11月30日(水)時を刻む音と月夜と、生田
カッコッ カッコッ カッコッ
静かに、ほんと僅かな音で時を刻む音。
その音を聞きながら、あたしは「長い猫」と名付けた抱き枕を抱きしめる。毛布を頭から被りながら置き時計の秒針を見つめる。
もうすぐ今日が終わる。そのことを名残惜しく思いつつも、明日からへの決意を考える。
昨日、先輩の家に行って鍋を2人で食べた。
色々とはさ? 色々とはね? 何かあたしの勘違いとかもあったかもだけど、先輩も喜んでくれたと思うんだ。
ウメちゃんも手術後だから心配だったけど、ちゃんと元気だったしさ。
でもなんかさ?
なんかね、あたしの気持ちだけで突っ走っちゃたかな? って今更思う。
先輩はきっと……、とか思ってウメちゃんを押しつけちゃったし、先輩の優しさにつけ込んじゃったかなぁ、って思う。
でも……あたしは……
ぐるぐるとあたしの頭の中を、ぐるぐると色々な想いとか考えとか、気持ちが駆け巡る。
カッコッ カッコッ カッコッ
規則正しく時を刻む音。
さっきサラちゃんと近況報告? みたいな感じで短い電話をした。
「今まで自身の内側ばかり見て走っていた気がします。
でも足踏みばかりで、あの、それは予備動作でしたか。
でも……、ちゃんと、やっと一歩踏み出せた気がします。
これからはちゃんと彼を見て歩もうと思います。」
『ちゃんと彼を見て歩む』
その言葉が印象的だった。
あたしも、
あたしもちゃんと先輩を見つめたい。ちゃんと真剣に向き合いたい。
ちゃんとあたしの想いを伝えたい。
それでダメだったら……
ううん、それでダメだったとしてもいいじゃん。
だって想いはちゃんと伝えるんだし……
カッコッ カッコッ カッコッ
今朝のことを振り返る。
なんか昨日の今日だから、昨日の今日だけど、だから
今日は平常通りにしようと、いつもの自分らしくしようと、そう思いながら出勤した。
朝一に偶然にも、八洲君と同じエレベーターになった。
「お!
おっはよう、八洲くん!」
「ん、あぁ……、おはよう。
……生田桃花、一つだけ宣言しておく。
僕は絶対に、負けないからな!」
「うんん? う~ん、えっと、
……、うむむぅ!
オケす!! ウケて立つっす(≧∀≦)の!!」
なんの話だろう? なんかの競い合い中だったっけ?
あー、あれかな?
去年、営業部の忘年会でやったカラオケ対決のことかな? リベンジの宣戦布告かな? 意外と上手いよね八洲君。今年もいいところ抑えてくるんだろうなぁ。
う~ん、あたしは今年はなんでいこうかなー
いつも年末の紅白のオーダーが出てから決めてるんだよなー
とか思っているうちにウチらの階に着いた。
完全に開かれるドアを待たずして八洲君が颯爽と歩んでいく。
無言で立ち去る姿、その背中。
うーん、きっと、
八洲君は八洲君で頑張ってるんだろうな……うん、きっと まる(。
「お、おぉう! おっはよぉおおぅ!
ございまっす、の(*´꒳`*)ノ」
「おはよ!」
「おはよう、今朝も元気な!」
「……、おはようございます」
事務所に入って開口一番に、いつもより元気に挨拶してみた。
いつもと同じように、三課のみんなから挨拶が返ってくる。自分の席に着くまでにも、個別で挨拶が返って来て再度返しながら先輩のデスクを見た。
うんそっかー、
うん、まだ先輩は来てないよね。
PCを立ち上げ、手に持っていたお弁当をデスクの隅に置き、そして席に着く。
今日中に片付けなきゃならない資料は、っと……
始業まもなく、というところで先輩が「おはよう」と、いつも通りに入ってきた。その声はいつもと変わらない。
その声にみんながそれぞれに挨拶して、それに手を挙げながら返して、
あたしの背後を通り抜ける。
……、あたしは聞こえなかった、気がつかなかったフリをしてPC画面を見つめていた。
「生田、今日は空いてるか。」
通り抜け様に、通り過ぎながら背中越しに聞かれる。
「んあ、はひッ? んぇ……はい!
いつでも、いつなん時でもッ!」
「……ん、まぁあれだ、
それはそれで困んだけどな」
苦笑いする先輩。を、背後に感じる。
きっとたぶん、いつも通りなあたしの反応に、会話に気がついた周囲の同僚からの生温かーい視線が刺さってくる。
いやちょっと!
