雨宿家の家主は自由である。
『最高だった!』『88888888』『またこのコラボ待ってます!』
『モカちゃんとココアちゃんの歌かっこよすぎた』『滅茶苦茶よかった』
『お疲れ様でした!』『楽しかった!』
コメント欄も大盛り上がりで、正直コメントを拾うのも大変なほどの勢いで流れている。
キリシマ『ソーダ空気だったけど頑張ってたよ』
とキリシマからコメント。
やかましいわ馬鹿野郎。
しかし知り合いのコメントだけは色が付いているので嫌でも目に入り、思わず突っ込んでしまう。
「いや二人ともお疲れー」
「お、お疲れ様でした!」
「二人とも大部分ありがとうございました」
ハモリ以外はすべてココアとモカさんに全振りというなんとも情けない歌枠だった。キリシマの言うとおり、大部分空気で存在もない人間だった。
モカさんはミュートにすることもなくグビグビとお茶を飲み、やり切ったという風にぷはぁと息を吐く。
「今日の配信がよかったと思う人は、この配信に高評価、それからチャンネル登録を、ココアちゃん、ソーダくん、私の方も、ぜひぜひお願いします」
「よろしくお願いしますっ」
頬を紅潮させ、額に汗を浮かべたココアも、熱のこもった言葉を吐き出す。
さすがに業界トップレベルVTuberのモカさんの影響力は驚異的だ。僕のチャンネルもチャンネル登録者数がどんどん伸びていく。
「あっ、チャンネル登録者数五万人超えました!」
スマホで自分のチャンネルの登録者数をチェックしていたココアが驚いて声を上げる。
「マジですか」
本当にイカれてやがる。
「うおおおお、おめでとうー」
モカさんもぱちぱちと拍手し祝福。現在見ているリスナーからも続々とメッセージが届く。
『五万人おめでとー』『驚異の伸び率』『本当に実力?』
『これはコネがひどすぎでは?』『これからも歌枠楽しみにしてるよー』
『8888888』『『だって歌最高だったもの! 当然の結果!』
様々なコメントが流れていく。中には否定的なコメントをしているものもちらほらいるが、まあ視聴者数が増えれば様々な考えを持っている人も集まってくる。
実際、やっかみたくなるほどココアの登録者数の伸びがすごいので仕方がない。
雨宿マキア『ゴゴアぢゃん! おめでどう!』
珍しくうちの姉もコメントしている。なんか血の涙を流してそうなコメントだ。
「マキアさんありがとうございますぅ! ううぅ!」
ココアはココアで感極まって泣き出しそうな勢い。
もともとチャンネル登録者を十万に増やしたいという考えから僕に声をかけてきたココアだ。
僕に声をかけてきた四月中旬時点で三万人ほどだった登録者数が、五月初めの時点で五万人を突破したのだ。線グラフにすれば線が折れるほどの勢いだ。
「うんうん、これはめでたい。実にめでたい」
満足げにうなずくモカさん。
そしてそのまま、再びマイクに向かった。
「ちょうどいいタイミングなので、今回の歌枠を最後に、ここで一つ告知をしようと思います」
配信の終わりに宣伝や告知を挟むのは定石だ。一つの配信で終わらせるのではなく、次や後の配信に続けていく。リスナーやファンをつなぐ有効な方法だ。
「おお、事前には聞いてないですけどなんか発表できることあったんですか?」
「モカさんの新発表、え、僕たちも聞いてないんですが」
本来ならサムネイル画像の一つで用意して配信画面に挟むのだが、事前になにも聞いていなかったので用意ができていない。ココアも言葉では乗り気だが、少し口を引きつらせている。
なにか、不穏な予感がするが。
「おほん、では発表します」
咳払いをし、少しためを作って、モカさんは言う。
「リアライブル所属の蒼山モカ、雨宿家のお姉さん枠に就任することが決定しました!」
「「……」」
僕とココアはそろって閉口。
顔を見合わせ、首をかしげる。ココアもまったく同じ反応をしており、事前になにも聞いていなかった様子だ。
『マジで!』『企業所属のトップが雨宿家に加入すんの?』『これはビッグニュース!』
『お姉ちゃんあとから増えてて草』『複雑化する家庭環境』『ソーダ君とココアちゃん困惑してない?w』
勘の鋭いリスナーがいるな。いや、それほどまでに僕たちが沈黙してしまったのだろう。
「あの、そんな重大発表、僕たち聞いてないんですが?」
「だいじょぶ。家主に許可もらってきたから!」
家主……? 家主ってだぁれぇ……?
