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ダムの底:呪われた村  作者: 本宮 圭司
4/13

ダムの底の村

  やってしまった。校則を破り、バイクに乗った。

  これまで市川は自分のことを真面目なタイプだと思っていた。友達のためとはいえ、こんなことは彼女にとってあってはならないことだった。

  周りの景色に目をやると、恐ろしい速さで景色が通り過ぎて行く。

  スピードの出しすぎでは無いかと思い、肩越しにハンドルのメーターを見ると針は35km/hを指している。体感では80km/hくらいに思えていた。

  初めてバイクに乗って気付いたのは、バイクと自動車とでは体感速度がまるで違うということだ。バイクの体感速度は自動車の倍以上に感じられる。

  周りを見ると、速度の恐ろしさに耐えられそうにないのでなるべく前の背中を見つめるようにした。

  彼は背丈こそ低いが、こうして真後ろにいるとその背中はずいぶん大きく見えた。

  しばらくそうして耐えていると、段々と速度感に慣れが生じてきた。恐怖感が薄れると同時に今まで感じたことのない爽快感を覚えはじめる。

  次々と流れて行く景色に、風を切る感覚、体を傾けてのコーナリングは彼女にとって新鮮な刺激だった。

  前方に工事区間が見え、大垣はバイクのスピードを落とした。片方の車線が塞がれており、手前で反射ベストを来た誘導員が旗を上げている。

  こちらに気付いた誘導員は白の旗を上げて、通り抜けられることを伝える。大垣は軽く頭を下げてその横を走り抜けた。

  重機やトラックが並ぶ中で、けたたましい音を立てて作業が行われている。立ち昇る砂ぼこりに思わず息を止める。

  工事区間を過ぎると、バイクのスピードが上がった。

「おい」

  エンジンの音に加えて、ヘルメットの中でくぐもった声は聞き取り辛いが、確かに彼が話しかけるのが聞こえた。

「なに?」

「名前なんだっけ」

  あまり関わり合いたくないとは思っていたが、ここまで来てしまえば名前くらいは教えてもいいかと思えた。

「市川結佳」

「数字の1?」

「マーケットの方」

「へえ」

「毅君…で合ってる?」

「ああ、大垣毅(おおがき こわし)だ」

「大垣市と同じ字?」

「そうだ」

  そんな会話をしているとふと寒さを感じた。さっきまでは体を動かしていて暑いほどだったので上着を脱いでいたが、バイクで風に晒されて体が冷えてきた。

「なあ」

  大垣が言った。

「本当に信じるか?あいつらが言ったこと」

  やはり彼も唯明や鈴木のオカルトじみた話を信じられずにいるらしい。市川は彼らの話を全面的に信じている訳ではない。

  しかしだからといってその話を笑い飛ばすことはできない。他に彼らを救う方法があるわけでもないし、本当に無関係だったとしても気休めにでもなるならそれでいい。

「わかんないけど、少しでも助かる可能性があるなら信じる価値はあると思う」

  正直な気持ちを言った。

「そうだな」


  左手に開けた場所が現れ、大垣はスクーターをそちらに傾ける。すると目の前に巨大な橋が見えた。

  大垣はスクーターを橋の前で停めて言った。

「着いたな」

  一瞬彼の言っていることが理解できなかったが、すぐに目の前にあるのが橋ではなくダムだと気付いた。

  市川が降りると、大垣はキーを抜いてエンジンを止めた。

  目の前にあるのはダム天端と呼ばれるダム本体の上部で、左側を覗くと巨大なコンクリートの壁があり、遥か下方に水路が見えるが水は流れていない。

