11月27日(日)トントントンと踏み出した並河
兎と亀の競争の昔話がある。
幼少の頃に不思議だった。先に出発したのは兎だったか亀だったか。いずれにしても兎が先行し、中盤で休んだ。そこで兎は「どうせ亀は追いつかないだろう」とお昼寝するのだったろうか。
気がつけば追い越され、慌てて走るも亀が先にゴールしていたというお話。
この教訓はなんなのだろう?
自身の「走るのが早い」という才能に驕るな、ということだろうか。それとも亀のように愚直に一段一段と努力を重ねることが勝るという話なのだろうか。
私にはわからない。
兎は努力無くして早かったのか、生まれながらにして早かったか。怠けたのだろうか? それはむしろ、一生懸命走ったから、その分休んだだけなのではないのだろうか?
確かに亀よりは早かったかもしれない。
でもそれは……
私には兎を悪役にするのはなんだか嫌だった。
私にとっての兎は、美しく愛おしい生き物だった。
「並河教授のご令嬢」という肩書が嫌だった。
生まれながらにその「なにか」があるのかもしれないけれど、その先はやはり頑張ってきた結果なのに。でもそれすらも「流石、並河教授のご令嬢」が付いてまわった。
私がこの道を進んだのはパパがいたからじゃないのに……
もし「才能」というものがあるのなら、それはそのことが「好きか」ということな気がする。
好きだから頑張る。好きだから他のことを見ずに邁進する。好きだから盲目的なのかもしれないけれど、直向きに突き進む。
「狭く深く」も「広く浅く」も人それぞれの人の才覚な気がする。
兎は早く走れる分、何かを犠牲にしてきたとおもう。だから、あんなに寂しそうな目をしている気がする……
そこで目が覚めた。変な夢。
微睡から覚醒して、私はゆっくりと目を開く。
暗い。布団の中にうずくまっているせいだ。
温もりを感じる。感じて一気に今の状況を理解して、私は昨夜の行動が恥ずかしくなって慌てた。
動かないでじっと慌てる。顔に血が昇るのがわかる。
昨日、勢いで「公私では名前呼びを使い分けてよ」と思っていたせいか、つい森岡さんのことを「お兄ちゃん」と呼んだ。昔のように。
彼はそのことを咎めなかった。だからそう呼び続けた。私の敬愛するお兄ちゃん。
「泊まりたい」って言った時も否定はされなかった。だけど
「うむ……、うちはベッドが一つしかないから、
そうだな……、うんサラちゃん。
ここで寝なさい。」
と自身のベッドを譲り、お兄ちゃんがソファに寝床を作っていた。私は「こっちがいいです」と、そのソファへと腰掛けた。
「そうか……、うん、そうか」
と、
「おやすみ」と言って寝室へと行くお兄ちゃん。
その後ろ姿を見送り、私は寝床として用意されたソファに寝転んだ。
でも……
寝られはしなかった。
同じ屋根の下に今、私はいる。
落ち着かない。心臓が早鐘を打つ。
枕を抱きしめる。
その感触はただ柔らかいだけで、何も私には伝えない。
ぐるぐると色々な考えが頭を巡り、私はその気持ちに区切りを付けた。枕を持ってソファから立ち上がった。
お兄ちゃんのところへと行く。
寝ているようだった。本当に寝ているのかはわからない。でも、寝ているのを装っていたとしても、本当に寝ているのだとしても、そんなこと。それはそれでいい。
私はその布団の中に潜り込んだ。
枕は傍に置いたけれど、私はそれは使わずに潜り込んだ。
やがて、やっぱり起きていたのだろうか。それとも自然にそうなったのだろうか。
私の居所を作るように後退しながら横向きになると、そっと優しく、お兄ちゃんが優しく、私を抱きしめた。
最初こそドキドキしながらも、
私はいつしか眠りに落ちていた。
………………
…………
……
私は今、長ネギを切っている。
トントントン
長ネギを切りながら今朝のことを反芻する。
しっかりと覚醒した私は、心を落ち着け、今の状況を再確認した。
やっぱりここで寝ていて、お兄ちゃんも寝ていて。
すーすーと、彼の寝息と暖かさを感じる。
そうだ。
私にはやらなければならない事がある。
いつまでもここで、お兄ちゃんが目覚める時まで居たかったけれど。でも、
ずっとこの温もりの中にいたかったけれども、そうだ。
私はオウカさん曰く「朝御飯の素敵な香りで彼をブチ起こそうぜ(≧∀≦)ノ」をやらねばならないのだ。そのためにこの朝を迎えたのだから。
静かに静かに、
ゆっくりと彼を起こさぬよう、名残惜しくもベッドから這い出る。
その寝顔を見て愛おしく思う。
手順、準備はすでに理解している。
予め用意してきたいくつかを小鉢に入れ、全体にラップを被せて整える。
次にえっと、ご飯の準備か。
冷凍ご飯がまだあった。ここから改めて炊くにはちょっと時間もかかる。
うん、今回はこれを使おう。
朝の時短料理をオウカさんにいくつか教わった。今日はそこから、一番失敗しなさそうなものに挑戦する。
・人参と大葉の和え物
・鮭のみりん醤油焼き
・そして、一番大事なお味噌汁
この和え物のレシピはレンジで簡単に、片手間で出来るから副菜にお勧めだとオウカさんから聞いた。そして鮭は言われた通りに、あらかじめ来る前に合わせ調味料に漬けておいたのを持ってきた。
準備は万全。あとは昨日まとめておいた『朝食準備の手順通り(マニュアル)』に沿って進めるだけ。
まずは小鍋にお水と粉末の和風だしを入れ、火にかける。※火は弱火
人参一本をスティック状に切りそろえ、スライサーで細かくする。それを買ってきておいた耐熱ボールに入れてレンジで2分。その間に小松菜と大葉切る。※レンジが鳴っても慌てない
ここまでは大丈夫。
漬けておいた鮭を取り出し、余分な汁を拭いておく。※漬け汁は捨てない
レンジから出した人参に調味料を掛けて混ぜる。切った大葉の三分の二も混ぜておく。
お味噌汁用の小鍋に小松菜を入れ中火にし、フライパンにサラダ油を入れて強火で熱する。フライパンのふちをトンと触って熱くなっていたら中火に落とす。※火傷注意
鮭を並べ入れる。
ここからが難しい。同時進行をやらなくちゃいけない。
鮭を見ながら小松菜の色を見る。鮭は焦がさないように、小松菜は色鮮やかになったら。
鮭の下を何度か見ているうちに小鍋が沸騰してきた。気になって火を弱める。
鮭をひっくり返す。うん、たぶん大丈夫。
心配になってきたので小鍋の火を止めた。※それはOK
油揚げを湯沸かし器の湯で湯通し。油揚げなのに油抜きとは……
これはよくわからなかったけれど、確かにやってたら嫌な油のに匂いがした。これは洗うということなのかな?