「ガンバ(=´∀`)!」ってね? 小さくガッツポーズとかするとかあなた!
まだそーいうんじゃないですからね?!
「14時からの営業に同行しろ。
あとは……」
ぐるりと周囲を見回すも、誰も名乗りを上げようとはしない。むしろ、
「あ、課長。僕は今日は無理っす」
「この書類の山を、今日は終日片付けまーす!」
「昨日言われた苦情処理、やっつけときますんで」
「あー、クソが……
いいか? 暇じゃねぇ理由付けすんなら今日中に終わらせろよ?
終わってなかったらケツが赤くなるまで叩くからな? お前ら」
「へいへ~い」やら「イエス、ボス!」やら、
のんきな反応が返ってくる。
いつものやりとり、いつもの朝。
こうやって三課は始まる。通り過ぎ様に先輩は皆の進捗を気にしながら、さり気なく気にかけて午前中が過ぎる。
うん、これもいつも通り。
でも、うん。
あたしはいつも通りに出来てなかったかもしれない。
いやでもあれだよ? ちゃんと仕事はしてたもん!
(>人<;)!! そこはちゃんと大人だもん!
カッコッ カッコッ カッコッ
昨日の夜……
あたしは先輩っちでシャブシャブを作った。きっとたぶん先輩は喜んでくれるだろうな~と、そう思って作った。
でもうん、失敗ではなかったけれどね? でもなんだろう? ちょっと違ったみたい。
でもなんかさ? でも穏やかな時間が過ぎたように思うんだ。
いやう~んと、後半は何か会話が無かったんだけれどもさ?
何か緊張しちゃってさ……(/ω\)まる(。
後片付けをしてたら、背後から先輩に言われた。
「何から何までありがとな。
あとは俺がやるから……
あ~、なんだ。今日はそのなんだ、タクシーで帰れ。」
「へい!
でもあれっすよ先輩。 まだ電車あるんで、大丈夫っす!」
振り返らずにあたしは応えた。
本当は「今日は帰りたくないっす(/ω\) ウメちゃんを抱きしめて寝たいっす!」
とか「お泊り体制、準備は万全っす(≧▽≦)の」とか言いたかったけれど、
でもそんな勇気はなかった、あたしには。
「バカ野郎……
帰りの道中になんかあったらどうすんだ、つぅの。
送ってやりたいが無理だろ……、今の俺には。」
呟くように言う先輩の背中。
あたしは洗い物を終えて、手を拭きながらその背に振り返った。
「えっと……
これって経費で落ちます??」
「落ちねぇよ、バカ……。」
手早く帰り支度を終え、でも本当はそんなんじゃなく……、
マンションを先輩と一緒に降りた先には、その玄関前には、先輩がいつの間にか呼んでいたタクシーが待っていた。
本当は駅までとか空車のタクシーを探すまでとか。そういう僅かな時間でも、もっと一緒に居たかったけれど。でもそういう隙間はここにはなかった。
「運転手さん、この子の家の前までお願いします。
距離的にこれで足りますか?」
その先輩の問いに、運転手さんが頷く。
「んじゃ、おつりは運転手さんのコーヒー代にしてください。
よろしくお願いします。」
お札を渡し、あたしを車内へとエスコートする先輩。
しぶしぶと乗るあたし。
運転手さんが気を使ったのか、ドアを閉めずにいてくれた。
「あの……、えぇっと、
ウメちゃんをよろしくお願いします。」
「あぁ、大丈夫だ。」
「えっと……、
また明日、ですね。」
「うん、
あ~~~、うん。
それじゃあな、今日はありがとう。」
「いえいえ、
……、えっと、おやすみなさい。」
「ん、
おやすみ。」
先輩の、運転手さんへの合図に気が付いたのか、それとも空気を読んだのか。
静かにドアが閉められ、ゆっくりとタクシーが走り出す。
あたしは振り返りたい気持ちを我慢して、流れる夜の景色をボーッと眺めた。
暗い世界に小さな光がたくさん灯っている。
あの光の下にはどんな生活があるんだろう。どんな人たちが生きているんだろう。今はどう過ごしているんだろう。無数の人々の現在が光っている。
さっきまで一緒だったのに。手の届く距離だったのに。
今すぐ会いたいな。
一緒に居たいな。
あたしが美味しいもの作って、
「美味しいな」って言ってもらいたいな。
ウメちゃんを一緒に撫でたいな。
……、隣に並んで歩いていきたいな。
カッコッ カッコッ カッコッ
午後から同行した営業先。
謝ったりだとか、謝ったりだとか。
談笑するだけだったりとか、先方の愚痴みたいな話を聞くだけだったりだとか。
「あたしが同行する意味はあるのかなぁ~」みたいな感じだったけれど。
でもなんか先輩はやっぱりいつも通りで。それだけど、なんかうまく言えないけど、やっぱり見ているだけで営業の仕方を学ぶところは多くて。
結局、あたしが何かを為すというよりは、「こういうやり方もある」みたいなのを見せてくれてる感じだった。
次は逆にあたしのを見てもらって、
「どうです(; ・`д・´)?」
ってやりたいな~、って。
ずっと見守ってもらいたくなった。
これって甘えなのかな?
