ユメノセカイヘ
「今日の配信は、ここまでっ! 次回もぜったい、観に来てくーるりんっ」
マイクに通った男の声が、女性の声に変換されて流れていく。確認している画面に『またくるりん』などの文字が大量に流れ、花を持ったウサギが跳ねるアニメーションが現れた。配信終わりのお疲れ様ギフトをリスナーが投げてくれたのだ。
マイクをミュートにして、配信画面に『また観てくるりん』と書かれた愛らしい少女のイラストを映し、しばらく待ってから配信終了ボタンをクリック。
画面が暗くなり、無機質な字体で『本日の配信は終了しました』と表示された。
「ふう」
息を抜いて、VRゴーグルを外すと視界が現実に戻った。美少女ヴァーチャルライバー月未希くるりが消えて、坂本静馬が戻ってくる。
「今日のギフトポイントは」
ぶつぶつ言いながら椅子に座って、配信者個人ページのギフティ確認画面を開く。重課金者のヒョリロンさんが今日は来なかったから、あまり伸びていない。
「まあ、こんなもんか」
フォロワーの数は、新規が十三人ほど増えている。悪くない結果だ。
ギフトを送ってくれないリスナーは、潜在的課金者だ。いずれギフトを送ってくれる可能性を秘めているし、たとえ送ってくれなくともファン数が増えれば人気度ランキングが上がり、さらなる新規リスナーを呼び込むこともできるから、ありがたい。
「そろそろ次のイベント企画を考えておかないとな」
前回は、月未希くるり缶バッチとアクリルキーホルダーが課金上位者へのプレゼントだった。ボーナスの時期が近いからギフト額に期待が持てるし、次のプレゼントは豪華なものにしてみるか。
「タペストリー……いや、いっそ抱き枕カバーなんて、いいかもしれないな」
疲れた夜には、くるりが添い寝してあげるからね。なんてかわいく宣伝すれば、俺のような男たちがこぞってギフトを投げてくれるだろう。
そうと決まれば、さっそく絵師に連絡をしなければ。今回のイラストは大きなものになる。今まで頼んだものよりも、製作時間がかかるはず。それとも、イラストの大きさが変わっても、作業の手間は変わらないのだろうか。まあ、どちらにしても早めに注文を入れておくに越したことはない。
メールソフトを開いて、アドレス帳からパラ治クロロを呼び出して文面を打ち込んでいく。
《いつもお世話になっております。 月未希くるりイベント用イラストをお願いいたしたく、連絡をさせていただきました。》
真面目な文体で、簡潔に用件を打ち込んでいく。次回イベント用の抱き枕カバーのイラストを発注したい。はっきりとしたエッチなイラストではなく、エッチな雰囲気は出ているけれど、露出は少ないものがいい。だが、この後に何かあるのではと思わせる表情とポーズを希望します。
「表面は普段の元気な感じで、裏面はふたりきりの特別感を得られるもの。見積をお願いいたします……っと」
送信ボタンをクリックして、返事を待つ。パラ治クロロさんは個人依頼のイラストも受け付けるイラストレーターだ。俺たちの間では、そういう人たちを絵師さんと呼んでいる。彼女なのか彼なのかはわからないが、素人が依頼をしやすいプラットホームで『イラスト描きます』と出品しているのを見つけて、連絡を送ったのが依頼のはじまりだった。
ヴァーチャルな姿を手に入れて、自分ではないものとして誰かと接する。
そのために必要な素体が欲しくて、絵を描いてくれる人を探しているときに、目に飛び込んできたイラストにひとめ惚れをしてから、ずっと月未希くるりのイラストを依頼し続けている。
月未希くるり。
ヴァーチャルな姿で生配信をする、十七歳の元気で無邪気な女の子。
それが、俺が演じているヴァーチャルライバーの名前とプロフィールだ。
まさか美少女になりたいという夢を、叶えられる日が来ようとは。
月未希くるりフォルダをクリックして、イラストを表示する。最初にパラ治さんが送ってくれた、2D配信用の初期くるり。ミント色の長い髪をロリータチャイナと呼ばれる、根元が団子になっているツインテールにしている。大きな瞳と丸い頬。首は細く、体系はスレンダー。衣装はクリーム色のオフショルダーで、腰に大きなリボンのついたふわふわの青いミニスカート。白いニーハイソックスの上部とミニスカートの間に見えるふともも。通称、絶対領域は外せない。靴はくるぶしあたりまでの短い茶色のブーツ。