  ダム天端は開放されており誰でも見物ができるようになっている。

  右側には本来ダム湖がある場所に渇水のため湖底が露出している。

  湖底には流木や土砂が散乱しているが、村の痕跡のようなものは見当たらない。本当にここに村があったのだろうか。

  ポケットから例の金属片を取り出す。ここから投げ込めばいいのか迷っていると大垣が言った。

「村跡はここじゃない。まだしまっとけ」

「え?」

「村はここからもっと奥に行った所だ」

「そうなの?」

「ダムの向こうに歩道が湖沿いにある。そこを行くとボート乗り場があるからそこで底に降りるらしい」

  大垣はそう言うとさっさと歩き出し、市川はその後を追った。

  しまったと思い、事前に夢にどうやって村跡まで行ったのかを訊いておけばよかったと後悔した。大垣のやや尊大な言い方は少なからず市川の癪にさわった。

  大垣の歩調は市川のそれよりも大分速く、早足にならざるを得ない。そのことに少し苛つきながら歩いて行くとダムの端に達した。

  そこから先は山の中で舗装された場所は無いが、人2人がなんとか並んで歩けそうな道がある。

  手前に「三河自然歩道」と書かれた立て札があり、大垣はその道に入って行った。

  てっきり登山道のような急な山道を覚悟したが、道はほとんどなだらかで歩き易い。ただそれでも大垣の歩くスピードに付いて行くのは大変だった。

  5分ほど歩いて少し息が切れはじめたとき、大垣が立ち止まった。その先を見ると分かれた道の先に裏返されたボートが並んでいた。

  水が枯れているからなのか、それともシーズンでは無いからなのか今は営業していないようだ。

  ボートの横を過ぎると小さな浮き桟橋が地面に置かれていた。

  本来なら水に浸かっている部分の土は少し色が違っており、水辺としての名残りを残している。

  そこから湖底までは急な斜面になっている。大垣もこの斜面では恐る恐るという感じで下って行った。

  市川も何度か滑りそうになり肝を冷やしながらも、湖底に辿り着いた。

  辺りを見渡すと一面に土が露出しており草などはは一切生えておらず、所々に茶色い水溜りが広がっている。

  周囲を丸い斜面で囲まれていて、ボウルの中にいるような感覚だった。

  斜面をよく見ると色の違いで縞模様ができていて、いつか理科の授業で習った地層の話を思い出した。

  大垣の少し後ろを歩いて行くと、彼の踏み出した足が沈んでベチョっという粘ついた音を立てた。

  どうやらまだ水が残っていてぬかるんだ部分を踏み抜いてしまったらしい。

  彼は小さく舌打ちをして靴を地面にこすりつけて泥を落としたが、それでも彼のスニーカーは茶色く染まっていた。

  内心笑いを堪えながらその光景を見ていると、一瞬こちらを睨んだあと何も言わずに歩きだした。

  市川はよく考えればこの状況は自分にとってかなり危険なのでは無いかと思いはじめた。

  こんな人の居ない場所にほぼ初対面の男と2人だけでいるのはあまり好ましくない事態だ。

  しかもこの男は、これまで見た限りではあまりルールやモラルを守るタイプでは無い。

  スマートフォンの画面を見ると、通信は圏外になっている。

  笑っている場合では無い。オカルトじみた話よりも、この男のほうが恐れべき存在だと思った。

  市川は先程までよりも距離をとって彼のあとを歩いた。

  少しして、市川の目に留まるものがあった。小さな橋が地面に佇んでいるのだ。その下に細い水路があり僅かに水が流れている。橋は泥に塗れていて長い間水の底にあったことを思わせる姿だ。

