イギリスにおける二大政党制と、ローマ帝国の税制について
19世紀後半のイギリスにおける保守党、自由党のありかたというのは、二大政党制の良好なモデルであるように思います。
保守党にはディズレイリ。自由党にはグラッドストーン。
ともに 熟練の大政治家と言えるであろう人物が指導。
政権は幾たびか交代はしたが、その在任期間は 各々長期にわたりました。
そして保守党が政権を担う時期は、イギリスが対外的に国威発揚 を行う。
自由党が政権を担う時期は、内政の充実期。と、結果的にそのような役割分担がなされていたような印象があります。
伝統的価値を重んじる真正な保守政党。
そして、社会的公正、富の遍在抑制を重んじる保守政党。
言論の自由、安全な社会。安定した社会基盤、市民生活は、当然のこととして、
前記の二大政党が、さらに経済的発展と福祉の充実。ウェイトをおく政策の役割分担を行い、各々が安定した5から10年の政権を担い、政権交代する。
この日本の歴史においても、そのような二大政党制が実現したら、と思います。
塩野七生氏の、「ローマ人の物語」によれば、ローマ帝国のその全盛期においては、税制はシンプルで、その負担も、全般的に言えば、現代日本よりも軽かったようです。
その理由として、社会資本の整備は、現代日本では、税金を使って国家が行うものですが、ローマ帝国においては、概ね、富裕な有力市民が私財を投じてそれを行う。
持てるものにとっては、それを行うということが、大きな名誉であるという共通認識があったようです。
公共建築物は、それら有力市民によって建てられることが多かったので、市民の全般的な税負担は軽くてすんだということのようです。
「ローマ人の物語」は、歴史の専門家からは、歴史的に見れば誤った記述が多く、あの著作は歴史ではなく小説として読むべき、というような評価を受けているようです。
また、私自身もその記述を意訳してしまっているかもしれない、ということはお断りしておきます。
富裕層の私財、寄付によって、社会資本を整備する。
富裕層に対する所得税率を上げれば、多くの人が税率の安い国外に去ってしまうかもしれない。
そういう心配をしなければいけないことと比較して、かなり異なる在り方ですが、しかし、私財を抛つことが、あたかも義務であるかのように強制できるわけではありませんし、法律で決めれるようなことではありません。
そういうことをしてくれた富裕層がいたら、大々的に感謝する。その行為を大きく取り上げる。
持てるものに取っては、それが出来るということは、とても名誉なことである。
富裕層が自ら進んでそれを行うようになるような社会的良識を育てていくというのが良いのかな、と思います。