11月10日(木)炒飯と心音を感じる西崎
今日は寒かったな。
そう思いながら玄関のドアに鍵を差す。短く金属音が鳴る。
廊下のライトを付け、靴を脱ぐ。
ふと玄関のドアの郵便受けを見る。何もない。いつも通りに。
居間の扉を開けながら、廊下のライトを消すと同時に、居間のライトを付ける。もはや習慣のような行動パターン、ルーティン。
「……、ただいま。」
ここ最近付け加わったルーティンの一つ。
何年ぶりだろうか、帰ってきて一言発するというのは。
返事が居間から返ってくることは無い。
警戒心を顕わにこちらを窺っていたネコがダッシュで逃げる。
いつもの棚の片隅に身を潜め、こちらを覗いてくる。
部屋の様子を観察する。
目立った変化はない。ただカーテンの傷が増えただろうか。
なぜネコは上へと昇りたがるのだ。
一息、ため息に似た深呼吸の後の吐き出しを発し、いつも通りに冷蔵庫へとネクタイを外しながら向かう。開けた冷蔵庫の中身は閑散としている。そこに我がもの顔でいるビールを取り、冷蔵庫を閉める。
妙に冷蔵庫の閉まる音が耳に残る。
「くそが。」
誰に言っているのか。何に対して言っているのか。
そんな感情をシャットダウンするように、ビールのタブを引き開ける。
ビールを飲みながら、帰りにスーパーで買ってきたものをテーブルに置く。ついでビールの缶もその傍らに置く。俺の行動の音だけが、一々と音をたてる。
ビニールのカサカサ音にネコが反応したのがわかる。
ネコ用のエサ入れを見る。わずかに残っている。入れ過ぎなのだろうか。
エサ入れと水入れを流しに持っていく。洗ってエサと水を入れなおし再び戻す。
ネコトイレを確認し、リセットする。
視線を感じる。俺は監視されている、ネコに。
誰かの視線を感じるということが久々なのかもしれない。空間を共有するという安心感。共存するという何かしらのなにか。それは空気なのか気配なのか。
相変わらずネコはこちらをジッと観察している。
気にせず俺はスーツを脱ぎ、シャツと靴下を洗濯機に放り込み、スエットに着替える。ふと、こいつは洗濯機の中に入ったら出られるのか? そう思い蓋を閉める。
買ってきたものを取り出し、とりあえず並べる。
玉子、ニンニク、中華調味料。ビールを飲みながらニンニクを剥く。
一塊とは、ニンニクを買い過ぎただろうか。こんなには使わない。チューブのニンニクを買えばよかったか。
『ニンニクの保存はどうすりゃいいんだ』
ラインしてみた。
速攻でレスが返ってくる。暇なのか。
『常温保存も可能ですが!
芽が出るので冷蔵庫です!
ちなみに冷凍保存も可能です!!』
冷凍か、冷凍できるのか。
ネットで調べ、その情報を元にニンニクを……
ジップロック? そんなものは無い。仕方がないのでニンニクを買う際に使ったビニール袋に入れて冷凍庫に放り込んだ。
その後、先ほど返信が来た生田から数回にわたり長文が追加されたが、とりあえず無視した。
レンチンするご飯を温め、玉子を溶き、ニンニクを刻む。
フライパンを温め、ニンニクと冷蔵庫にあった長ネギを入れ香りだたせる。
別に俺は料理が出来ないわけじゃない。しないだけだ。簡単なものなら普通に作れる。溶き玉子とご飯、中華調味料を入れ、手早く混ぜる。
にゃ~うぅん
ネコが足元にすり寄ってきた。
油断していたというか、意識していなかった。
「バカ野郎、踏まれたいのか。あぶねぇ。」
適当に足であしらう。
「お前の食いもんじゃねぇよ、それにここはあぶねぇつうの。」
塩と胡椒でシンプルに仕上げる。出来上がった炒飯を皿に盛る。
だが今すぐ食べる気になれず、ラップしてテーブルへと押しやった。
家に帰ってきて喋るというのは久々だ。離婚して一人になってからは初だろうか。いや違う。俺は離婚する前から、家に帰ってきて喋るような人間ではなかったのかもしれない。
