第五十五話 これでも母は怒ってるんですよ?
結果的に言えば信介は命にかかわるような事は無かった。しかし、頭から血を流すほどの衝撃を数度受けた傷には針で何度も縫いその上から包帯でぐるぐると巻かれ外見は重症患者になってしまった。服の上から蹴られた腹の部分も痣が残り、若いってこともあって治りは早いと信介を診た先生は言ったがそれでも完全に痕が消えるのに二週間はかかるとの事。
「.........」
検査を終えて信介は一人病院のホールの席に座ってただ天井を見上げる。
「.......」
その横には信介の母親翔子もいる。葵から連絡を受けた翔子が車を吹っ飛ばしこの病院に来たのだ。最初はついてくる気のあった葵達だったが流石に親御さんが心配するだろうと言って翔子が各自の家に帰るように諭した。
「.......会った?」
「ん~?何が?」
天井を見上げたまま信介は翔子に声を掛ける。翔子はそれにいつもと変わらない調子で受ける。
「葵だよ。連絡先交換したんでしょ」
「知ってるんじゃない。今更聞くようなことじゃないでしょ」
「何で母さんが息子の彼女と連絡先を交換してんだよ」
「そんなの息子が大事にしている彼女だからじゃない。私も大事にしたいの。それなりに長い付き合いになるんなら連絡先の交換ぐらい早く済ませたほうが良いでしょ」
「気が早い」
「信介が遊びで付き合うとは思えないし、葵ちゃんもそこら辺同じように見えた。真剣な交際なんでしょ?」
「怪我してる息子に聞く母親の言葉ではない」
「私から聞いたんじゃない。信介から話を切り出してきたわ」
信介はこうして親子の会話をするのはいつぶりだろうかと思う。殆どスマホを通じての連絡ばかりで仕事ばかりの翔子が珍しく家に帰ってもその時間は信介が寝ている深夜だったり、学校に行っている時間だったりと不運だとしか言えない時間に帰る事が多い。
信介の中に母翔子への不満はない。シングルマザーで子供を育てるのはお金だって世話だって大変だ。どちらか一方を捨てるとなれば接している時間の方が賢明で現実的な問題で勝る。翔子はそれをした。
経済的には余裕となり、高校生の男の子一人育てているのに一軒家の素晴らしい家を用意している。仕事の方だって編集長にまで登りつめた素直に尊敬できる人間だ。
住む場所も帰る場所も用意してくれているのに信介からしたら文句の言える立場ではない。実際に不満はない。
「本当は、今日は久しぶりに二人で鍋でもって思ってたんだけどね」
「......ごめん」
「何で信介が謝るのよ。悪いのは人の息子をこんな目に合わせたクソガキでしょ?」
(うっわ)
過ごす時間が少なすぎて。そして久しぶりに顔を合わせた事で実の母の特徴を思い出した信介は、急に口調の変わった翔子を横目に見て口がひきつる。
「.......まあ、そんな話は置いといて葵ちゃんとはどこまで行ったの?」
「どこまでって?」
怒りのオーラを抑えた翔子が次に話に出したのは葵の事だった。
「勿論恋人としてどこまで進んでるのかな~って。手はつないだ?キスはしたの?」
「息子の恋に何でそんなに楽しそうなんだよ」
「だって信介のそういう浮いた話全く聞いたことないんだもの。あんな可愛らしい彼女が出来たのにお母さんに内緒にしてるし」
「普通言わないだろ」
「ウチが普通の家だと思わないの。ただでさえ会える時間が少ないんだから息子の情報は常に頭に入れておきたいの」
「溺愛だな」
「親は自分の子が一番よ」
会っていない時でも信介は母の特徴を覚えている。こうなったら葵の話をしないと不満になるめんどくさい展開に持ち込んでしまうと。
「取り合えず、母さんが喜ぶような事はしてないと思う」
「え........ちょっと奥手過ぎない?」
「だったらイエスノーで答えるから気になる事があれば言って」
そこからは翔子による怒涛の質問攻めが信介を襲った。本当に事細かく葵との仲を聞いてくる。自分で言ってしまった手前信介は何の文句も言えずにイエスかノーで答えていく。
全ての質問を終えた時には、すっかり疲れ切った信介と満足げに笑顔を溢す翔子の姿が。
「ん~さてと、葵ちゃんとどれだけ仲が良いのかは分かったことだし。病院にお金も払った。帰ろうか」
会計を終えて、椅子で待っていた信介の元に戻ってきた翔子は言った。
「あ、そうそう。私、ちょっと信介を家に送ったら会社に戻るから」
「は?まさか、仕事で忙しいのに家に帰ってきたのかよ」
「違う違う。今抱えてる仕事はないから。ただちょっとね」
信介の少し前を歩く翔子は振り向いて笑顔で言った。
「息子をこんな目に合わせたのよ。出版社に勤めてる私が何もしない訳がないじゃない」
信介はその翔子の顔を見てかなり頭に来ている事を知り、これから起こるであろう未来を想像し又もや口をひきつらせた。