俺の好みを羅列してイメージを送った結果、提出されたのがこの姿だった。
「はぁ……かわいいなぁ」
我ながら、いい趣味をしている。さえない男がアニメの魔法少女さながらの美少女になれるなんて感動だ。
どうせ無理だろうと思いながらも、心の中に抱え続けていた俺の夢。――美少女になりたい。
その願いを実行に移すための技術を開発してくれた誰かのおかげで、こんなに楽しい日々を送れている。
ありがとう! 技術を開発してくれた誰かよ。
ニヤニヤしながら次の画像を開く。衣装違いの別の姿に、さらに目じりが下がった。
「くるり、最高……さすが、俺の娘」
うっとりとつぶやいて、いやいや違うと首を振る。くるりは俺の内側に眠る美少女で、娘ではない。この界隈では姿を生み出した絵師がママであり、演じている者は魂と呼ばれている。つまり俺は、くるりの魂。くるりと一心同体。いや、くるりの体は画面に映る美少女だ。ということは、一心別体? というのも、しっくりこない。
くるりは、くるり。俺じゃない。
俺が魂を生み出した、俺の理想を詰め込んだ愛らしい美少女だ。
さらにクリックして、イベント景品として依頼した過去のイラストを表示していく。ハロウィン衣装。クリスマス衣装。正月の着物姿。どれもこれも、可愛くてたまらない。
「次のイラストも、最高に楽しみだなぁ」
デレデレしながら最新の3Dモデルを表示した。これは3Dモデラ―に依頼をして制作してもらった。こういう技術を持っている人に素人が気軽に仕事を依頼できる時代に生きていてよかった。VRヘッドセットを装着して自分は美少女なのだと暗示をかければ、俺はくるりだ。音声もソフトを介せば少女になれる。
俺みたいに、本体は男だけれど姿は美少女なヴァーチャルライバーは、ヴァーチャル美少女受肉を略してバ美肉と呼ばれている。だが、くるりの魂が男だとは誰も知らない。パラ治さんも3Dモデルを制作してくれた方も、俺の性別も年齢も何も知らない。仕事を依頼するときは、くるりのマネージャーと名乗っている。
中には魂の情報を隠そうともしない、美少女姿でありながらボイスチェンジャーを使わずに、男の声のままで配信をする人も少なくない。ギャップを楽しんでもらいたいとか、姿だけ変えて配信内容は自分のままでいたいとか、目的は人それぞれだ。女性が美少年や美青年になっている場合もある。
配信者の生身の情報ではなく、配信に出ている性別や性格がリスナーにとっては本物だ。
画像をすべて閉じて、パソコンをシャットダウンする。はじめに金をケチらずに、くるりを作成してよかった。俺の好みを詰め込んだ彼女だからこそ、多くの男たち――中には女性のフォロワーもいるけれど――から支持を得ている。
立ち上がり、伸びをして背筋や首のコリをほぐした。VRゴーグルをずっとつけていると、重たくて肩が凝る。配信は二時間か三時間が俺にとっての限界だ。長時間配信をしている人は、よっぽどいい機材を使っているか、体が丈夫なんだろう。
配信が終わると、寒い時期でも汗をかく。2Dの頃は顔をカメラで映してモーションキャプチャーで表情を動かしながら、キーボードやマウスを操作してポーズを変化させていた。今は全身をカメラに映して反映させているから、そこそこいい運動になる。
理想の美少女になれる魔法の時間。
これがあるから、生きていられる。
これがなければ、俺は鬱屈した精神を腐らせないために無感動を装い、自分をだまし続けていただろう。
心地いい配信疲れを味わいながら、服を脱いでシャワーを浴びる。明日も大学時代から続けているピッキングのアルバイトがある。大手ネットモールで注文のあった品を、倉庫の中から探し出して出荷をする仕事は神経も体力も使うから、しっかりと睡眠をとって体を休めなくてはならない。なにより、そうしておかないと仕事後のヴァーチャル活動に支障が出てしまう。