  さらに先に進むと崩れかけ、ほとんどが泥に埋まった石垣の跡や大型の橋の残骸が姿を現した。

  その周りには、明らかに自然の流木では無い、真っ直ぐな木の朽ちたものが散らばっている。民家の柱や屋根として使われていたものだろう。

  朽ちた村の残骸が広がる光景は不気味な感覚を抱かせた。

  大垣が立ち止まって言った。

「この辺でいいだろ」

「そうだね」

  これだけの痕跡が残っていれば、ここが村であったことは間違いない。夢と鈴木もここであれを拾ったのだろう。

  大垣はポケットに手を入れ金属片を取り出し、そっと地面に置いた。

  市川も同じようにして金属片を置く。

  これでいいのだろうか。本当にこんなことで夢たちを救えるのだろうか。

  そんなことを思っていると、大垣が更に奥の方へ歩き出した。

「どこに行くの?」

  一刻も早くこの不気味な場所から離れたいと思っていた市川が言うと

「こんな所滅多に来れないからもっとよく見てかないと損だろ。ビビってんなら先に行ってろよ」

  そう言って歩いて行ってしまった。確かに大垣は少し恐いが、こんな所を一人で行くのも恐い。仕方なく彼を待つことにした。

  辺りを見渡すと、段状になっている開けた場所がある。畑か水田だった場所だろうか。

  少し小高くなっている場所に石段があり、上の方には石の鳥居が立っている。あそこには神社があったのか。

  かつてこの場所で生活を営んだ人々がいた。現在のような豊かさは無かっただろう。天候が安定しなければ不作に苦しみ、飢えに見舞われることもあったはずだ。

  ここで生きた人々は幸福だったのだろうか、どんな思いでこの村を離れたのだろうか。

  ここには2度と戻らない人々の営みがあった。そう思うと少し物悲しい気分になる。

  そんなもの想いに浸っていると、奇妙なことに気付いた。

  水溜りに波紋が生じている。風もなく、石などが落ちた訳でもないのに。

  そこらじゅうの水溜りで、同じように水が揺れている。

  市川は今すぐ走って逃げ出したい衝動に駆られたが、足が竦んでしまっている。

  そうしていると音が聴こえた。どこからともなく、喉の奥から唸るような、絞り出された声のような音が。

  いよいよ耐えられなくなり、耳を塞ぎしゃがみ込む。

  すると微かに地面が揺れているのを感じた。わけがわからず目に涙が滲む。

  また声が聴こえた。今度ははっきりした男の叫び声だった。顔を上げると大垣が何やら叫びながら、こちらに全力疾走している。

「ヤバい!逃げろ!まじでヤバい!早く!」

  大垣は市川の所まで来ると

「何座ってんだ!逃げるぞ!おら!立て!」

 と怒鳴ってて、強引に市川の腕を掴んで立たせた。

  大垣の怒鳴り声で脚の強張りが解けた市川は大垣と共に走り出した。

  これまでにないほど、全力の走りだった。不思議なことに、脚の疲れも心肺の苦しさもほとんど感じず、ただ恐怖と興奮が彼女を支配し脚を動かしていた。

  服や靴が汚れるのも構わず、水溜りやぬかるみを突っ切った。

  視野が狭まり、大垣がどこにいるのかもわからずただ前だけを見て走る。

  浮石に足を取られて転んだ。ズボンの膝が破れ、血が滲んでいるような気がしたが構わず走り出す。痛みはすぐに消え興奮に変わった。

  気がつくとすぐ先にボート乗り場が見えた。大垣が既に斜面を途中まで登っている。

  少し気が緩み、スピードを落とすと大垣の怒鳴り声が聞こえた。

「休むな!来てる!来てるんだよ!」

  一体何が来ているのか分からなかったが、それを聞いてまた全力で走り出す。

  斜面に差し掛かり、砂利で滑りながらも急いで登っていく。上では大垣がソワソワしてこちらを見ている。

  あと少しというところで、急に脚に力が入らなくなり倒れこんでしまう。

  すると大垣が降りてきて、腕を掴んで引っ張り出した。なんとかそれに支えられて登りきると歩道をふらつきながらも急いで歩き、ダムまで辿り着いた。

  2人とも息を切らしながらその場に倒れ込んで、しばらく呆然としていた。

「ねえ」

  市川が大垣に話しかける。

「『来てる』って言ってたけど、何が来てたの?」

「知らねえよ」

「どういうこと?」

「知らねえよ!とにかくなんかが迫って来てるのを感じただけだ!」

  市川それ以上何も言わなかった。

「帰るぞ」

  大垣が立ち上がって言った。

  スクーターまで行き、大垣がキーを指して回すがエンジンは一瞬唸っただけでかからない。

「どうなってんだよ」

  大垣が苛ついた様子で呟き、何度も回すが一向に始動しない。

  ふと気配を感じ、ダムの方を見ると向かいに人影が見えた。

「ねえ、あれ……」

  そう言って大垣の肩を叩くと彼もそちらを見て、慌ててキーを刺し直す。また何度もキーを回す音だけが虚しく響く。

  そうしていると、人影はこちらに近づき始めた。歩くと言うより、滑るような感じだ。

  ゆっくりではあるが、確実に近づいてきている。段々と鮮明にその姿が見え始めた。朱い袴を履いた髪の長い女のように見える。

「くそッ!」

  彼は悪態をつきながらキーを抜き、息を吹きかけて再び刺す。そして祈るように目を瞑って回すとエンジンが音を立てて始動した。

「乗れ!早く!」

  言われるまでもなく急いで後ろに乗ると、スクーターは急発進した。

  走り出してから後ろを振り向くと、そこには誰の姿も見えない。

「来てないよな」

  大垣が言う。

「うん、何も見えないよ」

  彼はふうっと息をついて言った。

「新城までは乗せてやるから、そこからは電車で帰れよ」

「わかった」

  バイク乗っているところを知り合いに見られたくないので、その方が好都合だ。

  2人を乗せたスクーターは山道を走り抜けていった。

 

 

 

 


 



 

 

 

 

 



 

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