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11月14日(月)適温に淹れられたお茶と木霊を待つ森岡

 一つ一つ、絡まった紐を解く。一つ一つ、無数の断片を繋ぎ合わせる。

一見すると相反した作業。融解と結合。だがこれは少々違う。融解と再結合。そしてこれも正確ではない。再結合は新たなものを生み出すことではない。在ったように在るがままに復元するということ。


 丹念に丹念に、復元する。復元してからやっと本来の目的へと及ぶ。

結合し復元したものを、ゆっくりと、ゆっくりと。時間をかけて解く。読み解く。

融解と結合、そして復元と読解。それを繰り返す。


 何度も何度も呼びかける。会話を試みる。



 そこにどんな思いがあったのか。そこにどんな人生があったのか。


 思い馳せることしかできないのかもしれない。だが、まるで古き蓄音機から流れ出る雑音交じりの中に隠された、その豊かな音色を聞く様に。その歌姫の息づかいをも聞き取ろうとするように。


 耳を傾ける。思いを感じ取ろうと目をつぶる。



 民俗学というものに興味をもったのはいつ頃なのだろう。

何がきっかけだったのだろう。自分は何と出会ったのだろう。何を感じたのだろう。


 旧家、地主、長老、顔役、名代。

代々色々な呼び名で呼ばれる家に育った。田舎の、名もないような農村の一角に構えられたその中核、代表。そこの長男に生まれるということはすでに人生は決定していた。

幸いにも自分には兄と姉と、年の離れた二人の弟がいた。その決定(レール)からは外れていた。とはいえ、それなりの成果、「家」に花を添える存在であらねばならなかった。


 兄は凄まじく「家」というものを自覚し、受け入れていた。

だからこそだろうか。迷うことなく愚直に突き進むことが近道だと。自分に「己を信じて進め」と教えてくれた。


 姉は優しかった。

気負うことなく飛び立ちなさいと。花が咲き種を為し、その種は遠く遠くへと旅立ってこそ本懐を遂げるのだと。そう自分を後押ししてくれた。



 人々の想い。

それは消えてしまうのだろうか。時の流れに消えてしまうのだろうか。

ただその痕跡だけ、足跡だけ残して消えてしまうのだろうか。


 家の倉に納められた品々。

その価値も、その意味も。そしてそこに何故あるのかも知らない。


 ただそこに在るものが、切々と訴えている声を聴いた気がする。


「私は此処に居るよ」と


「私は生きている」と


「私は!」と



 姉が県議員の誰だったか。

その息子へと嫁いだその年。自分は大学進学に伴って上京した。




 『運が良かった』


それ以上の形容をし難い。入った大学で並河教授に師事できたということは。

並河教授は温厚な方だった。温厚で物静かで、そして丹念に仕事をなさる方だった。じっと耳を傾けるように資料を読み考察する姿。ややもすると持論展開が主となってしまう「民俗学」という分野の中で、並河教授は己が語るは少なく静かに「言葉」を拾う方だった。


 若さゆえ、だろう。自分が推察を熱く語るときも、じっと耳を傾けてくれるのだ。そして最後に「非常に興味深い考察だね。ではその時、彼らはどう思っていたのだろう?」と。問いかけ、そこからまた新たな興味、新たな道を示して頂けた。

人々が歩む限り、「民俗学」に終わりはない。



 惜しむらくは、自分が博士号を取得して間もなくご逝去なさったことだ。

早すぎる別れだった。やっと先生を支え、先生と共に進めると思った矢先のことだった。

先生を失いたくない。そのお姿を失いたくない。

ただそれだけを考え、それだけを想い、数年は先生の残した資料を読みあさり、先生の足跡を辿ることに費やしたように思う。


 まさに。

まさに民俗学とは、先人たちの足跡を歩み直すことに他ならない。

当時を生きた人々との邂逅、会話に他ならない。




「お茶、淹れ直しますね。」


「ん? あぁ、ありがとう。」


 すっかり冷めてしまった飲みかけの湯呑をサラちゃんが持っていく。

無意識に口に運び、資料に目を落としながら飲むものだから、火傷しないようにと熱すぎない加減で淹れてくれるいつものお茶。

飲み切る前に冷めてしまうのが残念だったが、この適温が好きだった。一度、「保温性の高いカップを買って来ましょうか」と聞かれたが、どうにも金属製の口当たりが好きになれなかったので断った。



