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「《昨今芸能人を相手にした誹謗中傷と嫌がらせ行為が問題視されている。近年では、細川明氏(60)監督のアニメ映画、物の怪の村の主演タレントの高城美紀さん(18)が、度重なる誹謗中傷、撮影現場の人為的なボヤ騒ぎ、共演者の青山勇次さん(21)の元にカミソリが送られる等の悪質な嫌がらせが続き、事情を重く見たプロデューサーの高島愛子さん(57)が声優交代を発表したばかりである。こう言った事態に、芸能プロダクション関係者やマネージャー曰く、昨今の感想コメントは貴重なご意見と言うよりも一種の圧力団体に近いと言う。このまま行けば、長らく慣れ親しまれた長寿番組が批判コメント一つで瞬く間に打ち切りと言うピリピリして作品を作れない殺伐とした社会が出来かねないと危惧する声が上がっている・・・・。》・・・・、ふんっ。」
自室のデスクトップパソコンを眺めながら、鼻で笑っていた柳沢。
事務所を訪れた朝比奈美紀と篠原洋子が事務所を後にした後、柳沢を自室へ出迎え、自室に飾ってあるジムビーム社製造の高級ウイスキー“ブッカーズ・バレルバーボン”を振舞っていた。
さっきからパソコンの画面にかじりつくように、何かの記事を見る柳沢を横目で見ながら、榊原はウイスキーを傾けビーフジャーキーを齧っていた。
「先生、さっきから何見てんだよ?」
「うん?これさ。」
それは言わずもがな、朝比奈美紀降板に関するインターネットの記事だった。
「今の視聴者はファンと言うより、圧力団体に近いか・・・・。この記事は、うまいことを言うな。」
「コメント一つで、長く親しまれた番組が打ち切りだなんて事もあり得るな。」
「多数が良いと言ってもか?」
「だろうな。今じゃ、百人中九十人がこの番組は良いと言っても、十人がだめだと言ったら『必ず善処します』だもんな。」
「確かに、その十人が徒党を組んであの京都アニメーションの放火事件の様にテロ行為を起こすとも限らんしな。」
記事の文章を読みながら、もう一度ウイスキーを煽りながら柳沢に言った。
「何時来ても、いい酒がありますねえ。」
と、僅かになったウイスキーグラスを眺めて言った。
「以前に担当した依頼人から御礼に貰ったんだよ、こう言う時で無いと飲む機会が無いからな。」
「へえ。」
と言いながら、榊原は胸のポケットからピース取り出し、火を付けた。日本では聞こえたブランド煙草だ。推理作家、木谷恭介氏が生んだ広域捜査官の宮之原昌幸警部が、横浜の所轄署にいた頃にチンピラ連中になめられない様にピースを愛煙していたと言う。それに、世間の学生たちがピースを愛煙していると「そいつが金持ちだ。」と周りに認知される程に日本ではそれと知られたブランド物のタバコで、「金持ち煙草」とも呼ばれている。
「ふぇ~、こういう場所じゃなきゃおいそれと吸えないねえ。」
そうコミカルな声を上げながら天井に煙を吐きながら美味そうにタバコを燻らせる榊原は、柳沢に言った。
「そうだな、俺もつい最近酔楽で愚痴ったばかりさ。」
「ヒロ君も吸うんだろ?吸い辛ぇのか?」
「周りが恐っかない奴が多いからな、言ってみれば俺の事務所は大奥だ。」
「差し詰め、楓ちゃんが春日局か?」
「いいや、所長の俺にもズケズケものを言いうんだからどちらかと言えば大久保彦左衛門だな。」
「おいおい先生、男どころか爺じゃねぇか。」
「爺と言いうより、小姑だな。」
事務所の連中をしり目に、軽口に近い愚痴を零す柳沢と榊原は束の間の笑みを見せた。
何杯かウイスキーを煽り、煙草を燻らせる二人だった。しかし突如、は真剣な表情になって言った。
「しかし龍さん、SNSだとか匿名掲示板ってのは良い逃げ道だな。」
「逃げ道?」
「ああ、面と向かってはっきりと言う勇気のねぇ輩が顔も身の上も晒さずに偉そうな事を言う機会を作ってるようなものじゃねぇか?」
「そうだなぁ、これもそうだよな。」
