抜けなくて
ジュースなどの空き瓶に指を突っ込み、抜けなくなった経験がある人も少なくないだろう。では、もしそうなってしまった場合、対処法としてどうしたらいいのか考えてみよう。
たいがいは、指と瓶の間に石鹸水や油を流し込み、軽く引っ張れば、今まで抜けなかったのが嘘のようにスルリと抜ける。これが定説であり王道。
しかし、この方法で抜けなかった場合、どうすればいいのかわかる人はいるだろうか。いるならば、ぜひ私に教えてほしい。
何を隠そう私も、抜けなくなってしまった一人なのだから──。
ことの発端は先程、朝の目覚めの習慣として、瓶のサイダーを一本、飲み終えたことからはじまる。
心地良いゲップを奏で、何の気無しに、その空き瓶の穴を見ていたら、男性の闘争本能なのかスケベ根性なのかわからないが、無性に指を突っ込みたくなった。
最初は人差し指で試してみた。けっこう余裕でセーフだったので、調子に乗って中指でチャレンジしてみたら、見事に抜けなくなってしまったのだ。
だが私は慌てずに、台所にあった食器用洗剤を用い、極限まで摩擦を軽減させ指を引っ張った。でも、抜けない。
その後も、サラダ油やボディーソープ、シャンプーにリンス、お忍びでアダルトショップに足を運び、購入したローションに至るまで、ありとあらゆる「摩擦軽減ヌルヌルグッズ」を試したが、びくともしなかった。
もうすぐ、会社に行かなくてはならないので気は焦る。だが、焦れば焦るほど抜けなくなるような気がしたので、とりあえず笑いながら引っ張ってみた。やっぱり抜けない。
私は仕方なく、抜けない方の手をスーツのズボンに突っ込み、そのまま家を出て駅に向かった。
瓶の大きさで、ズボンがモッコリ。さらには手まで突っ込んでいるので、端から見るとさぞかし滑稽な姿だろう。
好奇の目に晒されながらも、私は電車に乗り込んだ。調度ラッシュ時を迎え、人混みの中に紛れれば、何とかこの卑猥な部分は隠すことができる。そう思っていたが、その考えは甘かった。
私の前にいたOL風の若い女性が、何やらもぞもぞと動いたかと思えば、その直後、私を鬼の形相で睨みつけた。
そして、私の手をむんずと掴み、駅に停車したと同時にそのまま引っ張り、私は目的の駅に着く前に引きずり降ろされてしまった。
「この人、痴漢です!」
近くにいた駅員に、女性はそう叫んだ。
私はその言葉を聞き、はっと気付いた。恐らく満員電車の中で、ズボンの中の瓶が女性の尻を、お触りしてしまったのだろう。女性が怒るのも無理はない。なにしろ、尻にモッコリを押し当てられてしまったのだから。
だが、このモッコリは、仮のモッコリであって、残念ながら本来の私のモッコリではない。話せばわかると思い、言い訳をしようとしたが、次々と駆け寄ってくる駅員に、私は直感的に「ヤバイ」と感じた。
そして私は、逃走するべく路線上にダイブし、そのまま走り続けた。
「何でこんな目に遭わなければならないのだろう」と思いながら。
どれくらい走っただろうか。ようやく逃げ切った私は、公園のベンチで一休みをした。そしてふと、今だに抜けない瓶を見る。
こんなにも、ジュースの瓶が憎らしく見えたことなどなかった。瓶を振り上げ、地面に叩き付けようとしたが、なんか痛そうだし、怪我をして病院に行くことにでもなれば、それこそ馬鹿だ。
──病院?
そうだ病院だ。ここは恥を忍んで病院へ行き、瓶を抜いて貰えばよいのではないか。最新医療を持ってすれば、この瓶を抜くことなど、宇宙の中の一秒にすぎない。
そういえば、公園の前の道を挟んだ向かい側に病院が見える。私は、いてもたってもいられなくなり、病院という名のパラダイスを目指し、道路に飛び出した。
だがその直後、私は木の葉のように宙を舞い、そしてアスファルトを舐めた。そう、安全確認を怠った私は、車にはねられてしまったのだ。
身体は動かず、意識は遠のき、どんな状態なのかも把握できない。ただ、私の周りに人だかりが出来はじめていたことだけは、何となく雰囲気でわかった。
みんな、私の指を見てどう思っているだろう。私は瓶に指を刺したまま、晒しものとして死んでゆくのだろうか。そう思いながら、意識は途絶えていった。
どれくらい眠っていたのだろう。私は、病院のベッドの上で目を覚ました。どうやら一命は取り留めたようだが、頭をはじめ、体中に包帯を巻き、我ながら情けない姿だった。
だが幸いなことに、私は生きているようだ。
不幸なことをひとつ挙げるとすれば、瓶がまだ指から抜けていないということだけだろうか。
(了)