警句
「三星系の独立とは、どう言う意味か?」
「説明させて頂きます」
さすがに私は緊張しながら、三星系の独立とそこから連盟との長期的な講和へと至るプロセスを———それは実際にはエウフェミア先生が提案し、ティーネ達と共にさらに細かな部分について調整を加えた物そのままだったが———陛下に説明した。
陛下は戸惑った表情をしながら、それでも言葉を挟む事無く私の話を最後まで聞いている。
「余にも分かりやすい説明ではあった。筋が通っているとも思う。だが、数百年の間、大義を掲げ、膨大な血を流して争って来た星系を手放す事を大貴族や民達はどう思うであろうか?そち達も分かっておろうが、この国で最も力を持つのは皇帝である余ではない。偉大なる大帝アルフォンスこそが未だに絶対であり、その版図と栄光の回復を成し遂げようとする行動こそが、何よりも正義とされ、それを否定する事は代々の皇帝と言えども許されなかった。三星系を独立させるとは、その帝国の国是、もっと言えば国のありようその物を否定する事なのでは無いか?」
そう話す陛下の声は冷静だった。しかしわずかに唇が震えている気もする。
「その通りです。でも、もし大帝がこの場におられたら、三星系にこだわって延々と血を流し続ける現状をどう思われたでしょうか。三星系を独立させる事が帝国と連盟、双方の人々のためだと言い切って、堂々と三星系を手放させたのではありませんか?」
いつかの先生の言葉の受け売りだった。
「それは」
「帝国は結局の所、大帝の意思を継ぐと言いながら、本当の所は大帝の幻影に惑わされ、国を誤ってしまっているのではありませんか?」
「そうかも、知れぬ。しかしだ。帝国に住む者達のほとんどは、そちほどには目を開かれてはおらぬだろう。いや、例え半数がそち達の言う所を受け入れたとしても、残り半数が受け入れなければ国が割れる。それほどに大帝の栄光と言う物は、この国では重い」
「でしたら私が」
そこでティーネが口を開いた。
「この私、クレメンティーネ・フォン・エーベルスが大帝アルフォンスを超える英雄として帝国の人々の心を惹き付けて見せます。そして私自身の栄光でこの国を大帝の幻影から解き放ち、そしてこの国のあるべき姿を思い出させて見せます」
他の人間が言ったのであれば笑い出したくなるような自負に溢れた言葉。
自分がこの国と銀河の歴史を動かす事が出来る人間だと微塵も疑っていなければ出て来ないような言葉。
それを堂々と、しかも陛下相手によどみなく言い切るティーネの姿を見て。
ああ、やはり私はどうあってもこの子には敵わないのだな、と改めて私は確信する。
どれだけ成長したつもりでも、どれだけ私に手を貸してくれる人間が増えても。
多分そもそも人間として持っているエネルギーの量のような物が根本から違うのだ。
私の役目は、せいぜいがこの子を補う事だけなのだろう。
「豪気な事であるな」
陛下はほんの一瞬ティーネと正面から目を合わせ、そして気圧されるように少し目を逸らすとそう答えた。
「恐縮です」
「エーベルス伯。そちは確かに大帝アルフォンスを超え得る英才かも知れぬ。そんな人間に対して余のような平凡な者が本来は何かを言うべきでは無いのだろうな。だが、平凡ながらもこの国の頂点に数年立った者として一つ助言をさせてくれ。どれほど優れた支配者であろうとも、国一つの全てを己の意のままにする事は決して出来ぬ。もしそう出来ているように見える支配者がいるとしても、それは単にそう見えているだけであろう。いわんや、それが銀河を二分する二つの国であるならば、だ」
陛下がこの人らしくもなく少し強い口調で語った。語りかけている相手はティーネだが、私の方にも視線を向ける。
「私には無理だと言われるのですか?」
ティーネが不服そうな顔を見せる。
「そうとは言わぬ。ただ、あまり一人で気負い過ぎるな。そう言っているだけであるよ。そちには良い部下と友が数多くいるようだからな」
陛下はまたすぐに穏やかな口調になった。ティーネは少しだけ鼻白んだようすだ。
それから、二人でいくつかこの先の事について陛下にお願いをし、私達は庭園を後にした。
「思った以上に陛下が私達の考えに寄り添って下さって助かりましたね」
