第三十話 不安から幸福へ
担任が教室へと入って取り敢えず話は一時中断となったのだが、それでも流石に話題の後だと自然と新城の事を信介は考えてしまう。
それはホームルームも終わり授業へ突入しても同様で授業毎に就く科目の先生の話す授業内容の説明など一切耳に入らずこれからどうしたものかと考察していた。
(改めて思ったけど.........付き合うって具体的に何をすれば良いんだ?)
これまで異性と男女の関係にすら発展した事のない信介は、男女の交際と言う恋愛イベントとは無縁の世界で生きてきた。
そんな自分に勿体程の美少女な彼女が出来た事はとても嬉しく、交際まで行けた事を誇りたいものだと昔の恋愛事に一切興味の無かった自分を思い出す。
しかしその彼女が人生で出来た初めての彼女である事には変わりなく、ましてや交際が始まったのは今朝だ。
まだまだ誇れるものでは無いなと頭を切り替える。
付き合ったのだから定番とも言える場所に行ったり、何か物をプレゼントしたりなどすれば良いのかと思うのだが余り周りに合わせると言うのが信介は好きではなかった。
でもだからと言ってやらないのもどうかと思うし何より新城に悪いとも思う。
う〜んと頭を悩ますが結局経験のない者に解決の術が思いつくはずもなく、友達であり彼女持ちの先輩である近藤に聞いてみようと考えを放棄し、授業の方へ頭を切り替えた。
男女交際とはどのような事をすべきなのか。
信介がそのような事を考えている頃、隣のクラスで授業を受けている校内のアイドルである新城葵は真剣な顔つきで授業へ取り組んでいた。
「............ふふっ」
しかし時折り頬を赤くさせ少しだけ口角を上げて微笑む。
こうして授業中一人で笑っていると変な注目を浴びそうなものだが、それが新城ならばただ画になるだけでしかない。
こんな風に微笑んでいる新城だが朝までは真逆であった。
昨日の教室での信介不在の中で何故か勢いのままに公開告白を行い、まだその時のやってしまった感が否めない状態で信介のお見舞いへ行き目の前の病人である信介に向かってそのままの勢いで想いを伝えた。
“好き”と言う好感の感情を口にするだけだったがそれでもその時の新城は今朝告白をした信介と大差の無いものだっただろう。
想いを伝え返事は今すぐでなくて良いと口に出して槙本家を出て真っ先に自分の家へ帰り自室へ暫く篭った。
そして後からやってきたのは羞恥心だった。
まだ想いを伝える時期ではないとーーーもう少し信介の事を知ってからでないといけないと思っていたのにと言う後悔もあり、正直不安で仕方がなかった。
それは家族揃って夕食を食べている時も、一人お風呂の湯船に浸かっている時も、寝る前の歯を磨く作業をしている時もどうしても不安は晴れずモヤモヤした気持ちで寝床についた。
目を瞑っても考えてしまうのは信介からの返答だった。
仲良く接してきた事で信介の性格面については大分理解しているし自信はあるが、知っているからこそ来る不安が悩んでいる要因の大部分を占めていた。
極度のめんどくさがりで友達はいるが少し距離を置いた位置からいるだけで近付き過ぎない事にしており、近藤やら木村の少人数とは積極的に関わっていく省エネタイプ。
確かに信介がその2人と友達である中条と宮野の2人と自分を含めた人物以外と仲良く談笑している姿を新城は見た事があまり無い。
話してみれば人懐っこく誰とでも平等な態度で接する事から好かれるタイプに見えるのだが信介は自分から行動を起こすのが“めんどう”と言う一言で終わらせてしまう。
何しろまだ通話アプリでメッセージのやり取りだけをしていた頃、文字を打つのが疲れると言う理由だけで異性に通話をしようと提案してきた程だ。
それに友達の宮野が言っていた事も引っかかる。
宮野が以前話していた信介の恋愛に対しての簡単なイメージ。
