていたが、紗倉さんは負けずに食らいついていたらしい。
そして今から三年ほど前、紗倉さんが中学二年生のとき、事件があった。
とある撮影現場で、暴行事件が起きたのだ。
その内容が撮影中のスタッフに紗倉さんが暴行を働いたというもの。救急車を呼ぶ事態にまでなったようで、けが人は一時意識不明にまで陥っていたようだ。
正直、信じられない話だった。
紗倉さんほど優しい心根の人を僕は知らない。愚直でまじめで、ひたむきに頑張る姿を、僕は見てきている。
だけど、紹介されている写真としてジュニアアイドル、ココアは、今より当然幼さがあるが、間違いなく紗倉心愛さんだった。眼鏡はしていない、三つ編みではなくロングストレートと容姿の記号にこそ違いはあれど、間違いなく、紗倉心愛さんだ。タレントとしてやっていた名前はココアだったようだが、それでも紗倉さんであることは確実。
たった一人の、登録者数が十万人にも満たないVTuber。百万人を超えている配信者や、誰でも知っている有名人ならともかく、紗倉さんのようなひっそりとVTuberを始めて二年くらいしかたっていない人に対して、なぜネットがこれほどまでに盛り上がってしまったのか。
ネットの住人は残酷だ。自分のコメントがどれだけ相手を傷つけているのかを想像できない。本人にとっては死ねと悪ふざけで言ったつもりでも、そのコメントが実際に人を自殺に追いやることだってあるのだ。「死ね」なんてキーボードで、かな入力なら二つ、ローマ字入力なら四つのボタンを押すだけ。その押すだけの行為に、どれほどの暴力が込められるかもわからずに。
また紗倉さんの人気は、僕やモカさんたちと関わって、コラボして急成長したという事実がある。出る杭は打たれると言われるように、自分の推しならともかく、推しではない人間が人気になるのは面白くない人間がいるのだ。
ひたむきにまじめに頑張っている紗倉さんの姿を僕や追いかけてきたリスナーは知っているが、そうではない人間はいる。
今回、根岸が投稿した動画がきっかけになり、隠れて不満を持っていた連中がこぞって集まってきた。
タイミングによってはバズることもなかっただろうが、最悪なことに火がついたように盛り上がっている。
僕みたいな人種はこんなこと書かれても知ったことではないのだが、つぶれる人間は、つぶれる。
VTuberに限った話ではなく、テレビに出ている芸能人、モデル、YouTubeの数多の配信者も、炎上によって潰されて話はいくらでも存在する。
僕があこがれたVTuber、太陽カルアさんも。
しばらくは、紗倉さんは事態が沈静化するまで活動を休止してもらうしかないだろう。
「だけど、そうするなら……」
今週の日曜日に予定している、リレー配信をどうするかだ。
どちらにしても来週の金曜日は終業式だ。月曜日から木曜日まで補講期間が続き、金曜日に終業式で夏休み入りする。
高校も休みの期間を入れれば、ある程度落ち着いてくれるだろう。紗倉さんは休み明けまで高校に出てこない方がいいかもしれない。
根岸を紗倉さんに接触させる方が問題だ。
あいつは自分のチャンネルがバズるためならなんだってする。
「僕に、僕は、これから、なにができる……」
オフィスチェアの上で片膝を抱え、少しの間考えにふける。
好き勝手に流れていくSNSの画面を見ながら考えを続けていると、リスナーの一人から連絡があった。
『ココアちゃん、配信しようとしてますけど、大丈夫なんですか?』
「……なに?」
パソコンを操作し、桜木ココアのチャンネル画面を開く。
リスナーが教えてくれた通り、午後七時から配信枠が立てられていた。配信予定として先行して出されているもので、配信開始時間まで、あと十分しかない。
僕はすぐに通話アプリを立ち上げ、紗倉さんに連絡を取る。
ダメだ紗倉さん。それは、やってはいけないことだ。
紗倉さんとは高校で別れたきり連絡が取れていない。でも、配信を始めようとしている、今なら。
しかし、いくら待っても、通話は通じなかった。
開始時間まで、ゆっくり、それでも確実に時間が流れていく。
「紗倉さん、それは絶対にやっちゃいけないことだ!」
僕はパソコンを切ることもなく、スマホだけ持って家を飛び出す。
夕方を過ぎ、夏の午後七時は、すぐそこまで夜が来ている。しかもいつの間にか空は分厚い雲に覆われており、いつ降り出してもおかしくない、雨のにおいがした。
傘があった方がいいかもしれないが、取りに帰っている暇さえない。
僕と紗倉さんの家は電車を使えば一駅で行ける距離。山手線のような間隔ではないので、自分で走ればそれなりに時間がかかる。かといって悠長に電車を待っている場合ではない。
