虹ワタリ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ほお、虹の写真集か。これはなかなか、目の保養になるきれいさだなあ。
知ってのとおり、虹は空気中の水滴が太陽の光が反射して見えるものだ。自然の中だと、晴れから雨、雨から晴れが急激に訪れることで、見やすい条件が整う珍しいケース。
昔の人にとっては、それこそ神様の思し召しとも思う、不思議な現象ともとらえられただろう。それが空に架かるや、つい足を止めて見入ってしまう者がいるのは今も昔も変わらないと思う。
虹はギリシャでアリストテレスの時代には、すでに物理現象のひとつだと知られていたらしい。彼は自著の中で「虹は我々の視線が太陽に向かって反射するものである」と書いたようだ。
いわば視線によって虹ができる、という考えになるだろうが、実は私の地元でも視線が虹を作ると伝える話が残っているんだよ。
こーちゃんのネタのひとつになるといいが。
むかしむかし。
私たちの地元にあったある村では、子供が生まれて目を完全に開くころをむかえると、連れて行かねばならない場所があった。
霊峰と言われていたらしいが、峻厳さからはちょっと遠めの低い山。冬場にも葉の生えた針葉樹がふんだんに生えた、緑多き山だったらしい。
しかし、見た目で霊力を判断するのはまだ二流。その山はこの地で生まれた子供を連れて上ると、ほぼ確実に登山途中で天気雨に降られたらしいのさ。
山の中腹から山頂まで降り続けるも、その道程はさしたる時間もかからない。身体をある程度湿らせこそするものの、昼間ならば登りきったときにはもう乾くことを始めているだろう。
そうして山のてっぺんから、周囲を見下ろす景色の中で、連れてきた親は自らの子にかなたを見やるように促す。
田園を越えてはるか先、青く連なる山々と、その谷となる部分を器のふちのようにして、水をたたえる海の姿を。それらをまばたきすることなく、しばし視界に収めるようにね。
親の言いつけを受ければ、子供は素直にそれに従う。見開いた眼に、遠くの海の水に浮かぶきらめきが、跳ね返る頃合いで。
すうっと、空に浮かび上がり始める、五色の橋。
虹だ。私たちの地元では昔より、虹は五色とたとえている。藍色や紫を青に統合してしまうらしくてね。
子供が目を見開けば見開くほど、虹はより鮮明にその姿を浮かべていく。しかし、わずかにでもまばたきをするなら、虹はたちまちかき消えて、再び子供が目を凝らすまで登場はお預けとなってしまうんだ。
雨をくぐった霊峰の頂でのみ可能となる、この虹の浮かび上がらせは、当時の成人たる12、13の子供あたりになると、いくら頑張っても行えなくなってしまったのだそうだ。
そのぶん、その年に満たない子供たちにとっては半ば義務のようなもので、定期的に親へ連れられて、虹を灯す練習をさせられたのだ。
雨をくぐる際に、ある程度目を保護されるのか、地上にいるときに比べて長くまばたきをしない時も、さほど苦にはならなかったのだとか。
大人たちが話すに、これは鍛錬なのだという。
周期は正確ではないが、およそ10年ごとに、この地域では「ワタリ」の時間を設けることにしているのだとか。
ワタリは文字通りの「渡り」。あの虹を橋代わりにして、ここと向こうを行き来する者たちの助けをしてやるのだとか。
山の頂より見る虹は、人間が見る限りだととある田畑の真上へ位置するに過ぎないが、その見通せない端と端とは、ここではないどこかにつながっている。
そこにいる者も、時には旅をしたくなるんだ。そのための足を、自分たちは用意してやるのだと。
その兆しは、10年目を数える年の朝焼けによって告げられる。
本来、白んでいく夜明けの空が、夕焼けもかくやというほど赤く、赤く染まる。それを見た各家の大人たちは、寝ぼけまなこな子供たちを起こして、すみやかに霊峰へと連れていくんだ。
霊峰は、変わらぬ小雨でもって彼らを出迎えてくれる。ほどよく湿った水の衣もそのままに、子供たちは頂へ並ぶ。
村中総出の大事業で、子供たちは幾人かの班に分かれて、交代の休みを挟みながら一日中を山の上で、かなたを見やりながら過ごす。
件の虹を、片時も消すことがないようにだ。浮かばせるのはじわじわとでも、消えるのは一瞬だ。いかにまばたきをせずにいられる時間が長くなっていても、意図せぬ瞬間に訪れる可能性はある。
少人数に橋の維持を任せるのは困難だ。ゆえに誰かがまばたきをしても、その時の重なりによる悲劇をかわすために、幾重にも予防線を張っておく必要があったんだ。
この日ばかりは、子供たちが村の上位に立つ。
他の仕事も彼らの世話も、周りの大人たちが全部こなした。
時間はこの夜明けより、陽が暮れてあたりに光がなくなるまでだ。子供たちも入れ替わりがあるとはいえ、楽な経過をたどるとは限らない。
あまりに目を開きすぎていて、体調の不良を訴える場合もあった。そうして出る一時的な欠員は、他の者への負担を増やすもの。避けなくてはならない。
子供たちに己の仕事の重さを教える意味でも、この行事は続けられていたとか。
江戸時代には、かの山も霊力を失ったのか。子供を連れても雨が降ることはなくなり、いくら目を開いていても虹が浮かぶことはなくなったらしい。
それまでに伝わる失敗の例によると、昼頃からの天気の急変により、万人の目を閉じさせるような、砂交じりの雨が降ったというんだ。晴れ渡った空のままで。
子供たちがたじろぎ、誰一人目を開けなくなったとき、虹はたちまち消え失せた。
同時に、足元に広がる田畑の一部が、いっぺんに緑から紫へ色を変じたのだという。空から落ちた大きな一滴が、瞬く間に自らの色で染め上げたような、広がり具合だったとか。
浴びた草たちは、それを意に介していないかのように、吹きすさぶ風に身をそよがせる。だが紫色はそのそよぎに合わせて、四方へぐんぐんとその版図を広げ、たちまち眼下の緑を消し去るに至ったのだとか。
色が戻るのに、さしたる時間はかからなかった。
しかし、その年の田畑は生えた葉などの色はいつもと変わりないのに、人が触れることがかなわなかったとか。
身体のどこかしらが触れたとたん、まるで元から灰で作られていたかのように、崩れ落ちてしまい風に吹かれていってしまった。
あらゆる作物が同じ道をたどり、自らの飯を外より仕入れるしかない、大出費な年となったのだとか。