体を洗いながら、今月のギフト総額を思い出す。配信プラットホームが八割を取り、残りがこちらの収入となる。トップ配信者ともなれば、月に五十万……いや、百万円は稼いでいる人もいる。くるりはヴァーチャル部門では中間よりもやや上に位置しているが、配信だけで生活をしていくのは難しい。けれど、月のバイト代の半分程度は稼げている。
くるりを3D化できたのも、キャラグッズを景品にした自主イベントを開催できているのも、おひねりと呼ばれるギフトの収入があるからだ。
ザッと体を洗ってお湯で流し、乱暴に体を拭いて下着も穿かずに部屋に戻った。スマートフォンをチェックすると、パラ治さんからの返信が届いていた。
《月未希くるりマネージャー 坂本様
ご依頼ありがとうございます。
抱き枕カバーイラストの見積書をお送りさせていただきます。
ご検討よろしくお願い申し上げます。
パラ治クロロ》
添付のPDFファイルを開いて金額を確認した。やっぱり缶バッチやアクリルキーホルダーよりもずっと高い。だが、俺の理想の月未希くるりを描けるのは、この人しかいない。パラ治さんの経歴は知らないが、クオリティからしてプロと遜色がない。そんな絵師に描いてもらうのだから、このくらいの出費は当然だ。
すぐさま料金承知しましたと返事をして、にんまりとする。どんなイラストができてくるのか楽しみだ。ニヤつく口元をそのままに、幸せな気分で布団にもぐった。
単調だが、まったく同じ内容ということのないピッキングの仕事は神経を使う。注文のあったものを箱詰めして注文番号の札を貼ってレーンに流す。レーンはバーコード読み取り機を通って出荷担当のブースへ到着。そこのスタッフが手続きを行うと、荷物はトラックに乗せられて各地へ運ばれる。
つまり俺が注文の品を入れ忘れたり、余分なものを入れてしまったり、あるいは類似の別商品を詰めてしまうと、クレームが来る。どこに何があるのかは機械で検索可能だが、ピックアップして箱詰めをするのは従業員の手作業だ。品物の形状や壊れやすさなどを考えて、注文品が無事にお客様の手元に届くための配慮が必要。
誰でもできる簡単な仕事ではあるが、気遣いができるかできないかが重要なスキルとなる。運送屋の従業員が、箱を乱暴に扱うかもしれない。不測の事態が起こって、荷物が落下したり何かにぶつかったりして、衝撃を受ける可能性もないではない。なるべく丁寧に、しかし梱包代がかさまないよう、出荷時間と戦いながら丁寧な仕事をしていかなければならない。
地味だが、体力も意識も出し惜しみができない仕事だ。
なんて、自分を奮い立たせてみるが、実際は慣れれば手が勝手に適切な状態になるよう動いている。お客様のことを考えてとか、自分がもし客の立場だったらと想像して梱包しましょう、なんてことを新人の間は言われるが、マニュアルに沿って梱包すれば問題ない。
大げさにあれこれと考えているのは、そうでもしなければ自分が機械になった気がしてしまうからで、人間にしかできない仕事だと思い込みたいからだ。
俺という個人が消滅してしまいそうな気がして、なんとか自我を保つために言い聞かせていた大層な仕事の意義というか、なんというか。
思えば思うほど情けなくなるとわかっているのに、言い聞かせていなければ惨めな気分になってしまう。
なんて日々は、月未希くるりを手に入れてから消滅した。俺は配信のために仕事を頑張っている。配信に必要な体力づくりをしながら、配信機材やグッズ制作などの資金を得られているのだと、気持ちを支える目的を手に入れられた。
もっともっと配信時間を増やして、企画も色々考えてやっていきたい。将来的には、配信だけで生活をしたいと希望を抱けるようにもなっている。そうなるための資金を得るために、バイトに精を出そうと思える。
今はまだ、安定したギフト報酬を得られていない。給料日前になればギフトの勢いは落ちてしまうし、たくさんギフトをくれるリスナーが来ない日はゼロではないが桁がひとつふたつ、下がってしまう。
高額ではなくとも安定してギフトをくれるリスナーが複数いればいいけれど、月未希くるりはまだまだだ。少数の重課金リスナーがいてくれるおかげで、月のバイト代の半分程度にはなれているというのが現状だ。
「おっ」
