11月19日(土)探し人は探し人に非ずの西崎
「梅子ぉー-----------っ!」
俺は走っていた。秋雨の中を。
じわじわと濡れゆくシャツに気など留めなかった。いや同じようにあの黒艶の毛並みが濡れゆく梅子(子猫)の姿を思えば居ても立っても居られなかった。出会ってからの年月、いや年でも月でもない。まだ数日の関係。だがしかし、俺は梅子(子猫)の濡れ細るその姿を想像するだけで心が張り裂けそうだった。
今もどこかでその冷たい雨に身を縮こませ、震え、細く鳴く姿を思い浮かべるだけで心を正常に保つことができなかった。
曜日感覚の損なわれた俺のルーティン、生活。
その中に組み込まれた梅子(子猫)との生活、新たなルーティン。
元々取りたて子猫に危険のない生活スタイルだった為か、そこまでの改善するようなこと、そういう気苦労のようなものは無かった。新たに加わったのことなどたかが知れている。餌と水の補充、トイレのリセット。そしていたずらされないための、あぁそう、ティッシュだとか俺のちっぽけなツマミを誤って食べてしまわないように片付ける配慮。
そういったルーティンに組み込まれたチェック。たいしたことではない。それを怠ったはずは無かった。今朝にしても。
そもそもだ。今日にしたって特に出勤する必要は無かったのかもしれない。が、行けば何かしらの仕事もあろうと、いつものように玄関に鍵を掛け出勤していた。
社に行ったところでメールや積んでいた書類のチェックぐらいしかない。働き方改革はなにも自社だけの取り組みではない。取引先にしたって土日祝日は稼働などしていないのだ。
たかが知れている数通のメール(その大半は営業メールだ)をチェックし、惰性で一週間の積み残した仕事を処理するだけだった。
のんびりと残務処理のような仕事を片付ける。「会社に来たのは昼食のついで」とでもいうように、残務処理を終え適当に昼食を外で済ませる。そしてそのまま惰性で帰路につく。
「ただいま……」
応える者のいない自宅。が、たまには「にゃーん」と応えるはずの自宅。
だが、応えどころか気配すら感じない。
不穏
どこかで寝ているのだろうか。
心に引っ掛かりを覚えながらも、俺は梅子(子猫)の水と餌の皿をもってシンクへと向かう。冷蔵庫から缶ビールを取り出し、タブを開けず傍らに置く。そこで皿を見た時に違和感に気が付いた。
使われた形跡が…… 無い
一気に背筋に悪寒、嫌な予感の電気が走る。
何処にいる? 梅子(子猫)! 俺は脊髄反射のように部屋を見渡す。
ソファ、棚の上、テーブルの陰……
窓が……半開している。
いやおかしい、ルーティンに窓を閉めるというのは、施錠を確認するというのは入っている。
この晩秋、換気で窓を開けることは無い。が、俺は梅子(子猫)との生活以前から喫煙はベランダでしかしなかった。故に外出時にチェックしていたはずだ、ちゃんと窓を閉めるのを。
だが人間というのはルーティンであることに油断し怠る。
俺は窓を閉め忘れていたのだろうか。
カララッ
網戸を開け放ち俺は「梅子!!」と叫んだ。
応えなど無い。何も無い。その虚空。見慣れたはずのその風景をあらためる。
うちは4階建ての3階だ。その気になれば、猫ならば地上へと移動できなくもない。脱出できなくもない。傍らの二階建ての屋根を睨む。
血が俺の中を逆流する。
梅子(子猫)が脱走してしまった……
すぐさま俺は玄関を抜けて外へと飛び出した。
幼少の頃に飼っていたのは犬だった。
何のことは無い、母が犬派だっただけだ。むしろ猫を嫌っていた母は。
意味が分からない。俺は特段、犬派でも猫派でもなかった。いや確かに飼っていたのは犬だったから犬派、犬よりだったかもしれない。幼少の頃は。だが魚だって植物だって、小学校で飼っていた兎だって鶏だって。友達の家にいたハムスターだってカブトムシだって。それこそ猫だって。
俺は動植物が好きだった。
生きている。
彼らは生きていた。動植物以外にも同級生や先生や大人や人間も生きていた。
脈動していた。
不思議だった。こんな小さな生き物が生きている。
そして俺以外にも多くの生き物がいて、人間はその心の内に俺と同じく宇宙のような無限の世界があって。同じほどなのかどうなのかわからないが、やはり生き物、生命の中には宇宙が在って。
亀も金魚も、トンボも何のことなく見かけるバッタやハエや。
身の周りには俺と同じく生きている生き物がいる。
彼らは何のために生きているのだろう?
