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あつあつのソーダを一杯。

「あつー……」


 がちゃがちゃと金属音を響かせるバッグを肩から提げ、僕は六月の蒸し暑い街中を歩いていた。

 梅雨前線から出てきた雨雲が一週間近くも居座り続けていたが、ようやく抜けてくれて今日は快晴。久々に晴れ間が差した今日この休日、僕は重い機材がぎっしり詰まった鞄とともに体を引きずっていた。


 事前に告げられた住所は、僕の家から電車一本で行ける場所。郊外にある大型マンションで。ガラス張りの外観に高級感あふれる佇まい。ここだけどこからか切り取ってきたように、周囲の建造物よりもひときわ存在感を放っていた。

 こんな場所に自分が来るなんて場違い感も甚だしい。自動ドアを通り抜けると、涼しい空気でエントランスが迎えてくれる、


 備え付けられている操作パネルで部屋の番号を入力し、インターホンで目的の住人を呼び出した。


「は、はい」

「あちあちのソーダをお持ちしましたー」

「す、すぐに開けますのでっ」


 返答とともに、エントランスの扉が開いた。僕は鞄を背負い直し、マンションの中へと足を進めた。

 訪れた大型マンションの中でもかなり高層に位置する一室。

 部屋の前まで来るよりも先に、バンと勢いよく扉が開いた。


 ひょっこりと顔をのぞかせたのは、高校では毎日同じ教室で勉学に励み、自宅ではネットを介して頻繁にやりとりをしている少女だ。

 いつもはお下げにしている黒髪をほどいて、ふんわりと肩に流している。部屋着なのか薄緑色の柔らかなワンピース姿なのだが、それでいて品の良さを感じさせる装い。普段地味な装いばかりしている彼女の姿からはあまり想像ができないものだった。


「わ、わざわざごめんなさいっ」


 部屋から飛び出してきたワンピース少女、紗倉さんは、ぺこぺこと頭を下げながら初手から謝ってきた。


「いいよ。僕たち、意外に近所に住んでたんだね。電車一本どころか、一駅でいけると思わなかった」

「ぐ、偶然って怖いですよね」 


 言いながらも、いつもの黒縁眼鏡の向こう側で紗倉さんの目は泳いでいた。世界水泳ばりに泳いでいた。

 なにか言いにくい隠し事でもしているのだろうか。とはいえ、外気で沸騰寸前になっていた僕にそんなところに突っ込みを入れる元気もなかった。


「それで、お邪魔してもいいのかな? 一応、持ってこられるものはいろいろ持ってきたんだけど」

「だ、だいじょぶです。こちらこそ、よろしくお願いします」


 紗倉さんが住んでいるマンションは、外観だけでなく内装もなかなかに立派な造りとなっていた。

 玄関の奥からはアロマのような甘い香りが漂ってくる。全体的に明るいクリーム色の内装が広がっており、整理整頓掃除が行き届いた室内だった。

 入って少し進むと大きなリビングが広がっており、大きな机と四つの椅子が並べられていた。ダイニングキッチンにもなっており、戸棚にはおしゃれな食器が丁寧に並べられていた。

 一人暮らし中で雑に片付けているだけの僕の家とは、雲泥の差だった。


「私の部屋はこっちです」


 案内された部屋は、マンション一室の一番奥の角部屋だった。


「お邪魔します」


 迎え入れられた部屋は、明るかった。

 リビング同様によく整理された、八畳ほどの部屋。全体が明色を基調に作られた部屋のようで、壁紙は白色で統一され、少し開けられた窓から入る風がライトグレーのカーテンを揺らしていた。

 小さな本棚が一つと、教科書類が並べられた学習机が一つ。クローゼットも備え付けられており、高層マンションのことからもわかる通り、いくらかは裕福な家柄なんだと理解できた。