そんな疑問が頭によぎっていると、たくさんのコメントに混じって、名前の入ったコメントが流れていった。
雨宿マキア『雨宿家家主の、この私が許可したもんね!』
「あんたかああああああ! なんで言わないんだよおおおお!」
僕は姉に通話をかけたい衝動に駆られる。
雨宿家は僕とココアで考えて立ち上げたグループだが、たしかに家主と言えば雨宿家の母とも言える雨宿マキアになってしまうかもしれない。
「えっと、つまり、養子ってことですか……?」
事態を飲み込めていないと思われるココアが、相当ずれた発言をする。
『養子草』『ココアちゃんそこじゃないっす』『血のつながりなんてあるわけないじゃん』
『モカさんのママはマキアさんじゃないよね?』
リスナーも知っているとおり、雨宿マキアを母に持つVTuberは、現在僕とココアだけだ。以前は僕が大ファンだった太陽カルアさんも姉さんが描いていたが、卒業した今となっては、僕とココア二人のみ。
モカさんの体を描いている人物は、間違いなくトップレベルのイラストレーターだが、姉さんとはまったく違うタッチの人である。
たしかにもはや養子としか言えないようなつながり。いや争点はそんなところではないのだが。
しかしモカさんはふふんと胸を張る。リスナーには当然見えてないが、大人感のあるふくよかな胸が自信ありげに強調される。
「これこれっ、この髪のリボン!」
指さされるのは配信画面にあるモカさんのアバター。
猫耳少女であるモカさんのアバターだが、長い銀髪が大きな白いリボンで結わえられて胸の方に流されている。その大きなリボンのことを言っているらしい。
「これ、マキアにデザインしてもらったものなの!」
「血のつながりうっす! つうかそれつながりになりますかね!?」
リボンに血なんて通ってないでしょ。
もともとのアバターは、別衣装であっても同一のイラストレーターが描くことものなのだが、小物やアクセサリーは友人やゲストにデザインしてもらうことはときどきある。
姉さんとモカさんのママはリアルでも友人らしく、モカさん自身も友人であるためデザインすることになったらしい。
『これは立派な血のつながり』『否定できないね』『年上お姉ちゃん、これは捗る』
しかしいい意味でも悪い意味でもノリがいいのがリスナーという存在である。どんな無理矢理理論でも面白ければそれでいいのだ。
雨宿マキア『家族が増えて嬉しいねソーダ! 三姉妹でお姉ちゃん嬉しい!』
「本当にイカれてやがる」
呆れて男女とか否定する気にもならない。
いや、僕が冗談で作っているグループにバケモノVTuber加入するなんて、拒否云々以前に戸惑いしかないというに。
「私一人っ子なんで、ずっとお姉ちゃんが欲しかったんです。エセお姉ちゃんじゃなくて本当の!」
「ねぇ、もしかしなくてもエセお姉ちゃんって僕のこと?」
僕の疑問を無視し、ココアは拳を握って恍惚とした表情を浮かべる。
「モカさんがお姉ちゃん! 本当によろしいんでしょうか!」
「当たり前だよココアちゃん! これからもよろしくね!」
しかしこういうときに臆さず乗りかかるのが、リアルではド陰キャなのにバーチャルではノリのいいココアさんなのである。
もはや話し合いの余地もなく、ココアとモカさん、そしてリスナーの団結により、雨宿家に蒼山モカさんが加入することになったのだ。
本当にイカれてる。
「どういうことですかね……モカさん……」
配信終了後、僕は改めてモカさんを詰めていた。
「てへぺろっ」
きらっと星を飛ばしながら、小さく舌を出して笑って見せるモカさん。正座させられているにも関わらずモカさんはいたずらがばれてしまった五歳児のように悪びれていない。腹立つけどかわいいからなこの人。
モカさんが飛ばしてきた星が僕の額にこつんとぶつかるが、手で払い落としてモカさんを見下ろす。
「事前になんの相談もなく、どういうつもりですかね。僕たち高校生のお遊びグループに、VTuber業界トップのあなたが入ってどうするんですか?」
「ちょ、ちょっと落ち着いてソーダ、雨宮君……」
「そうだぞー、雨宿家をお遊びグループなんて言うから、心愛ちゃんがおかんむりだぞー」
「いえ別にそこはいいんですけど……」
紗倉さんも正直まだ混乱しているところがある様子で、僕とモカさんに挟まれてわたわたしている。