何を目的に生きているのだろう?
俺はなんのために生きているのだろう?
俺は何を為せばいいのだろう? なにを為すために生きているのだろう?
これからどうすればいいのだろう?
君らはなんで生きているのだろう?
生き物を、生命を、その温かさを、その脈動を、その静かさを、佇む姿を、在るがままに在ることを。ずっと不思議に、ずっと自己投影して、ずっと考えて生きていた気がする。
俺はなぜ生きているんだ。
梅子(子猫)は俺の懐ですやすやと眠った。
なにが、俺の何がこいつに安らぎを与えたのか。
俺はこいつからなぜ安らぎを感じたのか。
何をされたわけでも、何をしたわけでもない。
でも確かに俺は言葉にできない何か。
生きなければならない何かを梅子(子猫)から与えられていた。
「梅子ぉー-----------っ!
梅子梅子梅子ぉおおー----------っっ」
俺は走り探した。細い秋雨の中を。
電柱の陰、誰かの家の垣根の間、塀の上、商店の間の路地、街路樹の上と下。目に入る全てを探し検め、梅子(子猫)の名を呼んだ。
不審な視線を傘の合間から投げる女性とすれ違う。迷惑そうにしかめた視線を斜め下に投げるイヤホンをした若い学生風の男が道を避ける。何事かと目を見開き凝視する営業マンな男。全く視界に入っていないかのようにすれ違うカートを引いた老婆。
世界は俺に関心などない。彼らに俺の世界は関係が無い。梅子(子猫)の世界とはリンクしてなどいやしない。俺はどことも繋がらず、そして俺は梅子(子猫)とのリンクも途切れている。
俺は失いかけている。世界と。
何処にいるかも宛があるわけでもなかった。だが俺は探した。
梅子(子猫)という世界との繋がりを。
俺は生きていく気力が無かった。生きていく目標も目的も、その生き甲斐もかもが無かった。ただ惰性で残りの人生は今まで生かされた、生きてこられたことへの感謝、恩返しを、いつまであるかわからない残りの人生で払えばいいかと思っていた。
特別の目標も生き甲斐も無く、ただ静かに、林の中の象の如く。
ただ終えれば、終わる時を待てばいいものと思っていた。
俺は何を、何処を、誰を探しているんだ。
梅子(子猫)はどこに行ったんだ。俺はどうしたらいいんだ。
何が正解なんだ。俺は何を欲しているんだ。
梅子、梅子(子猫)、
お前も俺を捨て、立ち去っていくのか……
「梅子ぉー-----------っ!」
俺は走っていた。秋雨の中を。
いやすでに雨は上がりはじめ、夕焼けの混じった赤い光が差していた。
「あ! 先輩!!」
道の先に、傘を傾け小首を傾げ微笑む生田桜花を見留める。
その右手には傘、その左手にはネコキャリー。
俺はそのまま走り駆け寄り、桃花を抱きしめた。
「よかった、あぁよかった……」
「ふえぇえぇぇ~~~」
桃花の手から傘が落ちる。
自身が濡れていることなど考えていなかった。ただ強く、桃花を抱きしめた。
「本当に良かった。」
桃花の握りしめていたネコキャリーから、
ニャ~~~ウゥウ~
その応えだけが返ってくる。
傍らに桃花の落とした傘が転がる。
雨上がりの秋空に、ただその梅子(子猫)の声だけが返り響く。俺の生きる理由など、そんなことは他所に。
良くも悪くも平穏無事に
そう願いたいが、人生ってそういうもんじゃ
あぁ、ないのよな?
(。-`ω-)