手元のピックアップ票に眉を持ち上げた。これはたしか、リスナーが勝手に月未希くるりのライバルと言っている、妖精系ヴァーチャルライバー・柚花るんが、欲しいものリストに登録したと言っていた新発売のチョコレート菓子だ。大手ネットモールが提供している〝欲しいものリスト〟というサービスに品物を登録していると、応援したい者から送ってもらえることもある。受け取り側の情報を送り主に隠すことができるので、ヴァーチャルライバーの多くが利用している。送り主も匿名で配送依頼ができるので、気軽に送れるという寸法だ。もちろん、ショップ側は双方の個人情報を持っているが、開示されることはない。
彼女のファンからの注文だったらと想像して、にやにやする。
月未希くるりの魂が、柚花るん宛のプレゼントをピッキングしているなんてファンが知ったら、どんな反応をするだろう。
クックッと喉を鳴らしながら作業をしていたら、同僚に奇妙なものを見る目を向けられた。笑いの残滓を鼻息に変えて無表情に戻り、段ボールの蓋を閉じる。ピックアップ票を箱に張りつけてレーンに流し、次のピックアップへ。
もしあの品が想像通り柚花るん宛のものなら、離島でなければ明日中には到着をするはずだ。柚花るんが受け取れる状態かどうかは知らないが、遅くとも翌日の夜までには手にするだろう。
配信者タイムラインにアップするかどうか、楽しみだな。
登録している配信サイトには、タイムラインという名の画像とコメントを載せることのできる場所が存在する。配信後のお礼や次の企画の告知などが主な内容だが、中にはファンから送られてきた品を、お礼の言葉と共に載せている者もいた。
絵文字を使ったかわいらしい感謝の投稿を想像すると、口元が緩んでしまった。
そんな投稿があったとしても、働いているのは俺だけじゃないから、俺以外の誰かがピッキング作業をしたものかもしれない。ここ以外にも倉庫はあるから、別の場所から出荷されたものかもしれない。
だけど、俺がピッキングしたものである可能性は否定できないと考えるのは、楽しい。
柚花るんは、魂が女性の美少女ヴァーチャルライバーだ。白銀のロングヘア―に黄色い花のついた白いカチューシャ。黄色い花のコサージュが付いている新緑色のノースリーブと二の腕まである同色のフィンガーレス手袋。花びらを重ねたようなふんわりとした、カチューシャの花と同じ色のミニスカートに緑と白のロングブーツ。白のレースが衣装のアクセントになっていて、可憐な容姿のライバーだ。
彼女と、俺の理想を詰め込んだ月未希くるりがライバルと言われているのは、光栄だ。本物の女性の魂が宿っている柚花るんと同格と見られているのは、とてもうれしい。向こうがどう考えているのかは知らないが、別アカウントで視聴した配信では嫌がっているそぶりはなかった。
本音はどうか知らないが、表面上は当たり障りのない態度でいてくれるのは、ありがたい。フォロワーが勝手に盛り上がって、配信サイトが主催しているイベント企画に参加をした際、どちらがランキング上位になるかと競い合ってギフトの投げ合いをしてくれる分には助かるので、ギスギスした雰囲気にさえならないのなら、勝手にやってくれと向こうも思っているんじゃないか。
彼女がどんな目的や目標を持ってライバーをしているのかは知らないが、ギフトが多くて困ることはないはずだ。報酬をもらうのが嫌な人間は、いないだろうから。
午前の仕事を終えて休憩室に行き、ロッカーからスマートフォンを取り出した。着信は一件もない。メールもない。だが、チャットも通話も気軽にできるDiscordというサービスのアプリ通知は数件あった。
といっても個人的な連絡ではなく、Discord内で個人や企業が作成できるサーバーと呼ばれる場所に参加している者すべてに向けたメッセージの通知だ。
俺が参加をしているものは、配信サイトの運営が作成したヴァーチャルライバーのみが登録できるコミュニティサーバーで、雑談や相談など、カテゴリごとにチャットができるルームが開設されており、情報交換や交流がおこなわれている。
アプリを起動し、ざっと新着のメッセージに目を通した。荒らしと呼ばれる迷惑リスナーの情報共有と注意喚起が載っていた。