一刻も早く紗倉さんの家に行き、配信をやめなさせなければいけない。
走って紗倉さんの家があるマンションに向かっていると、握りしめていたスマホが震えた。
紗倉さんから連絡があったかと思ったが、違う相手から通話通知だった。
僕はイヤホンをスマホにつなぎ、かかってきた通話に出る。
「弟くん!? ココアちゃん、配信しようとしてるんだけど!」
相手はリアライブルの蒼山モカさんだ。
「わかってます! でも電話に出ないんで、直接家に向かってるところです!」
「私も今、レッスン抜けて向かってるから! 前に遊んだときにマンションまで送っていったから家わかる! あんな配信、今絶対にやらせちゃダメだよ! ココアちゃん、このタイミングでなにを話すつもりなのかな!」
「なにを話しても今、炎上なんて沈静化しませんよ!」
このタイミングでの配信は、どういう形でもプラスにはならない。
ましてや、紗倉さんの配信タイトルは。
『今回の件のご説明』
現状も燃え上がっている状況でなにかを言おうものなら、質問と疑念の嵐に飲み込まれることになる。動画として一方的に発信するならまだしも、生放送で事実説明をするなんて悪手以外のなにものでもない。
走っているマンションに向かっている間に、午後七時になった。
ほとんど遅延なく放送は始まり、そしてオープニングが流れる。
コメントが流れていく。
『ココアちゃん大丈夫?』『この配信大丈夫?』『どんなココアちゃんでも私たちは信じてるから』
好意的なコメントが流れる一方で、確実に、これまでの配信にはなかったコメントが流れていく。
『グループ潰したくせに、よくVTuberなんてやってられるな』『二度配信するな』『アップルサイダーを返せ』『グループメンバーに謝れ』『VTuberやめろ』『消えろ』
悪意あるコメントの数は多くはない。
それでも苛烈なコメントというのは、一般なコメントよりも目についてしまう。意識してみれば見るほど、マイナスの沼にはまっていく。
紗倉さんのマンションが見えてきた。
同時に、桜木ココアのオープニングが終わり、ココアのアバターが映し出される。
亜麻色の長い髪に、桜の花びらの形をした髪飾りが揺れている。白を基調としたブレザーは明るくかわいい装いなのだが、今は弱々しさを表しているように思えた。
「こんばんは。桜木ココアです」
いつもと変わらない声音。ただ普段よりゆっくりで、あまり感情を感じさせない話し方だった。
「みんな、お騒がせしてごめんなさい」
配信を、止められない。
「弟くん!」
脇道から僕と同じようにスマホを手にした猫耳パーカーが飛び出してきた。モカさんだ。
「急ぎましょう!」
やっぱり、この配信はいけない。
『挨拶とかいらんからはよ説明しろ』『アイドル崩れ乙』
これまで紗倉さんが作り上げてきた配信ではまずいない、黒いコメントを打つ連中が紛れ込んでいる。
「本当なら時間をおくべきかと思ったんですけど、早くみなさんに説明をしたくて、配信をさせてもらっています」
かまわずココアは配信を続けていくが、この流れは非常によくない。
配信は配信者とリスナーのやりとりで成立するもの。配信者からの一方通行ではない。
そして本来のリスナーには、こんなコメントをする連中は存在しない。
炎上したことを受けて、攻撃するために集まった連中が紛れ込んでいる。炎上して時間もたてば飽きて他にいく連中も、昨日の今日でまだ居座っている。
深呼吸するような間があったあと、ココアはまた話し始める。
「私は、たしかに昔、『アップルサイダー』に所属していた人間、でした」
言葉を選びながら、配信上で認めた。
それ自体は別にいい。黙っていたところでわかること。
『マジか』『幻滅したわ』『なんでそれでVTuberになったの?』
「私が『アップルサイダー』でやってしまったことは、許されません。多くの人に、実際に迷惑をおかけして、けがをした人がいたことも、事実です」
『なんだよ元芸能人かよ』『コネで体をもらってたの?』
苛烈なコメントが、徐々に増えていっている、気がする。
「でも私は……、私は……」
ココアが、言葉に詰まった。
口数が少なくなり、徐々に話すペースが落ちていく。
僕とモカさんは紗倉さんのマンションまでやってきた。
オートロックのマンション。インターホンに飛びつくようにして、僕は前回来たときに教えてもらった番号を入力する。中から扉を開けてもらわなければ部屋どころかマンションにさえ入れない。
「今配信中でしょ? 出てもらえないんじゃ」
「大丈夫です。たぶんこの時間なら彩葉さんが……」