 サラちゃん。並河教授のご令嬢。

並河教授には学生時代から良くしてもらい、その頃から家に招いて頂いたので、彼女との付き合いも長い。それこそ彼女が小学生の頃からの付き合いになる。

家庭教師、というほどではないが、よく「勉強を教えてもらえませんか?」とお願いされたので1、2時間ほど教えたこともあった。


 教授には「仕事を取られてしまったなぁ」と柔らかく笑われたりもしたが、そうでもなかった。彼女は教授に似て聡明で物静かで、とても思慮深い娘さんだった。教えるというよりは覚え方のコツのようなものを伝えるだけで、半分ぐらいは日常的な会話だった。

よく趣味や好きなもの、日常での出来事などを聞かれたことを記憶している。


 今となっては教えてもらったり助けてもらったりすることの方が多いくらいだ。



「今日は、これで失礼しますね。」


「ん、あぁ、ありがとう。」


 淹れ直してくれたお茶を口に含む。



 最近サラちゃんの様子がおかしい。

先日「公の場では名前呼びをしないように」と、くぎを刺された辺りからだろうか。

名前呼び、つまり下の名前で呼ぶのはよろしくないとのことだった。よくわからないがそういうことらしい。

どうも昔からの癖が抜けない。「並河さん」と呼ぶのはなんだか、並河教授を他人行儀に呼んでいるように感じてしまう。


 難しい。固有名称というものは。

地域や文化の違いによる物や事象の固有名称の違いはさて置き、人物に関して言えば「2代目〇〇」といったような襲名制度が典型的だろう。

先代の名前をそのまま襲名するということは、その先代の成してきた功績、地位や名声をそのまま引き継ぐという独特なシステムだ。これはなにも「親の七光り」という単純な遺産相続ではない。それを背負う覚悟、それを背負う力量、そして連綿と続けていくという宣言なのだ。

西欧にも似たような考え方はあるが、それは期待や願いからであって本質が違う。襲名はというのは内外共に認められねば成立しない。


 サラちゃんはサラちゃんであって、「並河さん」ではない。


 そう説明したかったが、そうするのはまずい気がしてその修正案は受け入れた。

ただどうしてもその修正には時間がかかる。癖というものはそう簡単にはなくせない。


 「サラちゃん」と呼ぶと、どうにもよくわからない空気を感じた。



 そう、けっして自分は最近の見ながらが言う「空気を読めない」という者ではない。

そもそも空気とはなんだ。気配や表情その他、その場に現れる人の「想い」の総称ではなかろうか。そういったものを人々の足跡から読み解き、その時の情緒を知ることを行っている自分に「空気を読めないという者」というのは当てはまらない。


 だが定例会議の際に、同じ学内で教授となった旧友の桐島にそのことを少々相談してみた。

桐島は医学の教授であるが、どういうわけか桐島の方が人間関係を築くのが上手かった。医学なのにだ。身体を切り刻むのが好きな奴が、なぜコミュニケーションが上手いのか。肉体は話しなどしないというのに。


『そういうところの勘は本当に鈍いよね、昔から』


 「そういうところ」とは、どこのことだ。具体的には教えてくれはしない。むしろ答えをはぐらかされている気がする。答えを探し求め、答えを出すことを生業としている我々なのにもかかわらず、謎の方を残していく。


『少しは空気読もう? 森岡(モリィ)

 じゃないと、う~ん。後悔すると思うけど。

 んま、モリィだからそれに気づくことすら危ういね。』


 謎かけを提示してからの解答。そういう話法は使わなくもない。が、


『特別なものは特別に扱ってこそ。

 普通は特別ではないからね?』


 だが答えを明かさず立ち去られた。




「ときにサラちゃん……」


 声が返ってこない。あぁ、帰ってしまっていたのだったか。

最近サラちゃんは帰るのが早い。普段はまだいる時間なのだが。



 呼びかけた声は木霊することなく、積み上げられた本の山に消えていく。


 そこにいるはずなのに、そこにいない。


 この喪失感はいったいなんなのか。

君の興味あるものはなんであろうか?

(@_@。

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