今夜の配信に、迷惑リスナーは来るだろうか。相手がヴァーチャルだからなのか、匿名性があるからなのか、わけのわからない発言やセクハラコメントをしてくるリスナーは、ポコポコと湧いてくる。
はっきりと拒絶を言える性格のキャラクターや、冗談めかして注意ができるキャラクターづくりができているのなら問題ないが、月未希くるりは無垢な美少女だ。もしも配信にやってきたら、どう対処をすればいいかの脳内シミュレーションをしておこう。
休憩室の隅の席に落ち着いて、出勤前にコンビニで買っておいた唐揚げ弁当を広げ、スマートフォンにイヤホンをつないで配信サイトのアプリを開いた。
イヤホンを耳に入れて、現在配信しているヴァーチャルライバー一覧を表示した。ライバーの活動は、不定期だったり固定配信をしていたりとさまざまだ。月未希くるりは平日の夜八時から二時間配信。土日祝に配信をすれば視聴者数を稼げるが、休むと決めていた。ピッキングの仕事は出荷時間の締切りがあるので、注文の増える土日祝はへとへとになってしまう。そんな状態で月未希くるりは演じられない。
やってくれという要望をもらいはするが、体を壊してしまっては配信どころじゃなくなってしまう。健康第一。月未希くるりを守るために、俺の体も守らなければならない。
ヴァーチャルライバーになってから、健康にも気を使うようになった。気力も体力も充実していなければ、コメントにしっかり対応できない。次々に流れてくるコメントを拾って返事をしなければ、リスナーをがっかりさせてしまう。もちろん、すべてのコメントが拾えるわけではないし、中には読まないと判断する内容のものもあるけれど。
ああ、そうか。注意喚起のあった迷惑リスナーのコメントは、すべて無視をすればいいのか。問題は、リスナーが迷惑リスナーに反応をしてしまった場合。かまってほしくてやっている可能性が高いから、正義感から注意をするリスナーが現れたらどうするか。
考えながら、配信一覧に載っているライバーを確認する。
人気上位の五月雨しずくの定期昼配信と、気まぐれ配信をウリにしている祢子真たま。イケメンボイスで癒し配信のレイ・ヴァリー。あとは――。
見慣れないヴァーチャルライバーの配信がある。新人だろうか。一応チェックしておこうとアイコンをタップして配信を開いた。
『ありゃ、りょりょりょ? わぁ! お花いっぱい、あぁりがとっ』
画面いっぱいに花が散るアニメーションのギフトに、幼い姿の女の子が甘く高い声で感謝している。ふんわりとカールした金髪セミロング。ピンク色の大きなリボン。瞳の色は緑だ。西洋人形みたいなドレスから、無邪気な少女というキャラクターの雰囲気が現れている。鼻にかかった舌ったらずの話し方。コメントを拾っていく速度は速い。
この子は、人気が出るな。
庇護欲をくすぐる姿と声。ギフトに対する大げさな反応に、リスナーたちが興奮している。画面の中からあふれ出る熱量は、アイドルに熱を上げる男性ファンのそれと酷似していた。そう。ヴァーチャルライバーは、会話のできる芸能人みたいなものだ。だから応援したくなる要素を持っている子は初動人気が上がりやすい。しかし、それを維持していくのは難しい。
初期の応援に気をよくしていたら、急に人気が失速して心が折れて辞めてしまうというパターンを何度も見てきた。
この子の名前は香月れもん、か。コメントのさばき方を見ているかぎり、こなれている感じがあるから別のプラットホームで配信をしている子かもしれないな。
ヴァーチャルライバーの数は多い。全員を把握しているわけではないから、別場所からこっちに移ってきた。あるいは別場所とこちらの両方で活動していくつもりなのかもしれないと予測しながら、プロフィールを開いた。
やっぱり別の場所で活動をしていた。そこへのリンクが貼られているから、両方で活動をする予定なのか。あるいは試しにこちらで配信をしてみて、今後どうするかを検討するつもりでいるのかもしれない。
こうして他ライバーの様子を探るのは、俺のくるりを高みへ連れていくための勉強になる。彼女をもっと多くの人に知ってもらいたい。俺の理想そのものである彼女は、人気者になるべきだ。
