宮崎駿を語ろう
作中敬称省略しております。
私はアニメーションの専門家ではないのでおたきんぐ岡田斗司夫のようにアニメーションの技術的な解説や深い考察ができるわけではないが、それでも宮崎駿監督(以下、監督)について、あれこれと語っていきたい。
まず、私は今年、やっと不惑を迎える程度の若輩者なので、テレビアニメーションを手掛けていた当時の監督の作品には馴染みがない。なので語るのは「ルパン三世 カリオストロの城」で初メガホンを取って以降のアニメーション映画監督についてになる。
彼のテレビアニメ作品に影響を受けた人物の中に鈴木敏夫がいる。言わずと知れたジブリのプロデューサーだ。ジブリの名作、ジブリの初アニメーション映画「風の谷のナウシカ」は鈴木敏夫が初代編集長を務めたアニメージュで連載された作品で、連載当初から映画化を目的としていたと鈴木敏夫が語っていたのを見たことがある。
私が監督の作品で最も驚くのは、錯視を利用した映像表現の巧みさだ。
例えば、もののけ姫の中でたたら場に侵入したサンがエボシ御前へと一直線に走り込みバトルへと発展するシーンがある。
この時、エボシ向かい走るサンの視点の両脇には沢山のたたら場にいる人間が背景として描かれているが、この左右の人物たちが遠近法を敢えて無視して描かれている。
これは公式でも製作過程の紹介で発表されているが、実際の映像を良くみると、奥にいるエボシやゴンザ、左右の人物は表情豊かに様々なリアクションをしているが、手前から奥にいたるまで、ほぼ大きさに差がないのだ。
これは遠近法に則って描くなら最奥のエボシにいたるとほぼ豆粒になり、手前側の人物から順に小さくならなければおかしい。なぜ、敢えて遠近を無視して描き、その状態でアニメーションにしたのか。
これは、エボシの存在感と走り抜けるサンの疾走感を演出するためだそうで、映像を静止して良く見なければ違和感を感じず、狙い通りにエボシのラスボス感やサンの人並み外れた野生味のある疾走感が存分に感じられるところだ。
千と千尋の神隠しでは千尋が初めて湯屋「油屋」に足を踏み入れた時のシーンで、初見のさいに私は「さすが宮崎駿」と思ったものだ。
このシーンでは千尋は油屋の中で入口付近から吹き抜けになっている油屋の上階の方へと視線を上げていっている、その千尋の視点で描かれていて、この場合は本来なら、上部の構造物は小さくなっていくはずだが、反対に上に行くほど大きくなっている。
これは外見では感じ無かった油屋の巨大さ、賑やかさ、華やかさなどに千尋が圧倒されているために見えている、半ば心象風景のようなものだ。
そして、この圧倒的なシーンを千尋の視点で見せられた瞬間に、私達、観客は千尋とシンクロしてしまうわけだ。ストーリーの展開で徐々に主人公に感情移入するのではなく、たったワンシーンで主人公と同じ視点で同じ感情に没入させられてしまうのだ。
インパクトのあるシーン展開とアングルで一瞬で観客を物語の世界に異世界転移させるのが監督の得意とするところだと思う。
魔女の宅急便では古典的ともいえる手法だが、アニメーションにおいては珍しい、主人公を固定して背景を回しながら遠ざける、という方法で空へと舞い上がる主人公を描いて見せた。
他にも細かいところまで、画角や人物の動き、構造物の対比など、技術的な部分で本当に凄いことが沢山あるが、そのあたりは私よりおたきんぐの解説の方が正確で面白いので、興味のある方は是非YouTubeなどで見てほしい。
カリオストロの城も忘れてはいけないだろう。
「突撃ー」と号令をかける銭形警部に応えて走り出すパトカーの群れに「埼玉県警」と横書きされているパロディはファンの間では有名だ。
これは大のルパン三世ファンの監督ならではのリスペクトを感じるオマージュだ。
原作ルパン三世の公式設定で銭形警部には埼玉県警への出向歴があることになっているのだ。
ルパン三世のジャケットが当時のテレビシリーズでお馴染みの赤ではなく、敢えてパイロット版の青だったり、銭形警部がやたらかっこ良かったり、色々とルパン三世愛を感じる作品だ。
錯視を利用し、それでいて奇抜な表現と感じさせない。それは監督が技術的な手法を取る目的が、焦燥や疾走、怒り、喜び、悲しみ、そう言った観客に感じて欲しい事柄を表現するためだからであり、そして、表現手法自体は敢えて自然に感じて違和感が出ないように仕上げているからだ。
これは凄いことだ。
実写では再現できない、アニメーションだからこその表現で私達に狙い通りの感情を抱かせる。
まさしく、絵に魂を与えるアニメーションの真髄だと思う。
キャラクターの特徴も監督ならではなところがある。厳つい髭の大男が敵に出てくる。強い女性がいて姉さんやおっかさんポジションでいる。正義感の強い優しい男の子がいる。あーこれはジブリキャラクターだって思う共通するキャラクター像があって、それがとても楽しい。
かならず、作品にテーマを持たせて、それをしっかりと作品を通して伝えるところも監督の凄さだと思う。
映像、音楽に拘り、観客を驚かせる仕掛けをあれこれと盛り込みエンターテイメントとして最高の作品にしながら、テーマ性に富み、しかし決して押し付けがましくない。
これができるってのは本当に凄いことなんですよね。自分でものを作ると良くわかります。
最後に宮崎駿でもうひとつ、凄いエピソードがあって、手塚治虫先生が鬼籍に入られて、多くのクリエイターや関係者による追悼の寄稿本が作られたさいに、功績や人柄を称賛するコメントが並ぶ中で、アニメーターの劣悪な環境をつくった元凶と断罪されていたそうで、凄いですよね。もちろん、リスペクトがあった上での批判ですね。
アニメーターのトップであり、日本アニメーションの先駆けでもあった手塚治虫先生は本人がどうしようもないワーカホリックでかつ、天才だったために、殺人的なスケジュールを一人でこなしてしまった。
だからこそ、その後のアニメーターの待遇に悪影響になったってことですね。
宮崎駿監督にはまだまだ頑張って欲しいですが、監督が天国に行かれた時に、監督にたいしてカウンターを浴びせる気概とリスペクトをあわせ持った若者が現れるんだろうか。なんて思ったりもします。
とりとめない文章でしたが、これで終わりにします。
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