蕭何だよこの人!
ツェトデーエフ三星系。
帝国領と連盟領を繋ぐエーテル航路のチョークポイントに存在する三つの星系の頭文字から取られた通称である。
どの星系も元は植民地星系だったが、初代大帝の時代に独立とそれに続く住民投票により帝国領へ編入され、大帝の死後に連盟の武力侵攻によって再併合された歴史を持つ。
だから帝国の国内法では、この推定人口二十億人と言われる広大な星系は、初代大帝の時代から三百年以上、あくまで不当に占領されている帝国領のままだった。
私は今その三星系の中でも帝国領側に位置し、もっとも親帝国勢力が強いと言われるゼベディオス星系の首都惑星、ゼベディオス・アインの自治政府官庁舎に仮に設置されたいささか手狭な総督府にいた。
帝国総督府に相応しい壮大な宮殿を新設すべきだ、と言う声もあったけど、どう考えても無駄だし現地からの反発も買うだろうから、最低限の機能を備えた新しい庁舎を急ピッチで作らせている最中だ。
ゼベディオス・アインの人口は約七億。そしてその人口のほぼ八割が惑星上の陸地のわずか1%以下の土地に住んでいる。
この地域による人口の偏りはゼベディオス・アインだけに限った話ではなかった。
万年単位の時間を掛けて人類が分散して居住地域を広げて行った地球とは違い、ほとんどの植民惑星では人口の大部分は惑星の開拓初期に作られたいくつかの開拓基地が元となった都市とその周辺に極端に集中している。
残りの土地は農業や漁業、資源採掘に活用されているだけで、この人口の集中は、各星系の広大さとは裏腹に、軍事的な制圧のし易さを意味していた。
星系周囲のエーテル航路と惑星上の主要都市を抑えてしまえば、それで大抵の惑星は支配権を確立する事が出来るのだ。
そもそも大規模な地上戦を行ってまで奪い合うべき土地がほとんどの場合存在しない……多分それがこの帝国と連盟との戦争がそこまで凄惨な流血の応酬にならなかった理由の一つだろう。
三星系奪還作戦の最中から三星系の中でも特にこのゼベディオス・アインは念入りに占領政策を進めていたので、私が総督として赴任しても特に目立った混乱や反発はなかった。
「まあだからって全然暇な訳じゃないんだけどね……」
地元の政治団体が主催する社交パーティーから疲れ切って帰還した私はぐったりと執務室の自分のデスクに突っ伏した。
正式に総督としてここを職場にする事になって以降、私は連日何かの式典やらパーティやらに出席するか、あるいはあちらから山のようにやって来る希望者と会談する事がほとんど仕事の九割を占めるようになっている。
まったくどこぞの政治家だの市民団体のリーダーだの企業グループの会長だの、三星系が帝国の勢力圏になった途端に露骨に接近してくる人達の何と多い事か。
彼ら彼女らのほとんどはこの土地が連盟の勢力圏であった頃は当然のように連盟の統治に協力していた事は分かっているんだけど……ひとまずその辺りの事は一切咎めない事にした。連盟統治への協力は罪に問わない事も布告している。
何しろこの先三星系の統治をつつがなく行うのにも、将来的に三星系を独立させるのにも、現地の既得権益層の協力は不可欠だ。
いくら私が総督として絶対的な権力を有していても、いきなり改革の大ナタを振るったりしては行政が立ち行かなくなるには目に見えている。
と言う訳で私は明らかに小物な人物達(実際にステータスを見てみても7割方は見るべき物が無い)とのコネ作りに勤しむと言う何とも退屈な仕事に勤しんでいた。
エアハルトやエウフェミア先生は総督艦隊の整備と拡充のための軍務で忙しくて総督府にはいない事が多いし、帝都や公爵領から連れて来た官僚達はだいたい実務専門で私の相談に乗れるような人はいないし、面会して来る人間の多くは小娘である私を侮っているのが伝わってくるしで、現状かなりフラストレーションが溜まる環境だ。
