二人は同じ罪を犯しています。
僕が志摩桐也と出会ったのは、高校に進学してすぐにことだった。
小学生の高学年から中一まで不登校だった僕にとって、一年生の始まりというのは小学校以来の一大イベントだった。中学は入学式すら出席しなかった。
入学式を終え、割り当てられたクラスに散らばって集まる面々。これから一年間をともにするクラスメイトたちだ。
直近の配信にて、高校に進学することを告げた上で緊張しっぱなしだった僕をリスナーが必死に励ましてくれたのはいい思い出である。
『絶対に大丈夫』『友達ができるから』『彼女作ったらチャンネル登録解除します』
『当たって砕けてこい』『次の配信で結果を教えてください』『私もこれから頑張ってきます』
当時はまだまだ登録者数も少なかったけれど、中学生として配信している僕には同年代のリスナーが多くついてくれていた。同じ中高校生として悩みを抱えながら周囲には打ち明けづらい。そんな面々は僕のチャンネルに引きこもって一晩中雑談に興じたこともあるくらいだ。
とにもかくにも、僕の高校生活は、意外にもあっけなくスタートした。
と、思われた。
いや、たしかに初日は順風満帆に見えたのだ。
問題が起きたのは、入学して二日目。
新しい学び舎でこれから一年をともにするクラスメイト。ほとんどのクラスメイトたちが隣に座る人が誰かもわからない状況。
自己紹介があった。
名前、出身校、趣味や特技など。
たかだか一分にも満たない時間で、クラスメイトが一人一人、自分のことに触れていった。
自らの声を発した。
ただ、それだけのことだった。
名前が雨宮なので出席番号は早い順番。
真っ先に順番が来てひどく緊張していた僕は、震える声を押し隠し端的に自己紹介を行った。
「雨宮颯太です。中学は西中で、趣味は特にないですが、最近は料理にはまっています」
一概にネット関係の趣味には触れづらかったので、当時始めたばかりのご飯を食べるだけの配信用に作っている料理のことについて触れた。
特に取り立てて面白みのある自己紹介ではない。
軽い拍手が起こり、僕は席に座った。
自己紹介が終わり、休憩時間。
僕はなんだかんだで緊張して火照っていた体を冷ますために、ふらふらと校舎の外まで歩いていた。
すると、後ろから一人の男子生徒が追いかけてきた。
高校一年生から髪を目立つ金色に染めた、高校入学当時ですでに垢抜けた様子の男子生徒。
正直見た目からチャラくて、関わり合いになりたい手合いではなかった。
しかしそいつは、すでに僕と関わり合いがある人間だったのだ。
「おう、雨宮君? 君、VTuberの雨宿ソーダ君でしょ? 俺、志摩桐也。キリシマって名前で切り抜きさせてもらってるんだけど」
と、頭が真っ白になることをさらりと告げたのだ。
「で、それからこいつとのつながりがリアルでも始まったってわけ。イカれてるでしょ」
「いだだだだ! や、やめい! 悪かったって! 俺にも悪気はないんだって!」
僕にコブラツイストで締め上げられた桐也は苦悶の声を上げながらじたばたしている。
屋上から一変、いきなりばれてしまった紗倉さんとともにパソコン室に引っ込んだ僕たち。
紗倉さんに以前僕が身バレしたことを話しながら、僕はぎりぎりと桐也を締め上げる。
「つ、つまり、なんでばれちゃったんですか?」
プロレス技をかけている僕に、紗倉さんはこれでもかというほど口を引きつらせて尋ねてきた。
しかし僕が答えるより先に、桐也が体をぷるぷる震わせながら親指を立てた。
「声だよ。俺、声の聞き分けにだけは自信があるんだ。颯太も君も、一声聞けばどこの誰だか一瞬でピンと来たね」
そう、志摩桐也の耳は、厄介なことに非常にいいのである。
僕は自己紹介時に一言話しただけで僕だと気づき、先ほども小さな声だけで気づく厄介っぷりだ。
そんな耳があるのであれば音楽業界が向いているのではないかとも思ったが、本人が選んだのは声豚。アニメや映画の声優を幼少時からたしなみ、そして現在は芸能人よりもずっと距離が近いVTuberにご執心なのだ。
「つうかそろそろ話ででででで! や、やめーい! この高校では暴力行為は三日から五日の停学処分、最悪の場合は退学とかもあり得るらしいいいいいいい!」