 そして部屋の一角だけが、異質な構成になっていた。

 学習机よりもずっと大きい机に、大きなモニターが二つとタワー型のパソコンが一台。ピンク色のオフィスチェアに、机には白いキーボードとマウスが置かれている。

 さらにヘッドホンがかけられたアームや、それなりにお値段のするマイクやオーディオインターフェースが整然と並べられた。

 きちんと、配信者の部屋をしていた。


「おうちの人は?」

「お父さんもお母さんもお仕事で出てます。お母さんはそのうち帰ってくるかもしれないですけど、今は私一人ですよ」

「マジかー。せめてお母さんとかがいるときとかに呼んでほしかったなー」

「な、なんでですか?」

「僕が途端にむらむらして紗倉さんに襲いかかる可能性だってあるじゃん」


 きょとんと、紗倉さんは首をかしげる。


「マキアさんから、弟は不能だから大丈夫って聞いてますけど」


 ばたんと僕はフローリングに倒れ込む。

 あの姉はいったい僕についてどんな話をしているのか。昨日話したときは、「心愛ちゃんに手を出しちゃだめだぞ」とか言っていたくせに。


「それに……」


 床に突っ伏す僕に、紗倉さんはくすりと笑った。


「雨宮君がそんなことをしてくるとは思ってませんよ。そこは信用してます。でないと、さすがにクラスメイトの男の子を一人で家に呼んだりしません」

「……それはどうも」


 なんとも言えない気分になり、僕はのそのそと体を起こしながら、持っていた鞄に手を入れる。


「とりあえずこれ、つまらないものですが」


 言って、僕は鞄に一緒に入れていた包みを差し出す。


「……これ、何駅か先の駅前に新しくオープンしたバームクーヘン屋さんのやつでは」

「よく知ってるね。せっかくお邪魔するから、昨日買ってきた。姉さんの差し入れついでに買ってきたもので申し訳ないけど」

「そんな、今回も私のことをお願いしてしまっているのに……」

「いいのいいの。こればっかりは得意不得意があるし、VTuberだって誰でもできるわけじゃないんだからさ」


 持ってきた鞄から、ばらばらと機材を広げていく。

 鞄から取り出したものは、必要な機材と工具の数々である。


「それじゃあ、始めさせてもらいますか」


 パソコンのアップグレードだ。



 僕が今日、紗倉さんの家を訪れたことにはもちろん理由がある。

 事の発端はクーも交えた三人の初コラボ、SS配信を行ったときのことだ。


「なんか、ココアさんの動き、不自然じゃない?」


 一時間ほどSSをプレイしていた際に、次のゲームマッチの待機中にクーが唐突にそう言ったのだ。


「なんか、時々キャラの動きが、テンポが遅れてるような。あと、キャラが突然瞬間移動しているような気がするんだけど」


 僕は正直クーの動きについて行くだけで精一杯で、ココアのキャラクターの動きにまで気が配れていなかったのだが、経験値の高いクーはすぐに異変に気づいたようだ。


「ご、ごめんなさい。しばらくプレイしてなかったので、下手でゴミで申し訳ないです」

「いや、そういう話でもなくて……」


 クーは少し言いよどんでいたが、言わないわけにもいかないと判断したのか、口を開いた。


「ココアさん、パソコンのスペックと回線速度、教えてもらっていい? 裏でいいから」


 結果、回線速度は問題ないのだが、ココアのパソコンのスペックが現行のSSには足りてないことがわかったのだ。

 正確には、足りなくなった、ようなのであるが。

 現代のゲームは後々アップデートが行われて更新されていく。グラフィックはよくなり、キャラクターやアイテムは増えていく。

 故に以前は大丈夫でも、現在においてはスペックが足りなくなることが起きうるのだ。 

 紗倉さんのパソコンの場合は、明らかに足りないわけではない。ただ、VTuberとして配信しながらではスペックが足りないときがあるようなのだ。ただでさえ配信は複数のソフトを同時に起動して行うもの。オンラインゲームまで同時に起動したことで、スペック不足が顕著になったのだ。グラフィック設定でもある程度軽減はできるが、それでもこれは、というレベルだった。


 しかし発表している以上、「パソコンのスペックが足りなかったから大会辞退しますっ、てへぺろ」なんて言えるわけはない。

 だから急遽、僕が紗倉さんのパソコンのアップグレードに来たのだ。

 紗倉さんは新品を買うとか言い出したのだが、まだ買い換えるほどスペックが悪いわけでもないので、僕がかき集められるだけでパーツをかき集めてきた。


「まあ、ほとんど姉さんが使わなくなったパソコンのパーツをもらってきただけなんだけどね」

「そ、そのパソコンのパーツ取ってきちゃって、大丈夫なんですか?」


 バームクーヘンを冷蔵庫にしまい、代わりに麦茶を取ってきてくれた紗倉さんは顔を引きつらせながらそう言った。

 僕はせっせと紗倉さんのパソコンからパーツを外していき、パソコンデスクの上に並べていく。


「姉さんはパソコンオタクだからね。わりと頻繁に新しいパソコンを買い換えてるんだ。持ってきたパーツも、割と新しいものなんだけど、使ってないパソコンから取り外してきたから大丈夫」


