ジェネラリストとスペシャリストについて
今はどうなのか分かりませんが、かつてイギリスの貴族は、ジュネラリストであることを求められたそうです。
貴族にとって不可欠な教養は、哲学、歴史、芸術、宗教。
ビジネス、経済学などというものは、その下に位置するスペシャリストの行うべきものとされていました。
従って、学問の名に値するものではなく、大学で教えるべきことではありませんでした。
医学についても、それは学問ではなく、単にテクニックに過ぎないとされていました。
戦前の日本においても、旧制高等学校の学生は、目指す分野がたとえ経済であっても理工系であっても、哲学、芸術が語れない人間は莫迦にされていたようです。
今は、言うまでもなくスペシャリストの時代、哲学を語る人間は莫迦にされる時代であると言えるでしょう。
以上は、たしか、前世紀。1990年代くらいに書いた文章です。
これだけ学問の専門分化が進み、個々の分野で覚えなければならないことが多くなるとジェネラリストである、ということはなかなか難しいのかな、と思います。
私がどの程度のレベルなのかは疑問ですが、もちろん貴族ではなく、上流と呼べるような生活とも無縁でしたが、若い頃からジェネラリストでありたい、という志向はあったかな、と、思います。
おかげで、今思えば余計な思考に捉えられたこともありましたが、総じて言えば、歴史、芸術、哲学、宗教、総論的にはそこそこのレベルでは知っているというのは、相当に楽しいです。
あと相撲、野球をはじめとするスポーツ全般についても興味を持って見続けてきたので、それなりの蓄積もあります。楽しいと思えることがたくさんあるので退屈することはありません。