どうやら皆んなで槙本家へ勉強会と題してのお泊まりをした際2人になる時間があり宮野が信介へ聞いたらしい。
恋愛がめんどうだと聞いた時は正直終わりかと思った。
だけどその後の「少し羨ましい」と言う言葉が何とか動力となりまだ自分にはチャンスがあると思った。
だがどうだろうか。
告白しても想いを伝えても不安で仕方ない。
自信が無い。
これをキッカケに友達で居られる事も難しくなってしまったらどうしよう。
その日の夜はこれまで味わったことのない気持ちで終わりを迎えた。
翌朝目が覚めてもそれは消えなかった。
自分が良いと思っている信介の人に対する平等さがここまで怖くなるなんて思わなかった。
朝、信介の家へ行ったのは本人に会って居ればこのモヤモヤも消えるのではないかと思ったからだ。
流石に告白の返事をしてもいない女が突然家の前に連絡も無しに立って居れば怖いと思うし、実際自分も同じ様な事をされでもしたらと思うとゾッとするがそれでも気持ちを落ち着かせたかった。
髪は変ではないか、制服の乱れはないだろうかと色々と最後のチェックをしていると家の扉が開く音がした。
信介だった。
その表情は驚いていたけどそれと同時に少し頬が赤くなった気がした。
前日まで風邪で寝込んでいたのだからまだ熱が多少残っているかもと心配になるが本人は意外と大丈夫そうだ。
適当に理由をつけて一緒に学校へ行くことにしたのだが、信介との間に会話はなく最初の数分は本当に2人とも無言でただただ歩いているだけだった。
新城もこれには心当たりがある。
これまで高校に入って何度も男子生徒から告白をされてきたが、振ってしまった手前廊下などですれ違うだけで気まずい雰囲気となってしまっていた。
そしてそれと同じ状況が今起きていると。
しかし告白した自分もどのように話しかけて良いものかと横を歩く信介に視線を向けるチラチラと向けるだけで悩んでいた。
すると何かを決心したのか信介の方から話しかけてくれた。
名前を呼ばれ“何?”と返すと信介は“告白の件なんだけど”と言い難い様に言った。
告白の返事は直ぐでなくて良いと言ったのにと思いながら、返事を聞ける喜びと同時にその返事の内容が怖い。
しかし返ってきたのは思いもよらない言葉だった。
「アオが好きだ」
(.....え)
想いの相手が自分の愛称を呼びその後に言った言葉を新城は頭の中で繰り返す。
好きだと言われた。
間違いなく自分の名前を、信介しか言わない愛称で行ったのだ。
しかし話はそれだけに留まらず信介は、昨日自分がした時とは違い名前を呼んで“付き合って下さい”と言ってきた。
さっきまであった心の中の暗い、不安で怖かった感情がこれによって綺麗さっぱり消えていく様な感覚があった。
そしてそれが形となって身体から出ていく様に自然と両目から涙が一粒ずつ流れて来た。
嬉しいを通り越して幸せだった。
密かに抱いていた感情を向けていた相手が自分にも同様の感情を向けていたことに。
勿論その答えは決まっており、嬉しい気持ちが爆発したように信介の胸へ飛び込んだ。
恋心を抱き、それを伝えるまでにこれほど精神が疲弊するとは思わなかった新城はこれまで自分に告白してくれた男子達の気持ちが分かった。
複雑であり色々と闘っているのだと。
しかしその先に、乗り越えた先にあるものはとんでもない幸福感だ。
これで好きな人と一緒にいても不思議ではない。
噂されてようとその話は事実であり恥ずかしい目に遭う必要はなくなった。
どれだけ相応しくないと非難されようとも、私の好きな人はこんな人だよと逆に自慢してやろう。
何せ私の好きになった人、槙本信介と言う人物はそれほど私には魅力的に見えるのだから。
新城はそう胸に誓い残りの授業を受ける。
それでも堪えようのない喜びで微笑んでしまうが誰もそれには気付かない。