廊下を歩きながらティーネが微笑みながら言う。
「ええ」
私は生返事を返した。ティーネ自身は陛下に言われた事を特に気にした様子もないようで、機嫌も良さそうだ。
陛下はどうしてあんな事を言ったのだろうか、と私は考えていた。
あの人はかなり自分の発言に慎重だ、と言う事は私にも分かっている。恐らく一言一言に熟慮を重ねた上で、実際には自分が言いたいと思った事のほとんどを口に出さないような人だろう。
それでも敢えてティーネと、そして私を諫めるような事を言ったのには何か深い意味があったのだろうか。
私は正直ここまでくれば後はティーネにほとんど全部任せて後は彼女をサポートするだけでいいや、と思っていたけど……
「この先、帝国内の事は私が主になってどうにかします。三星系の事はしばらくお任せしますよ、ヒルト」
ティーネは私の思案には気付かないようで、明るい顔を向けて来る。
「え、ええ、そうね。どれぐらいの期間になると思う?」
そう言われ、私は思考をひとまず目先の事へと引き戻した。
「三星系はまだしも、帝国内の大きな所は停戦期間中に片付ける必要があるでしょうね」
「やっぱり、ある程度血が流れる事は避けられないと思う?」
「反発する貴族達の大部分は、自ら率先して兵を挙げようとするほど思い切れはしないでしょう。私も敢えて彼らを挑発しようとは思いません。問題はごくわずかな武断派、強硬派です。そして彼らが扇動すれば、それに乗せられる者もいる。彼らに関してはどうしても、三星系独立の計画が表に出る前に退場してもらわなくてはならないでしょう。実際に既成事実が出来る前に三星系の帰属を論点にされれば、例え陛下の支持があっても彼らが勢いづく可能性は高いですから」
ティーネの口調は冷たく、断定的な物だった。
大貴族達の中にも手を携えるべき人間もいる、と考えるようになったと言うのは嘘ではないだろうけど、それとは別に彼女が無能、邪悪と見做す人間に対してはやはり彼女は冷徹だ。
はっきりと名前は出さないが、それでも三星系における戦いでの暴走を始めとする数々の愚行から、ツェルナー子爵を始めとした貴族艦隊の一部の提督達の事をティーネが帝国に対する害悪と見做すようになっているのは伝わってくる。
「それに、ヒルトも分かっているでしょうけど、連盟との長期的な和平には、完全に統制の取れた軍は不可欠です。停戦を結んだ所で、司令部の指示を無視して勝手に戦端を開く可能性のあるような者達をいつまでも提督にしておく訳にはいきません。現在の貴族艦隊と中央艦隊の二つで混成された戦略機動艦隊の構造は抜本的な改革が必要でしょう。そしてその改革は、恐らく私が行おうとあなたが行おうと彼らは徹底的に反発する。遅かれ速かれ、ですよ」
「まあ、そうだろうけど」
「不満ですか?」
ティーネが意外そうな顔をした。
「あまり身内から犠牲を出すとクレスツェンナが可哀そうだな、と言うのが一つ。それに」
「それに?」
「私はツェルナー子爵の事がそんなに嫌いじゃないのよ。確かに問題のある人間だとは思うけど、生まれ持った地位が悪かっただけで、平民に生まれていれば、勇敢でバカで、それなりに周りに愛されるそこそこの軍人になったと思う」
「ヒルトは優し過ぎますね」
ティーネは微笑んだ。
「そうかな」
単に私は、人が持って生まれた恵まれた環境だけで、どれだけ歪む事があるのかを知っているだけだと思う。
他ならぬかつての私がそうだったのだ。
「出来る限り穏便に済むようには努力します。あなたやクレスツェンナが説得を試みると言うのならそれもいいでしょう。それでもどうしようも無かった時は、恨まないで下さいね」
「分かってるよ。本当にどうしようもないなら、私が何とかする覚悟だって決めてる」
ティーネなりに相当に妥協してくれている、と思い私は頷いた。
やはり彼女は、ただ覇気に溢れた激しいだけの人間ではなく、柔軟で、そして本質的には恐らく善良で優しい人間でもあるのだろう。
彼女にこの帝国を任せる事が間違いな訳がない……陛下の警句はきっと大した意味は無いのだ……私は自分にそう言い聞かせた。
三日後、ティーネが宇宙艦隊副司令長官へ、私が三星系総督へ任命される人事が発表された。