「貴重なアドバイスありがとう。でもこれは暴力じゃなくてファンサービスだよ。嬉しいよね、Vオタなら」
「これが女性だったら悶絶ものだったけどお前じゃああ嬉しくなあああああい!」
「気づいたのは仕方ないじゃん! 不可抗力じゃん!」
「気づかないふりをして。それがマナーとデリカシーってもんだよ」
「無理無理無理! 中の人に出会って素面でいられるほど、俺のオタク魂は甘くないぞ!」
開き直る桐也にげんなりしながら、僕は桐也から離れた。
「ああ、紗倉さんごめんね。気にせず座って。ここ、僕ら以外人来ないから」
部屋のすみでがたがたと震えていた紗倉さんだが、僕が椅子を引くと、桐也に警戒しながらも腰を下ろした。
僕もすぐ側の椅子に腰を下ろすと、反対側に座った桐也の視線から逃れるように、椅子ごと僕の後ろに移動してきた。
震える手で僕の袖を引きながら、桐也に聞こえないようにぼそぼそと告げてくる紗倉さん。
「あ、雨宮君、あの人怖いです……っ」
「知ってるよ」
そんなことは一年も前に知っている。
たまたまデビューした配信者が長い間聞き続けてきた特徴的な家族のものだったら、なんて話は一応存在する。
しかし、一言二言聞いたところで、自分が視聴している配信者であると気づくなんて普通ではない。僕たちの声だってキャラだって、現実で聞くのとパソコンを通して聞くのではかなり違うのだ。普段から配信と同じトーン、テンションで話しているわけでもないし。
「自分が知らない人に、いきなり配信者のことを詰められるなんて、恐ろしすぎます……っ」
「んーそうだねー、とりあえず鏡見ようか」
僕はつい一ヶ月前に同じパンチを食らってるんだよなぁ……。つまりこの部屋には二人も同罪の罪人がいるのだ。
リアルとデジタルの棲み分けをしっかりしてもらいたいものである。配慮しろ配慮。
コブラツイストのダメージが残っているのか脇腹の筋肉をさすりながら、桐也はくつくつと喉を鳴らす。
「いやー、しばらく前に颯太が紗倉のこと聞いてきたんだけど、そういうことだったんだな。腑に落ちたよ。颯太がリアルの人間に興味示すなんておかしいと思ったんだ」
「桐也は僕をなんだと思っているんだ」
「お前日常的に意識がデジタルの世界にあるやつだからな。リアルは上の空でいっつも昨日の配信のこと、それから今日の配信のこと考えてるやつだ」
「それはそっちだって同じだろう。いつも切り抜きのネタ探してるくせに」
「俺はVTuberが輝いてる瞬間を切り取ることに命をかけてるからな。現実なんて片手間だ!」
筋金の入りのVTuberオタクな様子に、紗倉さんがええっと体ごと引いている。
見た目がチャラい高校でも目立つ存在だが、話してみると意外に真人間で明るく親しみやすい性格で通っている桐也。男女問わず人気者なのだが、オープンオタクであるため若干距離も開けられているという複雑な状態なのである。
「リアル凸して会ったって初コラボのときに言ってたのは聞いてるけどさ。同じ高校で同じクラスってどんな偶然だよ」
「す、すごい偶然ですよねっ」
やや食い気味にうなずく紗倉さん。よく考えれば、これは偶然で片付けていい問題なのか? なにか僕の知らない力が働いている気がしないでもない。
「それにしても」
僕の思考を打ち切って、桐也は机に乗り出し、マジマジと紗倉さんをのぞき込む。そして紗倉さんは僕の陰に隠れる。
「颯太と最近コラボしているきゃぴきゃぴ女子が、まさかこんな、その、あれだ。うん、あれだとは思わなかったな」
「もう少し言い方ない?」
まあ僕も同じこと思ってるけどさ。
クラスでは陰のオーラをまとい、三つ編みお下げに眼鏡と地味な要素をもりもりにしている陰キャ女子が、まさかネットの世界で騒ぎ倒している女子高校生VTuberというのも信じがたいものだろう。
桐也の心ない一言に、びくりと震わせる紗倉さん。
それからちらちらと僕に視線を送ったあと、体を縮こまらせて俯いた。
「やっぱり、おかしいですかね……。私みたいなのがVTuberしてるのは……」
不安げに呟く紗倉さんに、桐也はきょとんとした様子で首をかしげ、そしておっと声を上げた。
「ああ、悪い。そういう意味で言ったつもりじゃ、いや言ったんだけど」
「言ったな。桐也君サイテー」
「いやいやちょっと最後まで聞けや」