話が混沌としていてまともに会話が進行しない。僕は頭が悪いなりに回転の速さにはそれなりに自信があるのだが、思考力の限界に挑戦させられているような気分だ。胃が痛くなる。
配信上、さすがに無理ですとは言えない流れだったため、僕と紗倉さんも戸惑いながらも受け入れるという選択をした。
だがしかし、言うならばこの状況は、インディーズバンドに音楽業界のスーパースターが電撃参加したような未曾有の状況だ。正直、お互いにメリットこそあれど、デメリットも発生し得ない状況だ。
僕や紗倉さんはトップレベルと比べられて批判される可能性があるし、モカさんは学生の遊びに付き合うなと揶揄される可能性だってある。
聴衆はいつだってその場の雰囲気で発言するし、責任の有無なんて気にすることもない。
おちゃらけた態度をとっていたモカさんだが、足を崩してその場にちょこんと座り直した。
「まあまあ、そんな冗談ってつもりでもないんだって。私の仕事が一段落して、少し時間が空けられそうだったからさ、ちょうど別分野の開拓をしようかなって考えてたの」
「別分野……、たしかにほとんど社会人のモカさんと僕たち学生では配信の種類もだいぶん違いますけど」
「そそ。私ももっと低年齢層を開拓しないといけないと思ってたし、リアライブル以外のつながり作っておきたい時期だったのだよ弟くん」
どんな時期だ。と思わなくもないが、モカさんにはモカさんで、人気者には人気者の悩みがあるの、かもしれない。
「それとマキアから二人を手伝ってやってほしいって頼まれたのが八割くらいだけど」
割合でっか。もうちょっと自分のハコのこと考えてあげてよ。相変わらず自由な人だ本当に。
しかし、一度配信で表に出してしまった以上、やっぱり嘘と取り下げることは困難だし、それはそれでリスクが大きい。
ネット民は、誰の間違いを許しはしない。ましてや自分たちが信奉している存在の間違いなんてもっての他。
愛が一瞬で憎しみに転換される。過去の記憶が思い出され、自分に与えてきた幸福があるだけに、一度の裏切りだって許せない。そういう人間がいるのだ。
こうなってしまえば、どちらにしても後には引けない。
やるからには、モカさんにも協力してもらって、そのあとはまあ……。
適当に、フェードアウト、でどうにかなるかなぁ。
僕は深々とため息を落としながらよろめき、防音壁にもたれかかった。
「とりあえず、リスナーから文句が出ない程度で雨宿家に協力をお願いします。僕たちは僕たちで、モカさんに見劣りしないように頑張ろう」
「か、かしこまりました」
「私も了解! もうバリバリコラボ入れていくつもりだからこっちこそよろしく!」
気合い十分という様子で張り切るモカさん。
そして、僕たちが見ていない、見ることさえできないどこか遠く見据えて、笑った。
僕たちがリスナーとして見ている蒼山モカのアバターと、生身のモカさんの姿が重なった。
「私は、この大好きなVTuberって業界を、もっともっと盛り上げていきたいんだ。たくさんの人に見てもらって、数え切れない人に感動を与えて、一人でも多くの人に、私たちに出会えてよかったって思ってもらいたいから。だから二人も協力してね。私たちが、私たちを盛り上げるために」
きっとそれが、モカさんが雨宿家に入ることにした理由だったのだろう。
これが一般のアイドルや芸能人なら、相手に勝ちたい、相手を蹴落としたいと考えるところだろう。生き残れるかどうか。仕事がもらえるかなのだから。
しかしVTuber業界でよく言われることに、一般業界と違うものがある。
それが、みんなで業界を盛り上げていきたい、VTuber全員が仲間であるという考え方だ。
まだまだできて間もない、十年と経っていない業界。
今でこそずいぶん大きくなったが、それでも、今よりさらに盛り上げていきたい。そう考えるVTuberは今でも多い。
モカさんは普段からその考えを公言している代表的な人だ。
僕たちとコラボをすることも、僕たち雨宿家を盛り上げること。それが大きな理由となっているのだろう。
そうこうしていると、配信デスクに置いていたモカさんのスマホが小さく音を立てた。
「あ、いいタイミングで来た。お寿司頼んでおいたんだ。私がごちそうするから食べてって。ほらほら二人とも、早く早く」
言うが早く、モカさんはスマホを片手に足早に部屋を飛び出していく。
僕と紗倉さんは顔を見合わせ、お互いに笑みを落とした。