カッコッ カッコッ カッコッ
「今日はお疲れさん。
直帰してもいいぞ?」
最後の営業先から出て、駅へと向かう道で先輩が呟くように言う。
「……先輩は、帰社するんすか?」
「あぁ、……まあな。」
「あたしもその、
お弁当箱を取りに行かなきゃならないんで帰社するっす。」
「そっか。
……えらいな生田は。」
「そうっすか?」
「ちゃんと生きてるからな。」
先輩が短く笑った。
そんなの……、なんか先輩がちゃんと生きていないみたいじゃないっすか! と、思ったけれど、上手く言葉に出来なかった。
比較的空いていた電車内。隅の方に二人で並んで座る。「ふぅ」と静かに溜息をつく先輩。あたしも習って深く息を吐いた。
駅に着いて、乗るまでは歩いていたから会話は無かったけれど。なんか座ったからか、心にゆとりが出来た。
「……あたしのお弁当つくりって、生活に欠かせないリズムみたいな感じなんすよねぇ。」
「なるほど……な。」
「お弁当箱に、その、作ったものを入れていくのが、なんか、
そこにメロディを乗せていくような感じっす。」
「生活に彩りを乗せる……
って、感じなのかもな。」
「……、えへへ。
でもそんな高尚な、詩的なすごいことじゃあ
ないんすけどねー(^^;;」
「そうか?
そういう積み重ねっつうか、なんつうか。
あぁ、そういうのが大切なんだと思うぞ。」
「そっすかね?」
「あぁ。」
ふと、そんな先輩を見る。頷きながら深く座席に身を沈めていた。
もう暗くなった車窓へと視線を向けていた。
「あーーー!
明日で11月も終わって、もう年末っすねぇ
(*´-`)」
「ん?」
伸びをしながら、先輩と同じく向かいの車載を眺めながら呟いたあたしの言葉。その唐突なあたしの言葉に、先輩が短く発しながらこちらを向いたのがわかった。
「いや、もう年末っすよ(*・ω・?)」
その先輩の視線にあたしは合わせる。
「ん〜、まぁあれだ、生田。
残念ながら今日で11月は終わりだ。」
「んへ? ええ?
11月は31日まで無いんでしたっけ?」
「……、あぁうん。
そうだな、
拳をこうして作るだろう。」
おもむろに先輩がグーを作ってあたしに見せる。
倣ってあたしもグーを目の前に掲げる。
「……、拳が小さいな。」
「いったい何の話っすか!」
「いや、すまん。
そのな、尖ったところから1、2、3、4567とやってだ、んで8、9、10、11、12。
こうやって上に来た方が31まで。下に来たほうが30まで。んま2月は28か29だけどな。
わかんなくなった時の知り方の一つだな。」
そう説明しながら、あたしの突き出したグーの上をトントンと指さきで触れていく。
「そ、そそそそ! そうなんすね!
(//∇//)の」
「んま、つーわけでだ。
11月は30日までしか無いわけだ。」
再び姿勢を前に向きなおす先輩。
「でも……
いつか11月31日が来るんじゃないすかねー。」
誤魔化して言ってみたけど、先輩は否定しなかった。
「もし、明日が。
もしいつか11月31日が来たらあたし……」
電車のアナウンスと共に開かれたドア。
乗り込んで来た人々の喧騒に言葉の続きがかき消される。
カッコッ カッコッ カッコッ
「先輩は……、もう寝ちゃってるよね」
ベットから抜け出し、カーテンと窓の隙間に入って日付の変わった夜空を見上げる。そこはまるで切り取られたあたしだけの空間のようだった。
半月に満たない月夜。
でもその月明かりはあたしを柔らかく、そしてしっかりと照らす。
あたし……
ちゃんと頑張ります(≧▽≦)の