「はい、紗倉ですけど、あれ? 颯太くん?」
紗倉さんの母親、紗倉彩葉さんがインターホンのカメラ越しに、きょとんとした声を上げる。
「すいません彩葉さん! すぐに僕たちを中に入れてください! こっちの人も紗倉さんの友人です! 紗倉さんに用事があります!」
「え? ええ、いいけど。でも、心愛は今配信しているはずだけど。とりあえず入って」
彩葉さんは現在の状況を知らないようだった。あの子は、大丈夫じゃないときでも、大丈夫なように振る舞えるのだ。今も、そうしているように。
エントランスの扉が開き、そのまま一階に停まっていたエレベーターに飛び乗る。
『人気のあるVTuberとコラボばっかりして、前から気に入らなかったんだよな』『アイドルのときから一人だけ凡人だったし』
止めどなく書かれる中傷。
『消えろ消えろ消えろ消えろ』『やめろやめろやめろ』『黙れ黙れ黙れ黙れ』
スパムメールのようなコメントが急激に増え始めた。画面横のコメント欄をものすごい早さで流していき、悪意あるコメントだけだが、配信を埋め尽くしていく。
あれほど、ココアがリスナーと作り上げてきた楽しい空間が、壊されていた。
「でも、私はVTuberが好きで、VTuberのおかげで、もう一度頑張ろうって思えたから、私もVTuberに、えっと、だから……」
平静を装っていたココアの言葉が、揺れた。
画面に映っていたココアの体も、先ほどから動きが不自然になっている。
スマホを握る手に、無意識に力がこもる。
エレベーターの扉が開き、僕とモカさんは紗倉さんの部屋に急ぐ。
「実は、私にはやりたいことがあって、そのためにVTuberに……」
インターホンを押すと、少し間があって、扉が開いた。
「どうしたの颯太君。そんなに血相変えて」
僕たちを招いてくれた彩葉さんは驚いた様子で目を瞬いている。
だけど今は、事情を説明する時間もない。
僕より早く、モカさんは靴を脱ぎ飛ばしながら部屋に入る。
「すいません失礼します! 弟くん部屋どこ!?」
「突き当たりの部屋です!」
言うが早く、彩葉さんの前を通り、僕たちは紗倉さんのもとに向かう。
紗倉さんの部屋の扉には『配信中』とポップな文字で書かれたプレートがかけられている。
しかしノックをすることもなく、モカさんは部屋の扉を押し開けた。
部屋では一人、紗倉さんがモニターに向かっていた。
ゆっくりと、その配信者はこちらを向いた。
視線は部屋を開けたモカさんに行き、そして次に僕に向かう。
「……なんで、来るんですか……?」
笑顔のまま。
ぽたぽたと、頬からたくさんの涙を流しながら。
「今、今配信中で……」
紗倉さんは止めようとするが、かまわずモカさんは進み、その細く震える肩に両手を乗せる。
「大丈夫。大丈夫だから」
そっと優しく、モカさんは紗倉さんに言う。
それでもマイクは声を拾い、配信に乗る。
『え、もしかしてモカちゃん?』『親フラ?』『違うモカさんだ』『モカさんが来た』
特徴的できれいな声をしているモカさんの声は、すぐにリスナーたちに拾われる。
「なんで、来ちゃうんですか……っ」
紗倉さんの声がはっきりと震える。
桜木ココアをやっていた人物が、紗倉心愛に引き戻される。
無理矢理押さえ込んでいた、虚勢、見栄、恐れが、表面上に表れていく。
再び流れ出した涙が、ぽたり、ぽたりと、また落ちる。
「ぅ……うぁ……」
声にならない音だけが響く。
モカさんは、マウスを持っていた紗倉さんの手に自分の手を重ねる。
「すいません。みなさん。蒼山モカです。雨宿家のお姉ちゃん担当です」
軽くおちゃらけて見せながら、モカさんは続ける。
「今日のココアちゃんの配信はここで閉じさせてもらいます。せっかく来てもらったのにごめん。ね、ココアちゃん」
人の配信枠で勝手すぎるようにならないように計らないながら、モカさんは紗倉さんに確認する。
「……ご、ごめんみんな。また、次はちゃんと、する、から」
その言葉だけを絞り出すのが、今の紗倉さんの限界だった。
「はい、そういうわけでみなさん、今日の配信はここまで。またねー」
言って、モカさんは配信ツールを操作して配信を終了させた。
念のためすべてのツールを切られる。
「モ、モカさん……わ、私……」
「大丈夫。大丈夫だからココアちゃん」
なにか言葉を紡ごうとする紗倉さんだが、それを遮るように、モカさんは紗倉さんを抱きしめた。
「うぁ……うわああああああああああ!」
悲痛な慟哭が、耳を焼いた。
一人の少女が、時間をかけて築き上げてきたものが、瞬く間に、音を立てて崩れていった。




