友達の恋人の友達
唯明に頼まれて向かった先で出会ったのは、市川が苦手なタイプの不良男子生徒だった…
鈴木亮の家へ向かいながら市川は佐々木唯明が言ったことについて考えていた。
「村から勝手にモノを持ち出したから体に異変が起きた」そんな出来の悪い怪談ようなことが本当にあるのだろうか。
確かに「神社の石を持ち帰ってはいけない」という話を親から聞いたことがあるし、川辺から丸い石を持ち帰ったら悪夢を見てその石はお地蔵様の頭だったという怪談を彼女は知っている。
だが、そんな非科学的な話を信じて怖がっていたのは小学生までだった。
怪談やホラー映画、お化け屋敷などの恐怖を主体としたコンテンツは年齢を問わず人気だが、大人と子供とではその楽しみ方が異なる。
子供がホラーコンテンツを実際に自分に起こるかもしれないこととして恐怖を感じるが大人は自分が完全な安全地帯にいて、あくまでフィクションとしてその演出やストーリーに対して恐怖を感じる。
高校生である市川にとってオカルト的な話はフィクションの中の出来事でしか無かった。
では佐々木夢の身に起こったことは何なのだろうか。
最も現実的な考えは何かの病気に罹ったというものだ。しかし医者は体中から水分が抜けるなんていう症状はこれまでに聞いたことが無いと言う。
手塚治虫の「ブラック・ジャック」で似たような病気が登場している。アフリカのとある村で人々が次々と干からびて死んでいく。村人はそれを呪いだと言ったが、実は新種のアメーバが体内に侵入したことが原因だったという話だ。
もしかしたら唯明の異変も同じように新種のあるいは未発見の細菌やウイルスが原因なのかもしれない。
それなら彼女と接触した自分にも感染している恐れがある。そう思うと寒気が身体に走ったが、すぐにその考えを否定した。
もし感染するなら彼女の母親にも同じ症状が現れていなければおかしい。
まあ医療の専門家にも解らないのだから、そちらの方面についてフィクションの知識しかない自分が幾ら考え巡らせたところで無意味だろうと思った。
これが彼女1人だけに異変が起きているのなら、ダム底の村から物を持ち帰ったことは異変とは無関係だと言えるが、共にそこへ行き同じことをした鈴木亮まで同じ異変が起きている。
そう考えると確かに村に足を踏み入れ物を持ち帰ったことが異変の原因だと言うのは十分にあり得る話だ。
病原体が原因では無いとなるとやはり科学的に原因を考えるのは難しかった。
そうなるとどうしても「呪い」や「祟り」のような非科学的な考えに至ってしまう。
もし呪いの発動する条件があの村の物を持ち帰ることなのなら、今日あの金属片を家に持ち帰れば自分も唯明のようになってしまうかもしれない。
そう思うとその辺に捨ててしまいたくなる衝動に駆られた。
それとも触れてしまった時点で呪われるのか。だとしたらもう手遅れだ。
もうひとつの可能性は呪いの発動条件があの村に足を踏み入れることであるということだ。
それならば金属片を返したところで意味は無いし、返しに行った自分まで呪いにかかることになる。
市川は唯明の頼みを引き受けたことを後悔し始めた。しかしこのままでは、彼女は死に至るかもしれない。そう思うと見殺しにするわけにもいかなかった。
そんなことを考えていると鈴木亮の家のすぐ近くまで来ていた。
住所にある通りの家々の表札を見ながら歩いていると「鈴木」と書かれた木製の表札を掲げる家を見つけた。
通りの1番端にある坂の途中に建てられた家だった。
庭には車が1台と、自転車が2台停められている。
気になったのは玄関先の道路脇にシルバーのスクーターが停まっていることだった。誰か先客が来ているのだろうか。
チャイムを鳴らすと玄関扉の向こうから足音と共に「はーい」という女性の声が聞こえた。
足音が近づいてきて止まるとガチャリという音がして蝶番の扉が開かれた。
扉の先には鈴木亮の母親と思われる中年の女性がどことなくくたびれたような表情をして立っていた。
「すみません、自分は深見が丘高校の者ですが鈴木亮君の家はここですか?」
取り敢えず自分の身分を伝えつつ、確認を取ろうとする。
「はい、そうですが」
やはりここで間違い無いようだ。
「鈴木君に用があって来たんですが、会えますか?」
母親は困ったような顔で言った。
「今は他のお友達がお見舞い来てるんだけどいいかしら?」
「ええ、構いません」
「それならどうぞ」
そう言って母親は市川を迎え入れた。
あのスクーターはやはり鈴木亮の友人の物なのだろうか。深見ヶ丘高校では生徒がオートバイに乗ることや免許を取ること、乗せてもらうことすら禁止しているはずだ。
お友達というのが高校の生徒以外の可能性もあるが深見が丘の生徒が校則を破って乗っているのなら、正直あまり関わりたく無いと思った。
市川も全く校則を破らないというわけでは無いが、それでもバイクに乗っているような者は不良だという認識があった。
「なんでこんなことになったのかしらねえ」
母親がそう呟いた。
「そんなに悪いんですか?」
市川が訊く。
「病院に行ってもわからないって言うし、どうしたらいいのかわからないわ」
口ぶりからして、彼女は息子のことを隠すつもりは無いらしい。
「そうなんですか…」
「でも、友達が来てくれればあの子も少しは元気になると思うわ。わざわざありがとうね」
「ええっと……はい…」
友達では無いと言うわけにもいかず、言葉を濁した。
「ついてきて」
そう言って母親は市川を案内した。
