第四十九話 冬まじかの夜
もう恋愛ジャンルじゃないかも
正直これ禁止事項に当てはまっているか心配です
(サブタイトル「まぢか(間近)」)「はっきり言ってくれないと分からないからね」
あの時、アオから頂戴したこの言葉。その言葉が今になって俺の脳内で反響して何度も繰り返される。
埃を吸い込んで咳で呼吸がしずらい時も、その言葉を思い出す。辺りは薄暗く、遠くに何があるのかも良く見えない。幸い、俺がいる場所は天井が崩れていて、淡い月光がほんの少し俺の周囲を照らしてくれるので、なんとか今の自分の状態は把握できている。
「うっ!.....あー...痛い」
頭が痛い。頭から何かが垂れそれが目に掛かり、そのまま重力に従って頬を通り床につく。それは綺麗な赤色をしている。もっと黒く不健康そうな色をしているものだと思っていたが、どうやら思った以上に俺の体内を循環するものは健康の様だ。
体中痛い。特に腹のあたりだ。制服も何故か汚い。白のシャツに何度も踏まれたような足跡がいくつもついている。蹴られたのだなと、すぐに理解できた。
「っ.....さむいな」
崩れた天井から外気の冷え切った空気が何の邪魔もなく俺のいる所に来る。それが寒い。なにせ俺は今制服姿だ。温まるものも手段も持ち合わせていない。十一月後半で、もうすぐ十二月だと言うのにこんな重症の俺をこんな場所に放置するような奴は本当にとんでもない奴だ。
あげくに身動きも取れない。俺は自分の背後を見る。なにか固いものに手をまわしている。そして冷たい。見てすぐに分かった。鉄の柱に手をまわされて交差する位置で結ばれている。それがなにか分からないけど、どうやら簡単にほどける類のものではないようだ。何度か揺れてみるが緩む感じはない。鉄の柱も同様だ。それに冷気でキンキンに冷えている。ぴったりと背中がくっついているので鉄の冷えた感触が制服越しでも伝わってくる。地味にきつい。
「....なんでこうなったんだっけ」
頭を負傷した事でなんでこうなったのか、その経緯が分からない。それにこうなる前の記憶も朧気で曖昧。
現段階で分かっているのは、俺は今とてつもないピンチであることだけ。
制服を着ているという事は俺は今日いつも通り学校に行っていたという事だ。しかし俺のリュックは近くにはない。制服のポケットに入っているスマホはあるのか分からないが、少し動いてみて分かった。いつもそこに入れているはずのスマホの固い感触が伝わってこない。どうやらスマホもないらしい。これで連絡の手段も絶たれた。
どうしよう。
寒くて拘束されている両手の指先が冷えすぎて、冷たいを通り越して最早痛い。吐く息も、口を開けるごとに白い靄が出てくる。この季節の夜は本当に冷え込む。伸ばしていた両足を何とか胡坐を掛ける体制に持っていけた。体同士の密着部分を上げる事で寒さを耐える。効果があるのか知らないがそれでもやらないだけマシに思えた。それから動きも加える。少しでも動かせる部分を動かす。汗をかけばそれが冷えて更に寒くなる事が予想できる。汗をかかない程度の動きを繰り返す。
そんな時だった。
「何をしているのかな?」
建物に大きく反響した声が聞こえてきたのだ。俺は突如その声を聞き動きを止めた。
聞いたことのある声だ。
思い出す。酷く嫌な奴を連想させる声だ。聞いただけで厄介な事になると思い知らされた人物。俺の生活圏で人に接する機会はそうない。つまり一番人と接している場所。それは学校だ。そして校内で俺が嫌だとハッキリと宣言できる人物は一人だけ。
あの男だ。
「本当にキミは、ひどく無様だね」
目の前から歩み寄ってくる靴音と段々と大きく鮮明に聞こえてくる声。暗闇から人型の物体が近づいてくるのが見える。そしてその人物の足が月光で照らされている空間に入り込んだ。こちらに進んでくる人物は最初の足から段々と月光に照らされてる面積が増えていく。その人物は俺のすぐ目の前で歩みを止めた。俺はそれを下から除く。予想は当たっていた。
「やっぱりお前か......田中」
田中。アオに好意を持ち、そんなアオの彼氏が俺であることに不満を持っているアオと同じクラスに所属している奴。成績は優秀で顔も良くそれを基準に人の価値を決め、自分より下の人間を見下す。自分を選ばれた存在なのだと信じてやまない超がつくほどの自信家。
そんな奴が俺を無の表情で見下して来る。態勢的にそうなっているからそうとしか言いようだがない。
「なんだ。分かっていたのか」
「こんなことする奴、お前以外誰がいるんだよ」