月未希くるり。多くの人に愛されて、応援される愛らしくて無垢な美少女。もっともっと、色々な姿が見たい。魂と呼ばれる中身は俺だけれど、俺自身が彼女ではなく、俺の中に彼女が住み着いていて、配信時に表に出てくるだけなのだ。
そう。
俺と彼女は別人格。ただ、経験や思考は共有しているから、俺が知らないことは彼女も知らない。
ふっと脳裏に、柚花るんが欲しいとアピールしていたチョコレートが浮かんだ。あれを買って食べてみよう。月未希くるりは女子高生だから、その年代に人気のあるものは触れられる範囲で知っておきたい。
きっと、彼女は食べたがる。俺が買ってやるから、楽しみにしていろよ。
心の中で語りかけて、唐揚げを口の中に放り込む。香月れもんの配信から別ライバーの配信に移動して、情報を仕入れていく。
リスナーの中には、別のライバーの配信内容をコメントする人もいる。ライバー自身が別ライバーの配信を視聴しに行くことも珍しくない。その場合、知っているのと知らないのとでは、相手の心証が変わってくる。肌に合わない相手ならばしかたがないが、そうではないライバーの配信はチェックできる範囲で観たい。月未希くるりのために。そして、もともとリスナーとして楽しんでいた、純粋にヴァーチャルライバーファンとしての俺のために。
安定の人気を誇る五月雨しずくのギフト総額は、月未希くるりと桁が違う。彼女は生活できるレベルの報酬を得られているが、配信は週に三日ほどしかない。配信をしていない日は、何をしているのだろう。
Discordは月未希くるりで登録をしているから、パラ治さんとやりとりをしている、マネージャーの坂本としてではなく、月未希くるりとして彼女に質問を送ることは可能だ。
ヴァーチャルライバーのみが参加できる配信サイトのDiscordサーバー内でのやりとりは、外部に漏らしてはいけない。そもそもヴァーチャルになっている時点で、自分の情報を簡単に出したくない人が多い――中には、生身の姿を開示したり私生活の話をしたりするライバーもいるが――のだから、ここで得た情報は外には出さないと配慮のできる人がほとんどだろう。その中で、さらに個人的なやりとりをしたい場合は、相手のアイコンをタップしてダイレクトメッセージを送ると、やりとりの中身はふたりだけのものとなる。しかし、聞いてみる勇気はなかった。
個人的なやり取りで、お互いの素性を明かしているヴァーチャル同士もいるにはいるが、俺は一切、していない。月未希くるりを〝俺が演じているバ美肉キャラ〟として認識されたくないし、別のライバーさんの裏話を知って夢を壊されやしないかと不安を抱いてもいる。
まれに連絡を取りたい衝動に駆られることもあるが、ギリギリで踏みとどまっていた。
弁当を食べ終えて、別の配信を観ようと画面を操作したら、現在配信中の一覧に柚花るんのアイコンがあった。
彼女の配信はだいたい夜の十時から、日付が変わるまでの二時間だ。昼間にするなんて珍しい。何かあったのだろうか。もしかして、配信サイトが企画しているイベントにガチで参戦しているのかもしれない。
『ひっく……ぐすっ』
泣き声が鼓膜に触れて、目を見開いた。画面上の彼女は目を伏せて、首をゆらゆら動かしている。さっきDiscordで注意喚起のあった迷惑リスナーに、嫌がらせでもされたのか。
状況を把握しようと、配信に集中した。
『どうせ私は……っ、くるりちゃんの代わりとか思ってるんでしょ』
ドキッと心臓が跳ね上がって、喉から飛び出しそうになった。なんだ……なんで、くるりの名前が出てくるんだ。
リスナーのコメントが勢いよく流れていく。
《くるりちゃんの代わりだなんて思っていないよ。》
《推しているのは、るんちゃんだけだよ。》
慰めの言葉と共に、投げられる大量のギフト。今月のギフトカウント数がぐんぐん上がっていく。
『でもっ、それは……るんが未熟だから……っ、ふぇ……みんなを楽しませられていないから……っ、だから』
泣きながら弱音を吐く柚花るん。慰めるリスナー。
なんだ、これ。まるで月未希くるりが悪者みたいじゃないか。どういうことなんだ。なんで、こんなことになっているんだ?