階段を登り、手前から2番目の部屋の前で立ち止まる。部屋の中からは男の話し声が聞こえた。
「亮、お友達よ」母親がドア越しに言う。
「誰?」
鈴木亮と思われる声が言った。
母親は市川の方を向いて顔を見合わせた。そういえまだ名前を言っていなかった。
鈴木亮は恐らく市川のことを知らない。これでは不審に思われてしまう。もし断られたら夢に頼まれたと言えばいいだろうか。
「市川です」
小声で母親に伝える。
「市川さんだって」
少し間をおいて彼は言った。
「誰?」
このままではややこしい事態になりそうなので、自分で要件を伝えることにした。
「鈴木君、私は唯明から頼まれて来たの。入れてくれる?」
母親はやや戸惑ったような様子だった。
「入っていいよ」
ドアの向こうから彼の声が聞こえた。
母親に軽く頭を下げ、ドアに手をかける。
鈴木の部屋は畳敷きの和室だった。6畳ほどの広さで、窓際に勉強机が置かれている。
男の部屋らしくそこら中に教科書やノート、漫画本などが散らばっている。
鈴木亮は敷き布団に寝ており、その側に友人と思われる男があぐらをかいている。
鈴木の顔は唯明と同じように皺とひび割れに覆われ、道端で干からびている蛙を連想させた。
側にいる男は深見が丘高校の制服であるカッターシャツに身を包んでいる。
髪は短く刈り込まれたツーブロックで、丸みのある鼻立ちと太い顎といった顔立ちだ。
ツーブロックの男は市川の方へ顔を向けた。
男と目が合う。その瞳は真黒で穴が空いているようだった。
「お前のカノジョ?」
男は鈴木に言った。
「いや、知らない」
鈴木はかすれた声で言った。
「私は唯明から頼まれてきたの」
さっきと同じことを繰り返した。
「唯明が?何を?」と鈴木。
「先週、ダムに行って硬貨みたいなのを拾ったんでしょ。唯明はそれが身体の異変の原因だと思ってる。だからそれをダムに返してきて欲しいって頼まれたの」
市川が説明すると、男が口を開いた。
「それなら俺がもう頼まれてる」
「えっ」
市川が驚くと、鈴木が答えた。
「いや実は俺も同じことを思ってたんだ。だから毅を呼んで、頼んでたところなんだよ」
毅と呼ばれた男はポケットから円形の金属片を取り出しこちらにみせた。
「唯明はどんな調子だった?」
鈴木が訊いた。
「肌は全く水気が無くて、あちこちひび割れた。身体も相当弱ってるみたいだった」
市川は見たとおりのことを伝えた。
「そうか…」
鈴木は消え入りそうな声で言った。
「俺のせいだ…俺がダムの底を見に行こうなんて言ったから、こんなことになったんだ」
市川には1つ気になる事があった。唯明には聞きそびれた事だ。
「ねえ、いつ頃から身体に異変が起きたのか訊いてもいい?」
鈴木は静かに語り始めた。
「ダムに行った次の日、日曜日はなんともなかった。月曜日はちょっと身体が怠いような気がしたけど、その時は大したこと無かった。一晩寝れば治ると思った。
火曜日の朝、目が覚めると身体がものすごく重かった。立って歩くのがやっとなくらいに。
それに喉がからからな感覚があった。すぐに水を飲んだけどまたすぐに喉が渇くんだ。多分その日は5リットル以上水を飲んだと思う。それでも喉の渇きは収まらなかった。
水曜日になると、身体から水分が抜けているのが目に見えて分かるようになった。肌がカサカサになって皺が見えてきた。
昨日は脱水がもっと進んで、身体じゅうがひび割れはじめた始めた。雨が上がって乾いた地面みたいに。
体重を計ったら普段より10㎏以上減ってた。
今日はもっと体重が減ってる。このままだと、俺達は干からびて死ぬ」
鈴木は言い終えるとため息をついた。
「俺がちゃんとこれを戻してきてやるから心配すんなよ。そうすりゃ治る」
毅はそう言って鈴木を励ました。
「悪いな、迷惑かけて……」
「別に迷惑だなんて思ってねえよ」
毅はそう言うと立ち上がった。
彼の身長はあまり高くなく、155cmの市川よりも一回り大きい程だった。167cm位だろうか。
身長が低い割に体格はがっしりしており、ずんぐりした印象を与えた。
「そろそろ帰るわ」
「じゃあな」「ああ、またな」
毅は市川のいるドアの方へ歩き出した。
「じゃあ私も失礼するね」
市川は毅よりも先に部屋を出る。毅はその後に続いた。
階段を降りながら毅が市川に言った。
「お前どうやって九連ダムまで行くつもりなんだ?」
初対面なのに、ぶしつけな言い方だなと思った。
「バスで近くまで行って、後は歩いて行こうと思ってるんだけど」
「1番近いバス停から5キロ以上はあるぞ」
「でも、それ以外にないでしょ」
「俺が持っていってやるよ」
「え?」
「俺ならスクーターで行けるから、お前の分まで持って行ってやるってこと」
やはりあのスクーターは彼の物だったようだ。
確かにダムまでを歩くのは骨が折れるが、この男を友人の命がかかっている物を預けるほど信用できなかった。
「夢は私に頼んだんだから、自分で行く」
市川はきっぱりと言った
「あっそう」
玄関に着くと、彼はそこに置いてあった黒いフルフェイスのヘルメットを被った。
校則を破ってバイクに乗っていることが気になり、つい見てしまう。
「何か文句ある?」
視線に気づいたのか彼は言った。
「バイクに乗るのは禁止されてるんだけど……」
「知ってるけど」
「じゃあなんで乗るの?」
「なに真面目ぶってんだよ、キモチわりい」
そう言って彼は玄関を出た。スクーターの鍵穴にキーを差し込んで回すと甲高いエンジン音が響く。
彼は振り返りもせずスクーターに跨り、走り去って行った。