校内で俺とアオの交際を認めていない者がいるぐらい知っている。アオの隣に立っているのがこの俺という事に納得していないと言うのが理由だ。それは田中も同じ。
だけど、それは最初まで。付き合ってしばらくしてから今まで向けられてきた視線がちょっとずつではあるが減ってきていた。それは俺の功績ではなく、俺の隣にいるアオのお陰だった。自分でいうのもなんだが俺と一緒に居る時のアオは本当に良く笑い、楽しそうなのだ。本気で好きだからこそその人の幸せを尊重する。その考えを納得していない人達は持っていた。アオが幸せそうなら別に良い、と。勝手な解釈では俺はそう思っている。
だけど、目の前に立つ田中はそんな善の考えを持ち合わせていないようだった。
「っ.....本当にイライラさせられるよ。手紙で忠告してあげたのに無視をしたキミが悪いんだ」
「手紙?」
俺は田中のその言葉で一学期、まだアオとの交際をスタートする以前に靴箱の中に入っていた手紙の存在を思い出す。結局あのあとあの手紙は家で捨ててそれっきり。今の今まで存在を忘れていたが、どうやら目の前の男が送ってきたようだ。
「近づくなって書いたのに。近づくなどころじゃない。付き合ってる?そんなこと、僕が認められるはずないだろ」
「......」
「キミは分かっていないんだ。彼女は完ぺきだよ。僕の今までの人生において最も美しく完成された女性だ。それこそこの先巡り合う事はないと思わせる程にね」
元から頭のおかしい奴だとは思っていた。最初の出会いから数か月経過して、ここまで自分主義の奴を見たのは初めてだと今でも思う。
そして何より気持ちの悪い笑みに背中から寒気が襲う。普通に寒いのではない。寒いけど。この、田中の笑みには優しさなんて感情はない。本当に心の底から人を見下している事に快楽みたいなものを感じていると直感が伝えてくる。
「なのに......なのに!なんで彼女の隣にいるのがキミのような奴なんだ!!!!!」
嫉妬。生物が必ず抱える感情であり、人によってその度合いは違う。嫉妬しない人も少なくない数この世界にいるし、とんでもなく嫉妬する人もいる。その理由は様々であり多岐にわたる。そしてその嫉妬により警察沙汰になる事件は数多く存在し、ニュースになる殺人事件や暴行事件の中にはそういったものがある。
アオの隣にいる俺が気に食わない。これも田中が俺に嫉妬しているということ。
「キミに出来る事は僕にだって出来る。彼女を笑顔にだってできる!なんだって彼女の為ならやれる自信がある!それなのに彼女はキミを選んだ!これがどれだけの過ちかキミには分かるか!!!」
「.....」
田中の迫力に俺は黙り、ただ静かに田中が激昂する様子を見る事しかできない。
「キミが彼女を変えた!キミという何の才能も能力もない奴が、完ぺきな彼女を壊そうとしている。そんな事あっちゃいけないんだよ!!!」
「.....意味わかんねえ」
ズゴッ!
「っ...!」
「僕の言葉を遮るな!」
思いっきり蹴られた。とんでもなく痛い。今まで人に蹴られるような人生を送っては来なかったがここまで痛いとは。良く漫画とかで見る光景だが、本当に蹴られた瞬間体内の空気を全部吐き出すような感覚だ。それにジンジンとした痛みが蹴られた腹に残るのが地味に堪える。
痛みに耐えながら俺は田中を見上げる。その顔は怒りに染まっていた。これまで観てきたクールなすまし顔とは違う表情だ。
「はあ....はあ.....何度でも言おう。キミは彼女の隣にいるには力不足、ふさわしくない」
「そんなの......っ...お前が決める事じゃないだろ」
もともと軽傷ではない傷を負ってる身だ。それに加え今の田中の蹴りはかなり本気だった。寒さで指先の感覚は無いに等しい。意識を保つので精一杯。満身創痍とはこのような状態の事を言うのか。
「まだ痛めつけられたいのか」
「痛いのが....好きなわけな.....いだろ.......!」
まずい。意識が。
「気絶しそうなところ申し訳ないけどまだキミを死なす訳にはいかないんだ。治療する気はないけど暖の取れるものは用意してある」
こいつ。何言ってんだ。
「悪いけど食糧は明日の朝、またここに来る。それまで抜きだ」
監禁。この言葉が浮かぶ。
「数か月だ。この屈辱的な気持ちを抱えたまま過ごしてきた。もう耐えられない」
「.......っ」
もう
「僕の苦しみを今度はキミが味わう番だ」
「......」
ダメだ。
俺は寒さ応える夜の建物の中、怒りの表情をした田中の姿を前に意識をなくした。