クラリと軽いめまいがした。
もしかして、互いをライバルだと思っているリスナーが意地の悪いことを言ったのか。泣いている彼女を慰めたい。だが、どう言えばいい。俺は月未希くるりの魂だ。視聴アカウントは別名義だが、事情を詳しく知らないままで慰めのコメントはできない。俺のくるりを裏切る行為になりかねないからだ。
しばらく観ていると、ようやく泣き止んだ彼女のギフト総数は、くるりを大幅に抜いていた。
『ごめんね……弱音を吐いちゃって。楽しい時間を過ごしてもらいたいのに』
ぐすっと鼻をすする音の混じった健気な言葉に、ふたたびギフトが投げられる。リスナーの気持ちは、とてもよくわかる。俺も彼女を慰めるために、応援ギフトを投げたい。だが、引き合いに出された名前は〝くるりちゃん〟だ。月未希くるり以外の、同じ名前のヴァーチャルライバーのことかもしれない。だが、この配信サイトで活動している〝くるり〟はひとりだ。名前を出されたのは、俺のくるりで間違いない。
混乱する頭を振って、アプリを閉じた。イヤホンを外して深呼吸をする。配信を観たよと連絡を送ろうか。いや、ダメだ。声をかけるには情報が少なすぎる。時間を置いて、情報を検索してから対応を考えればいい。
今日の配信に、影響は出るだろうな。
憂鬱な気分で休憩を終えて仕事に戻り、終業してすぐ情報をかき集めた。
リスナーの中には、配信後に視聴した内容をTwitterで発信する人や、配信お疲れ様などのコメントをヴァーチャルライバーのTwitterアカウント宛に送る人がいる。
それらを追いかけると、ざっくりとした内容がわかった。
双方をライバルと見なしているリスナーが、今月のギフト数で負けている、もっと個人イベントの景品を豪華にするなどして努力をすればどうか等とコメントを送ったのがきっかけで、他のリスナーたちが要求をどんどんぶつけてエスカレートしたのが原因ということだった。
なんだよ、それ。
リスナーは勝手なことを言う。だが、この流れは完全にアウトだろう。応援という名のリンチに等しい。できることは、それぞれ違う。俺だって、配信初期はいろいろと要求されて心が疲弊した。配信キャラと自分自身をどう切り分けているかにもよるけれど、るんちゃんは全部を素直に受け取って苦しくなってしまったんだろう。
リスナーが勝手にライバル視してギフト数を競い合ってくれれば……なんて考えていた自分が、恥ずかしくなった。相手を苦しめてまで稼ぎたいとは思わない。ライバルとして競い合ってはいないと、リスナーに伝えよう。
今日の配信は、より楽しく明るいものにしないとな。
情報検索を続けていると、どす黒い気配をまとった感想コメントが目に留まった。
《ギフトを投げてもらうための作戦だろ。きったねぇな。引き合いに出された子が、かわいそすぎ》
ズクンとみぞおちのあたりが重たくなった。もったりとした冷たい悪意を、腹の底に沈められた気分だ。
そんな子じゃない! と、抗議をしかけて思いとどまる。ここで反応をしたら、火に油を注ぐ結果になりかねない。
どうすればいい。なあ、くるり。俺は、どうすべきだと思う?
悩んでいると、スマートフォンが震えた。メールの着信があると表示されている。確認すると、パラ治さんからだった。件名は【月未希くるり抱き枕の件について】。
腹の底にあった冷たいものが砕け飛ぶ。依頼をしたイラストの下書きが送られてきたのだ。
今すぐ添付ファイルを開きたい衝動を抑える。スマートフォンの小さな画面ではなく、パソコンの大きな画面で確認したい。
帰路を進む足は軽やかに動いて、小走りになった。
俺の理想。俺の夢。俺の希望。俺の可愛い月未希くるり。どんな表情で、どんなポーズで描かれているのだろう。
早く見たい。早く触れたい。ああ、楽しみだ。
高揚しながら玄関の扉を開けて、靴を脱ぎ捨て部屋に駆け込みパソコンの電源を入れた。メールを開いて添付ファイルを表示する。
「っ……ああ」
感嘆のため息。下書きでこのクオリティ。たまらない。最高だ。早く完成品が見たい。そして、一秒でも早くリスナーにお披露目したい。
急いで返信文面を打ち込んだ。
《パラ治クロロ様
いつもすばらしい月未希くるりを、ありがとうございます。
問題ありません。このまま進めていただけますと、幸いです。
あと、このラフをリスナーに見せることは可能でしょうか。
あまりにも愛らしいので、少しでも早く公開をしたいのです。
お返事、お待ちしております。
月未希くるりマネージャー 坂本》
ああ……やっぱり、俺のくるりは最高だ。