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楽しい毎日を送るために  作者: 恵美乃海
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格差社会について考える 自由と平等について

2020.5.1及び3記

いったん投稿したものは、記録保管でそのままにしますが、第2部分から第4部分までは削除します。

もうあらためて文章にする必要もないことを、コピペまでしてまたアップしてしまいました。

申し訳ありません。


第5部分も後書き以外は削除します(後書きは、とてもいい文章でそのとおりと思います。そこにも書いていますが、ウィキペディアからの転載です)。

第5部分の本文は、そこに書かれているとおりのことを思っていますが、私自身、毎日そのとおりに実践できているわけでもありませんし、他の人に語るには余計なお世話の類なのだろうな、と思います。

 楽しい毎日を送るためには、どういう気持ち、考え方で過ごせばいいのか。

 そして、では、どんな世界が望ましいか。

 そういうことについて、色々なテーマで、思うことを書いていきたいと思います。


 もちろん結論が出るようなことではありません。あくまでも私的な考えです。


 先ず、今の世界の現状について。


 かつて、日本は一億総中流社会と言われていました。国民の大多数が、自分は上流でも下流でもなく、中流だと認識していた社会。

 今思えば、かなり幸せな社会だったのかな、と思います。


 今の日本、そして世界全体も同様ですが、言われているのは格差社会の進展。


 富は、富裕層に偏在し、貧困層が増大しつつある。


 先ずこのことは、どうしようもないことなのでしょうか。

 自分ひとりの力でそういう世の中の趨勢を変えることができるわけがない。


 それはそうです。


 でもそんなことは無いのではないか、とも思います。


 今の日本は民主主義。

 収入や能力に関係なく、選挙の際は、選挙権を持つひとは平等に一票。


 今の世の中では、上流と認識している人より、中流、下流と認識している人たちのほうがはるかに多いでしょう。


 民主主義という制度は、本来であれば、多くの人が、こうあってほしい、というどういう政権であっても実現可能な制度なのです。


 でも現在の各種選挙での投票率の低さを考えれば、そういうことはあまり認識されていないのかな、と思わざるを得ません。


 自由と平等。このふたつは、ともに人間にとって、根源的に大切な価値と言われていますが、このふたつの言葉は、本質的には相容れない価値観です。


 自由を突き詰めれば平等ではありえないし、平等を突き詰めれば、自由ではありえません。


 世の中を成り立たせるためには、100%の自由も、100%の平等も不可能です。


 政治というのは、本質的には、自由と平等。このふたつの価値観を、それぞれどのレベルで折り合わせるかということなのではないかと思います。


 今は、中国発信のチャイナスタンダードという、世の中が豊かであれば、自由はかなり制限されても止むを得ない、そういう価値観も出てきていますが、


 民主主義国家の間では、世界は大競争社会と言われているように、今は、平等よりも自由のウエイトが高くなっているのかな、と思います。


 以前、何かで読んだのですが、貧しさを、自己と社会、いずれにより大きな責任があると考えるかで、その人の政治的立ち位置が決まるそうです。


 確かにそのとおりなのかな、と思います。


 民主主義国家が、今のような考え方が主流になってきたのは、レーガン大統領、サッチャー首相の時代あたりからかな、と思いますが、当時は、福祉に過剰にお金がかかり、経済停滞の大きな要因になっているので、相当に高かった富裕層の所得税率や、大企業の法人税率を下げるという政策が実施されました。

 政府が経済活動に極力、介入しない小さい政府が志向されました。


 格差社会拡大の是正として、かつてのように大きい政府として、富裕層の所得税率、大企業の法人税率をあげようではないか。そういう政策を実施したほうが良いのではないか、という意見も世界的には出てきているようです。


 確かに、

 大雑把なことを書けば、年収が一億円を超えるような人たちから、税金をあと一千万円多く徴収する。

 その分、中流、下流の人の所得税を五十万円ずつ下げる。


 ひとりの人の、その収入での懐の痛み具合と、二十人のひとの懐の助かり具合。

 それを比べてみれば、この政策はすぐ実施してほしいと言いたくなります。


 しかし、そう単純にも言い切れません。日本がそういう政策を大々的に実施したら、世界が流動的になった今の世の中では、富裕層は、そして大企業は、その種の政策を取っていない国に移住、移転するひと、企業が続出するということが想定されるからです。


 収入の多い人 イコール 能力の高い人、秀れた人だとは思いません。

 人の評価というのは、その人の全体像を見るべきで、収入の多い人というのは、自分の能力を収入に結びつける能力、要は生活力という、人間の個々の能力の中の一部が秀でている人、というべきでしょう。


 それであっても、生活力に秀でた多くの人が、国外に居を移すとなれば、国の経済を考えたとき、他国に対して不利になる、ということは考えられます。

 上記を実効性のある政策にするには、民主主義国家間全体で同様の政策をとる必要があるのかな、と思います。


 今回はここまでにいたします。

 次回も上記のことについて、もう少し書いてみようと思います。



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