鮭の反対側を見たら多分、ちょうど良い焼け具合なので蓋をする。蒸し焼きにして中まで火を通す。※心配になったら、焼き過ぎて焦げていないか見る。中まで火が通ってるかは、箸を差して簡単にほぐれたら大丈夫な証拠
油揚げを切って小鍋に入れ、再び中火にした。
これは想定内。大丈夫。
フライパンの蓋を開け確かめる。うん、大丈夫。
漬け汁をスプーン二杯ぐらい回し入れ、煮絡める。煮絡めるというのがいまいちわからなかったけれど、たぶん焦げないようにすれば大丈夫。うん、きっと大丈夫。
小鍋が再び沸騰したので火を止める。
『鮭のみりん醤油焼き』をお皿に並べる。これでメイン、いやサブメインの完成。
お味噌を溶く。オウカさんから教わった分量は「これぐらい」 そのことに緊張する。
お玉にすくったのを見せられたが、「適当なんですか?」と聞いたら、薄かったら足して、濃かったら薄めれば良いとのこと。
味見してみたら少し薄い気がしたが、ここで足すと濃くなりすぎそうなのでやめておいた。
お味噌汁の小鍋に蓋をして、『人参と大葉の和え物』を皿に盛り付け、残りの大葉を飾る。
これで今日の朝食の準備がほぼ整う。
……、なんだか数日分の朝食を作ったような気分になる。これを毎朝やっているママとオウカさん、うん、朝食を作ってくれる人達はすごいな。そう思う。
……、仕上げの長ネギを切ろう。
トン トン トン
なんだかこの音はノックみたい。
私は彼の心の扉を、ノックする。開けてくれるだろうか。
トントントン トントン トトン
「おはよう。
早いね、サラちゃんは。」
「いいえ……、朝御飯を作る約束でしたから。」
ふいに掛けられた言葉に、私は反射的に半分は意図していない回答をする。
「あぁ、良い匂いだね。
味噌汁と……、焼き魚だろうか。」
「もう出来ますから、
……準備しておきますからお兄ちゃん、洗面を済ましてくださいね。」
「あぁ、うん。わかったよ。」
何とか間に合った。
切った長ネギをお味噌汁の入った小鍋へと散らし、冷凍ご飯を慌ててレンジアップする。急いで出来たものを配膳する。いやここで慌てては駄目だ。そうだ、
※最後は慌てずに、相手を待たせてでもゆっくりと着実にやる
「おぉ……、こんな朝食は久方ぶりだな……」
「……、朝食ぐらいは文化的なものを頂いてスタートした方が、
良いと思います……」
炊き立て、ではなかったけれども。ご飯をよそい彼の元へと置く。
「そうだね。
うん、ありがとう。」
私が聞きたい解答はそれじゃない。
きっと大丈夫。
そう願いながら、出来立てのお味噌汁を用意して、静かに彼の手元へと置いた。
「頂きます。」
「はい……、いただきます。」
私はまるで祈るように復唱した後、箸を持ったものの、こっそりと彼を見つめていた。
最初に手を付けたのはお味噌汁だった。
啜るように、お辞儀をする様にお椀を傾ける姿。静かに面を上げたが目をつぶっていた。
「あぁ……、うまいな……」
私が聞きたい解答はそれじゃない。
本当は「毎朝、作ってくれないか?」だ。
「……、良かったです。」
私が言いたい応えもそれじゃない。
本当は「毎朝、作れるようになりたいです」だ。
でも、
それは私にとって高望みだ。まだまだそれを出来るようにはなっていない。それを出来るように彼に追いついてはいない。
いない……けれども
「お魚が……、ちょっと焦げてしまったかもしれません」
「ん……。あぁ……
美味しいよ、普通の焼き魚とは違うのだね。」
私が聞きたい解答はそれじゃない。
「文化的な……、朝食ですから」
彼の、そういう何気なくする笑顔は罪だ。
急に恥ずかしくなり、視線を逸らすように私は焼き鮭を一口箸に取り、白米と共に口に運んだ。
でも……
今日という日は、私にとって大事な一歩を踏み出した日なのだ。
彼の隣に並び立つために踏み出した、大事な日になるんだ。
年の瀬が迫ってきましたね
無理はなさらずに、心と身体を労わってくださいね
( ^^) _旦~~




