第三十六話 花火大会
信介と葵が祭りに来てからおよそ三十分が経過した。
祭りには、友達同士で来ている者や信介と葵のように俗にいうカップルで来る人、あとは幼い子供を連れてきている家族だったりと様々な形で来ている人達が多くみられる。
屋台ではしゃぐ子供に手を引かれる親の姿など屋台の始まりから歩いてきた信介からしたらこの短時間の間に何度も目撃した光景だ。それに毎回困った様子でいる親御さんの顔を見るたびに大変だなぁと面識の一切ないその子供と一緒にいる親に同情心を覚える。子供をもったことがない信介から見ても同情心が出るぐらい、祭りは子供を持つ親が忙しそうにしている。
そんな様子をした子供連れの家族を実際に遠くの方から眺めながら、信介は隣で美味しそうにフライドポテトを食べる葵に意識と視線を移す。
無邪気に食べる姿はそこらの子供の雰囲気となんら変わらない。いるだけで辺りの空気感を軽くするような、和む様な感じだ。
付き合い始めてからそれなりの日数が経過したが、今でも校内で見かける”優等生であり皆のアイドル的存在の新城葵”と付き合い始めてから発見した”彼女である新城葵”とのギャップの差にイマイチ慣れない部分があった。
校内ではその美貌と同性からも愛される穏やかな性格で教職員からも絶大な人気を誇っている彼女だが、いざ付き合い始めてからは今まで繋がれていた鎖が千切れたように行動力だったりと表情の変わりやすさ等様々な新城葵を見せてくれる。
それは今だってそうだ。
こんなにも嬉しそうにフライドポテトを頬張る新城葵が見れるのは関係が進展したからこそだ。
「どうしたの?」
そんな葵の姿を頭に焼き付けておこうと見ていると、さすがに隣で視線に気づいた葵が不思議そうに聞いてきた。
「美味しそうに食べるなと思って」
「そうなんだよ。いつもと変わらない味付けの筈なのに、祭りだからかいつもよりも美味しく感じるんだよ」
「そっか。それなら買った人としては満足だよ」
財布のひもを緩めて買ってあげた甲斐があるな。普段から小遣いとして定期的にもらっている高校生としては少し贅沢な額の一万円を使わないで良かったと、今も仕事で忙しくしているであろう母に感謝の言葉を並べる。正直財布にこんな大金を入れておくのは恐いが、それでも祭りは出費が激しいと言われるイベントの一つだ。思う存分彼女のために使ってやろうではないか。
「あっ、そうだ」
信介はそう意気込んだ後にふと時間を確認するためにズボンのポケットからスマホを取り出す。
花火大会には明確な予定が無いように思えるがその実きちんとスケジュールという名の予定が決まっている。祭りに出店する店の開店時間などは曖昧なものだが、祭りの始まりの時間に終わる時間、そして花火大会の目玉である花火の打ちあがる時間など案外段取りで構成されている。
現在午後七時十五分で、あらかじめ下調べしておいた花火の打ちあがる時間は二十時ジャスト、つまり午後八時丁度だ。まだ時間には余裕がある。
「何を確認してるの?」
「時間。花火は八時ちょうどに打ちあがるらしいから。それまでまだ時間もあるし移動しようか迷って.........」
その先の言葉が視界に広がる光景を目の当たりにすると出てこなかった。
葵も同様に信介の見るほうへ目を向ける。
「この人の多さだもんね」
葵は信介の気持ちを代弁するように言った。
現在信介と葵の二人は屋台のある土手の通りから外れた場所に腰を落ち着かせているのだが、その二人の視界には人の往来が激しい戦場が広がっていた。
この場から移動しようか迷うのは仕方のないことだった。今二人の座っている場所からでも十分打ち上げられる花火を視界に収めることが可能で折角座れた場所を放棄してまで二人はあの戦場に向かいたくはなかった。その証拠に先ほどから大会実行委員の放送する子供の迷子のアナウンスが十分か五分に一度、それも放送の度に迷子になった子供の名前が違うという驚異的なまでの迷子の数。
しかしそんなのはこの戦場を見てしまえばすぐに納得する。
「どうする?ここからでも花火は見れるけど」
信介は基本葵が望まないことはやらないつもりなので、考えを放棄しこの場の選択を葵にゆだねた。
「じゃあ......!」
「ん?」
葵は立ち上がった。その手元には空になった紙の包みが。
「行きたい場所があるんだけど.......いい?」
言う葵の顔は何処か緊張に満ちている顔だった。
変にその葵の表情が気になったが、信介は葵の望みに二つ返事で承諾した。二人はそのまま立ち上がり、信介は葵の望むがままに葵の言った行きたい場所に向けて歩き始めたのだ。