第三十六話 花火大会
彼女である新城と家でまったりと過ごした日からかなり進み、現在信介はと言うとーーー
「.........多いな」
近所のかなりの規模で開催されている花火大会会場の一角でスマホを弄りながら混雑している人混みを見て、その様な呟きを口にしていた。
現在午後六時半であるが、空はまだ明るくそれに加えて多くの屋台が花火大会の会場である川沿いの土手の道にある事から時間が嘘の様に明るく信介は感じていた。
祭りなど自分の記憶では小学生の低学年の時に母と一緒に来たのが最後である。
それのせいなのか、いつもは感じない祭りに対して楽しみだと言うのが表面上ではなく内面に表れているのだろう。
ワクワク感が自然と目の前の祭り風景を見ていると込み上がって来る。
(楽しみ.........なのか)
本当に久し振りの感情に自分で抱いていながら全くその感情の意味が信介には分からないでいる。
ただ今の感情は“楽しみ”と言う事ぐらいしか思い浮かばないから思っただけ。
今日は人生初めての彼女である葵と前々から約束していた花火大会当日だ。
そして今はあらかじめ葵と話し合って決めた待ち合わせの場所で一人スマホをつついて約束している葵が来るのを待っているところだ。
約束した時間にまだ十五分ほど余裕があるのは同じく彼女持ちの裕樹から「男女が待ち合わせをする時は、必ず相手の女が来る前に待ち合わせ場所についていろ」と先輩らしいアドバイスをしてくれたからだ。
そのアドバイスがなくても早めに行った方が良いのか迷っていたのだが、裕樹からの助言は大体裕樹本人の経験則によってもたらされるのでこの言いつけは素直に聞いておこうと実行を決意し現在に至る。
しかし相手はあの新城葵と言う優等生だ。
人を待たせるなどと相手に失礼のないように動く。
「あれ、信くん?」
彼女も同様に待ち合わせ時間の十分早く約束していた場所に到着し、そして信介の名前を呼んだ。
「っ!」
信介は葵のいる方向を見て息をのんだ。
そこにいたのは紛れもなく天使であった。
綺麗で艶のあるロングの黒髪を今日は後ろで複雑に結ばれて普段は見えない首筋の部分が露わとなり、可愛らしさと大人のセクシー感を感じる見事なものに仕上がっていた。
極めつけに落ち着く色の紺色を基本とし、そこに白い花の絵が何枚も描かれているのがこれまた大人らしく感じる。
「どうかな?似合ってる?」
葵は驚きのあまり目の前で固まる信介に照れながら浴衣姿の感想を求める。
その仕草一つ一つが信介にとって魅力的である。
ようやく慣れてきた緊張感が再来し自分の心臓の鼓動が早くなっていくのを感じながら求められた感想を口にする。
「すごい似合ってる」
「本当?」
「嘘なんかつかないって。本当に似合っているよ。それになんか大人らしくなった感じがするよ」
今の葵の浴衣姿は本当に綺麗で、この時期よく見かける浴衣を扱う店が宣伝のポスターに写っている浴衣姿のモデルにも負けない出来であり、実質今も通り過ぎる男の視線を釘付けにして人を徐々に集めている。
この場所に来るまでにどれだけの視線を集めてきたのだろうかとここまで注目されると心配になっていしまう。
「それじゃ早いけど行こうか」
「うん!」
「っ!」
嬉しそうに返事をした葵はその勢いのままに前を歩く信介の手に自分の指を絡めて世間一般でいう”恋人つなぎ”をして信介の隣を陣取った。
それに驚いてビクッと体を揺らすが隣に来た葵が嬉しそうにしているのでそのままにしておこうと握られた手の力を少しだけ強める。
今から行くのは人の往来の激しい人混みだ。
はぐれてはいけないとの理由ともう一つ、注目を浴びる葵には既に男がいるのだと周りの男どもにアピールしなくては。
(うわぁ、人多いな...)
新城葵は現在彼氏の槙本信介と共に夏の花火大会へとやってきていた。
今回葵は気合を入れていた。
すべては横で手をつないで歩く信介のために。
信介と同じで葵自身も信介が人生で初めて出来た彼氏でどのようにふるまえばいいのか、付き合い始めて既にひと月半は経過している今でも分かっていなかった。
付き合ってからは学校でも信介に絡みやすくはなり、砕けた口調で話せるようになるなど第三者の目から見て関係性が変わったと分かるほどにはなった。
しかし表面上はそれだけで内面はそれほど変わってはいなかった。
それに付き合ってからと付き合う以前の生活がそれほど変わっていなかったのが何より葵の中で問題になっている。スマホを通しての連絡も連絡先を交換してからしていたし、信介の家では裕樹やら千鶴などいつもの面々で勉強会改めお泊り会をしてしまっている。デートだって、信介から勉強を教えてくれたと言うことで二人っきりで大型商業施設に行くなどデートと言われればデートらしい事を既に経験しているのだ。
そう思うと葵はまだしていなことをしてみたいと欲求が出てしまったのだ。
今している手をつなぐという行為もその欲求から来た行動だ。
手と手をつなぐ行為はしたことがなく、ましてや恋人同士になったので恋人つなぎなるものを経験してみたかったのだ。急にやって変に思われるかもしれないと思ったが、やってみたいとおもってしまったその欲求は抑えることは出来ず実行に移したのだ。
結果は驚いていたものの成功。それに加え嬉しいことに信介の方から強く力を込めてくれ、その時は嬉しさに自然と笑みがこぼれてしまった。そして屋台が並び人が多く混雑している道を歩いている今でも手はつなぎっぱなしでありつなぎ始めとくらべて少し力が強くなっている気がする。
時には人と肌が触れそうになる距離まで近づいてしまうほど人が多いのではぐれてしまわないようにしてくれているのだろう。
そう思うと大事にされているなあと実感できる。
(はっ!いけないいけない!!)
しかしそれだけで満足してはいけないと頭を切り替える。
気合の入った葵だが、今回の祭りに乗じて彼女にはある一つの目的がある。それを遂行するための段階の一つが今している手をつなぐ行為であり、目的と比べたら小さいものだ。
既にその前準備段階で幸福を感じてはいるが、目的を忘れているわけではない。
頭ではそう強く意識しているのだが、手のひら全体で感じる好きな人(信介)の体温を肌で感じ緊張のあまり手汗がひどくないかと心配で仕方がない。
このままで目的が達成されるのか否か、その結果はそう時間が経たないうちに明らかとなる事を葵も、葵がそんな謎の企てをしている事を知らない信介も今はまだ知らずにどんどん人混みを歩いていく。
花火大会は数話続きます
次回お楽しみに