桐也は側に置いていたノートパソコンを開いて立ち上げる。
そしてディスプレイにYouTubeのホーム画面を開いてこちらに向けた。
「これ、俺の登録しているVTuberね」
表示されている一覧を自動でスクロールさせていくが、どこまでいっても終わりがない。その9割以上がVTuberだ。
「うわぁこわ」
「ひぇ……」
「怖いって言うな! 俺の推したちだぞ!」
一見チャラ男なやつがVTuberにここまでお熱なのは、紗倉さんとしても驚きだったようだ。少し引いている。
近年、VTuber人口は数万にもなり、数々のブームを巻き起こしながら新たなVTuberが今日も生まれている。
「これだけVTuberがいても、VTuberの中の人は普通外に出てこない。知り合いがそうだってパターンは俺たちみたいにあることだけど、その顔がネットに流れることもまずない。本人がわざわざ身バレする情報を出すこともないからな。それがVTuberが一般の配信者と一番違う部分だ。VTuberにとって2Dや3Dのモデルは必須だ。なりたい自分になるための武装。それがVの体、アバターだ」
桐也の言葉に次第に熱がこもってくる。
「女子だって化粧はするしおしゃれもするし整形だってする。芸能人なんてすっぴん顔をテレビにさらそうものなら炎上するレベルだ。男だってひげ生やしたままじゃ清潔感がないって嫌われるし、かっこよく見られたいから体を鍛えたりもする。それがVTuberにとってはアバターだってだけのことだ」
言いたいことだけ言い切って、桐也は紗倉さんに目を向ける。
「紗倉が実際には陰キャっぽいけどネットで陽キャしてるのだって、意外だとは思ったけど、悪いとは思ってない。身なりに気を遣うのと一緒。自分を見てもらいたい人に、見てもらいたい姿を届ける。いいじゃんいいじゃん。それがVTuberのいいところなんだから」
「まあ、素の顔さらしてたら話しにくいやりにくいこともいっぱいあるしね。いちいち容姿のこと突っ込まれるのも面倒くさいし」
「マジそれな。俺なんてSNSに顔出せばデートの誘いが狂喜乱舞だぜ」
「聞いてないよ唐突な自慢止めろ」
実際、古参実力者切り抜き師、キリシマの中身がイケメン高校生ともなればお声かけもたくさんあることだろう。桐也も高校生であることは公言している人間なのだが、ネットではそれ以上の情報は出してない。一部では根暗いじめられっ子なんじゃないかと噂されることもあるが、本当はイケメンなのだから腹も立つ。
桐也はにやにやと笑ったあと、パソコンの画面を見て、目を輝かせた。
「俺はVTuber大好きだからさ。YouTuberもそうだけど、配信者は自分自身を伝えていくもの。自分の知識、経験、思い、やりたいことや願いを、配信に乗せて伝えていく。自分が望む姿で、自分が作った世界観で。すべてが作り物だけど、ただの作り物では絶対に伝えられないことを、バーチャルの世界を通して伝える。VTuberは誰にでもできることだけど、一人一人、その本人にしかできないことが、必ずある」
純粋に好き。
桐也の言葉には、そのすべてが詰まっている。
僕たちの動画を切り抜く切り抜き師は、ノートパソコンを閉じ、そっと自らの仕事道具に手を添えた。
「俺はその瞬間を切り抜いて、ネットの世界に残していく。これからVTuberのファンになる人が、これまでファンだって人が、いつでも楽しい時間、好きな時間に出会えるように、俺たちはこれからも切り抜きを続けていく。だから!」
バンッと机を叩き、桐也は僕たちの方に体を乗り出した。
「これからも期待してるぞ! VTuber!」
真っ直ぐ向けられた言葉に、僕と紗倉さんは顔を見合わせ、そして笑った。
おかしくなって、笑ってしまった。
「あ、おいなんで笑うんだよ。俺は真剣だぞ!」
「知ってる知ってる。馬鹿にはしてない」
「わ、私VTuber頑張ります。もっともっと、切り抜き師さん動画ネタを提供できるように、面白配信頑張ります」
「い、いや、そんな気負われても、困るけどね? 別に普通に配信してくれればそれでいいんだぞ?」
言うだけ言って恥ずかしくなってしまったのか、桐也は腕を組んでそっぽを向いた。
志摩桐也という人間は、切り抜き師である前にどうしようもなく、一人のVTuberファンなのだ。