「こんな事なら軍人だけやってる方が楽だったなあ……」
一人でそう呟きながらデスクの上で先生から送られてきた資料を見る。
総督艦隊を三個艦隊に拡充し、さらにそれを本国からの補給に頼らないで運営するために必要と思われる諸々の施設と物資量の想定だった。
艦隊一つで千五百隻から二千隻。それが三個艦隊となると五千隻以上。
これらの定数は基本的に戦闘艦のみで、それぞれの艦隊に随伴する後方支援を担当する輸送艦や工作艦、揚陸部隊を含めるとその艦艇数と人員はさらに膨れ上がる。
それらを支える後方の補給・整備・補充の安定した自給自足態勢を整えようと思うと、それは三星系全体と言う巨大な政治区域を持ってしてもなお、一大改造計画と言ってもいい抜本的で統合的な軍備計画が必要になる……と言うのが先生の見立てだった。
何しろ致命的な問題として現状、三星系の中には軍需工場はあってもそこで生産されているのは連盟で使用されている兵器なのである。
それらの膨大な数の規格に合わない工場を帝国向けの物に変更する事一つだけでもどれだけの手間と時間とコストが掛かるのか……気の遠くなる作業になるのは私でも簡単に予想が付く。
その計画の実行には間違いなく地元の工業界の全面的な協力が必要で、今私が毎日行っている会談、会議、社交にも大きな意味はあるのだけど……問題は実際に全体的な計画を立ててそれを実行する事を任せられる人材がいない事だった。
何しろ複数星系間に跨って工業を改造しようと言う事業だ。一惑星内で企業を経営したり、惑星一つの領地を管理したりするのとは訳が違う。
帝国側から連れて来た人間にも、地元の人間にもそれを任せられそうな人間はいない……もちろん私自身ではとても無理だろう。
エアハルトか先生に任せれば何とかしてくれるのかも知れないけど、この先の事を考えると二人は軍事面に集中させたいからなあ……
……そんな風にあれこれ考えながら突っ伏していたらいつのまにか眠ってしまっていたらしい。
私は誰かが部屋に入ってくる気配で目を覚ました。
「あ、すみません。お休みでしたか……秘書の方にこちらの部屋に案内されたので……」
入って来たのは先生と同年代程度に見える若い女性だった。軍服では無くスーツを着ている。
気弱そうな表情の細身の女性だ。
「あ、いえ、ごめんなさい。えーっと……」
私は慌てて体を起こすと記憶を呼び覚まそうとする。この時間帯の面会客は……確か地元の造船企業グループの代表だったかな。
経営者である両親が事故で亡くなって若くして事業を継ぐ事になった女性、と言う経歴が目を引いたので少しだけ記憶に残っている。
私は椅子から立ち上がり姿勢を正した。
皇帝陛下から派遣された総督と言う身分だから別に座ったままの対応でいいんだけど、相手の方が年長だし、ここは長年の共和主義が根付いた土地だ。尊大な態度を見せていい事は無い。
「えーっと……ゼベディオス合同造船所のマリー・ヴァランタン取締役社長、でしたね。初めまして、ヒルトラウト・マールバッハです」
「はい、よろしくお願いします」
私が握手を求めると彼女も手を出してくる。
その様子にはこちらに対する警戒はあっても敵意は感じない……しかしこんな気弱な様子で大会社の代表が務まるんだろうか、と少し不安になってくる。
でも若くして要職に着いている訳だし一応能力確認……
統率65 戦略80 政治97
運営100情報89 機動16
攻撃14 防御25 陸戦21
空戦10 白兵7 魅力88
「……マリーさん?」
私はそのまま空いている方の手も出して、両手でぎゅっと堅く彼女の手を握り締めた。
「は、はい?」
「やってみませんか?」
「え?な、何をです?」
「総督府軍需政務官」
「え……?」
マリーさんは当然のようにその姿勢のままぽかんと口を開けて固まった。
蕭何だよこの人!