 新しいもの好きの姉さんはたびたびパソコンを購入している。イラストレーターとして活動するだけなら極端にハイスペックなパソコンは必要ではない。ただイラストを描く上でストレスは嫌とのことで、可能な限り新しいパソコンがほしいそうなのだ。

 もともと紗倉さんのパソコンも、紗倉さんがVTuberを始めるときに姉さんが提供したものだと聞いている。まだ二年かそこら前の話なので、それほど古いというパソコンではない。ただ下手にとんでもスペックのパソコンを渡したというわけでもなかったようだ。姉さんもその時点でどんな配信者になるかなんてわからなかっただろうし、それは仕方ない。


 とりあえずSSをするに当たって問題になりそうな部分を、一つ一つ交換していく。

 パーツを交換しながら、僕は部屋に飾られていたポスターに目を向ける。


「紗倉さんも、立派なVTuberオタクだね」


 壁に貼られたポスターは、もう卒業してしまったVTuber、太陽カルアさんのもの。

 紗倉さんは少し恥ずかしそうに笑いながら頬を掻いた。


「カルアさんは私が初めて見たVTuberだったんです。マキアさんが描いているVTuberで、すごく人気だったとき、こんな世界があるんだって感動しました」


 太陽カルア。

 VTuber黎明期に爆発的人気を博した人物で、ボイスチェンジャーを使って女性の声を出している人だ。その中の人は卒業してずいぶんたっているにもかかわらず謎のまま。当たり前だが名乗り出る人はおらず、おそらく、今後ずっと現れない。

 オレンジ色を基調にした制服。小麦色の髪にベレー帽。一面のひまわり畑をバックに、姉さん、雨宿マキアが描く最大の魅力、晴れやかな感情で笑う一人の少女。


 それから。


「こんな僕のでっかいポスター、よく持ってるね。少し前に姉さんがコミケで出したものだっけ」


 太陽カルアさんのポスターの隣には、僕、雨宿ソーダのポスターもあった。

 晴れ間がのぞいている雨空の下で、セーラー服姿の美少女が、傘をさして笑顔でジャンプしている。黒髪ロングにスカートからのぞく細い足、誰がどう見てもかわいい女の子キャラクター。胸はぺったんこに描かれているのだが、これでは到底、男の子だって言っても理解してもらえないだろう。


 僕もカルアさんも、バーチャルの美少女の肉体をまとうVTuber。バ美肉VTuberだ。姉さんはカルアさんとのつながりを頑なに話してくれないが、おかしな因果もあったものだ。

 その後の妹、桜木ココアがきちんと女の子であったことに僕は相当安堵したものである。

 雨宿マキアというイラストレーターが色物絵師にならずに済んだのだから。姉さんはけたけた笑って喜びそうな気もするが。


「あ、そうだこれも見てください」


 紗倉さんは嬉しそうに顔をほころばせながら、本棚の一角に飾っていたものを持ってきた。銀のフレームに収められたそれは、かつて姉さんがイラストレーターを務めていたライトノベルがアニメ化したときのアクリルポスターだった。しかも姉さんの直筆サイン入りだ。


「これこれ、昔マキアさんにもらったんです。サインまで入れてわざわざ持ってきてくれて」

「へぇ、姉さんからすごいファンサ受けてるね。いいじゃん。なかなかのお目にかかれるものじゃない」

「そうでしょうそうでしょう。私の一番の宝物なんです」


 にっこにこな紗倉さんは、何度もアクリルポスターを見返してご満悦である。

 高校では相当地味な装いをしている紗倉さんが、普段着はずいぶんおしゃれでかわいい女の子である。そんな彼女が立派なオタ活をしているところはなんというか面白い。


「というか、そんなアクリルポスター、どうやってもらったの?」


 よく考えたら姉さんがイラストを描いていたラノベがアニメ化したのは三年ほど前だったはずだ。紗倉さんが桜木ココアとして活動し始めたのは二年ほど前。活動より以前に姉さんからアクリルポスターをもらえる間柄とは、姉さんの熱烈な追っかけでもしていたのだろうか。


 僕の質問に紗倉さんは途端に肩をぎくりとさせる。


「え、えとーその、ちょっとイベントで仲よくなったときに、お願いしたらくれたんですよ……はい……」


 なんとも曖昧な回答をされてしまった。

 とてとてとアクリルポスターを本棚に戻しに行く紗倉さん。

 あまり触れられたくないその様子に、僕は特に追求はしなかった。


 僕だって、過去のことを聞かれるのは好きではない。

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