マイナー志向について ディテールを愛おしむこと
日常生活をより愉しむには、メジャー志向よりもマイナー志向のほうが良いかな、と思います。
色々な物事で、それを代表するもの、中心にあるものより、そうではないものに対して興味、関心のウエイトを高めるということになりますでしょうか。
具体的に例をあげると
歴史については、時代を代表する国家の歴史、歴史的大事件、歴史的有名人を中心に読むのではなく、
庶民の歴史、地域、地方の歴史。周辺国家の歴史に大きな関心を持つ。
スポーツでは、スターや、優勝争いを中心に見るのではなく、脇役、無名的選手に大きな関心を持つ。
有名な芸術家の作品だけでなく、あまり世に知られていない芸術家の作品に興味を持って、どんどんふれていく。
観光では、人気の高い場所ではなく、人があまり行かないような場所を選んで、ゆっくりしみじみ味わう。
そして、劇的なことで気持ちを高めるよりも、穏やかで平凡な日常を愛おしむこころを築いていく。
以上は一部の例ですが、それ以外の物事についても、そういう気持ちで毎日を過ごしていく。
そうすれば、心の中はかなり忙しくなります。世の中のどんなことにも興味を持つ。どんなことに対しても面白いと思えるように努める。
ただ、こころの中に、いつまでもメジャー志向とマイナー志向という風に対立させて、物事を見続けていくのは望ましくはないでしょう。
こころの中に、自分の思考を規定する標語、キャッチフレーズを、いつまでも掲げているのはつまらないし、無駄なこころの使い方です。
頭記したこと、考え方の転換を図ってみるという意味で当初は、ある程度意識したとしても、いずれは、色々やってみて、より愉しいと感じたことにだんだんと行動の重点を移す。そしてマンネリを感じたら、また別のことをやってみる。
こころの使い方としては理屈、理論を頭に思うのではなく、
そういうことはなしに、やっていて愉しいと感じることを、ゆったりと行う。
自分のこころが、愉しいと思える気持ちでいられる時間をどんどん増やしていく。
そうやって、毎日を過ごしていくことができれば、考えることはそれだけで良いのではないかと思います。
とりあえず、これでやめておきます。