まだ足元でじゃれていたネコを拾い上げ、ソファーへと放る。
器用に着地したネコが走り去る。なぜかネコトイレに駆け込む。
ネコ砂をかき混ぜている。その心理がわからん。
フライパンなどを洗い、3本目のビールを片手にソファーへと座る。
旧ルーティンに倣って、洋楽をかける。
『ニンニクを冷凍保存
わかった
助かった』
とりあえず返信する。
その後また生田からラインが来てたが、俺はスマホを見ることなく傍に押しやり、持ち帰ってきていた書類のチェックに移った。
しばらく書類に目を落としていた。
音楽は静かに鳴っていたものの、そこにあったのは静寂だった。いつも通りに。
が、その静寂を破るかのようにネコが俺の膝の上へと、シュタッとやってくる。
にゃ〜ぉん
「なんも無ぇよ……」
そんな返しを他所に、ネコが膝の上で丸くなった。
書類を置き、ネコの喉元を撫でる。
ぐるぐるるるる
ビールの缶を手に持ってみたが空だった。
冷蔵庫へと新しい缶を取りに行きたかったが、これでは動けない。
仕方がなく、また書類を手に取る。
ネコの体温を感じながら、この部屋、この限られた世界に俺以外の命を感じながら、極めて相反する無生物な思考で書類を追っていた。
空いた手で赤ペンを入れていた。
その機能を中断するようにスマホが短く震える。
やれやれ、と思いながらそのスマホの画面を見ると、そこに表示されたのは二課の八洲からだった。
『お疲れ様です
ニンニクは1片ずつバラバラにして、ラップで包んで冷凍すると、半年ぐらい保つそうです
そこまでじゃなければ、使い切るなら臭いの問題はありますが、刻んだりしても冷凍保存が可能なようです』
八洲にも送ったことを忘れていた。あいつ、わざわざ調べたのだろうか。
かえって申し訳ない気がする。
『ありがとう、助かった』
すでにニンニクは冷凍庫の中だが、礼儀として返信した。あながちアドバイスに従っていると言っても間違いは無いだろう。そもそもニンニクの保存方法を聞く方がおかしいのだ。これ以上、たとえ部下であっても失礼をかいてはならない。
ネコがゴロゴロと言わなくなった。
代わりに規則正しく胸が上下にゆっくりと動く。
ととととと
心音が早い。人よりも早いのか。心音と寿命はリンクしているのだろうか。
「俺が寿命を気にしてどうする。」
つい呟いた。
膝の上のネコの耳がピクリとこちらを向く。
起こしてしまっただろうか。だがネコは静かに眠り続けた。相変わらず規則正しく胸が上下にゆっくりと動いている。
ふと、炒飯は作ったものの、スープのようなものが無いことに気が付いた。
冷蔵庫にあった味噌汁の作り置きはもうない。
生田へ『味噌汁が無くなった』と書きかけてやめる。
書きかけの文字を消す。心に芽生えかけたものを摘む。
惰性で生きている。生き永らえている。
目の前に書類があるから、片付けなければならない案件があるから、生きていくためには働かなければならないから、そのための仕事が目の前にあるから。
何の為に
そんな言葉はもう、遠くの遥か彼方だ。
ネコを撫でる。
目をつぶったまま、無防備に腹を天に向けて大きく伸びをするネコ。
めい一杯に開いたその口に並ぶのは、子ネコらしからぬ鋭い歯だった。
「お前……、肉食なのな。」
ネコが器用に俺の膝の上で体を反転させ、満足げにまた丸くなった。
「なぁ、」
ネコを撫でながら尋ねる。
「お前は何のために生きているんだ?」
ネコがゴロゴロと答える。
「すまん。
今のは失言だ、忘れてくれ。」
ネコを抱え、冷蔵庫にビールを取りに行く。
ついでに作った炒飯を冷蔵庫にしまう。
食べるのは明日だな。
そう思いながら俺は、ネコを撫でる。
いいんじゃねぇか、それで
大概のことは深刻じゃねぇって後から思うが、
どうなのよ?
(。-`ω-)