柳沢がそう言って見せたのは、ある連続物のドラマとアニメでの受動喫煙に関する記事だった。この記事のドラマは、昔ながらの刑事ドラマの香りの漂うドラマだった。この主人公の刑事は、どこかやさぐれており常日頃タバコを燻らせて酒を煽るのが嗜好と言う設定で、このドラマの内容は榊原も聞いていた。アニメでは喫煙習慣のある夫が、体調を崩した妻を気遣ってベランダでホタル族になってタバコを燻らせるのだが、後に妻が「ここはあなたの家でもあるんだからここで吸って。」、「何よりちょっとでも貴方と一緒にいたいから、お願い。」と言う背筋のくすぐったくなるセリフを女房がささやき、亭主が女房のそばで何時も通りにタバコを燻らせると言う、愛妻家と言うか昔ながらの内助の候を見る事が出来る名シーンであると有名だった。
しかし、この二つの作品の喫煙に関し嫌煙家から問い合わせが殺到している。
「《嫌煙化が騒がれる昨今、この二つの作品に関して物議を醸しだしている。(病中の妻のそばで煙草を吸う亭主の神経を疑う)、(夫なら病気を気遣って吸うな)、(分煙が当たり前の中、こんな喫煙シーンを流すのは道徳に反します)、(世間を無視したシーンを流したことに関して、断固として謝罪を望みます)、(今回の視聴者の希望に反する描写に関する謝罪と共に、番組の撮り直しか放送中止を我々は熱望します)との多数のご意見に関して、作品を擁護する声もある物の、制作側としては過半数の意見を真摯に受け取り》か・・・。世間は一つの悪い面に関して過剰反応しすぎだな。」
そう記事を見た榊原へ、柳沢は開いたまま置かれた新聞の隅っこにある週刊誌の宣伝記事をちらりと見ながら言った。
「アニメないし漫画のグラマラスな女性キャラクターが書かれた宣伝ポスターとか、そのキャラクターが登場しただけで女性蔑視だとか性犯罪の着火剤だって大騒ぎだもんなぁ。そう言ううるさ型が多いから、バラエティーやドラマの制作陣は恐縮と言うか不貞腐れたからか恐縮したのか、後腐れのない作品しか作れない昨今だって聞くし、アダルトな動画を問題視した人間の反対運動で一つの動画投稿サイトがほぼ規制されたとも聞くぜ?」
「へえ、流石に龍さんの耳には色んな情報が入るんだな。」
「俺はそれなりにインターネット弄るからな。」
「ようよう、名探偵。」
「煽てるなよ。」
を銜え火を付け、マルボロを照れ臭そうに頬をポリポリとかきながら、柳沢はライターで火を付けた。
その動作をしり目に、榊原はこっそり謹厳な面持ちで煙草に火を付けて言った。
「龍さん、飲んでる所悪いが聞いてもいいか?」
「水臭い物言いだな、遠慮なくどうぞ?」
そう榊原は、ウイスキーを飲む手を止めて柳沢の方へ耳を傾けた。
「朝比奈美紀の誹謗中傷について、健さんの周りで何か聞いてないか?」
と言う柳沢の質問に、榊原は真剣な面持ちで言った。
「何かも何も、あの依頼人に関するマイナスなスキャンダルに関する話題で持ち切りさ。“幻滅したぁ~”、“俺もうファン辞めよ~”とか。」
とおどけたかのような口調を間に挟みながら徳永は、徐に柳沢の質問に答えた。
「もう年号が変わってるってのに、世論は進歩がねぇな。」
「そうだな、進歩がねぇって言うよりも悪化してるよ。俺もたまにインターネットに目を通すんだが。現代の芸能人は生き辛い世の中になったって思うよ。」
「その心は?」
「昔はさ、大物俳優だとか大物女優だとかが“俺をこんなホテルに止める気か!?”
、“この私にパンを食べろっての?”ってわがまま言ってもそれが大物の貫禄だって片づける事が出来るが、今じゃ用意された仕事に一言ヤダって言えばたちまちアンチの耳に入り芸能界・・・いや、俗世間からハブられるんだぜ?」
「そういうもんか?」
「そうさ、東映だ大映だ銀幕だって言って芸能人をあがめてた時代とは違うんだよ。今や芸能人は憧れの的じゃねぇよ。」
「じゃあ、何だよ?」
フィルターまで無くなったマルボロを灰皿に押し付けて、滝沢が聞くと目の前の鼻緒先ギリギリに榊原の鉄拳がビュッと飛んできて滝沢も思わず椅子を飛び降りて身構えた。
「何だよ!?」
「はっはっは。驚いたか?」
「狂ったかと思ったよ。」
「ゴメンよ。」
そう言いながら、榊原は残ったウイスキーを一気に飲み干して言った。
「今や芸能人はね、サンドバッグだよ。」
「サンドバック?」
「理不尽なことばっかの、まさに真っ暗闇の世の中で沸々と湧き上がるストレスの捌け口になってるのさ。」
「歌の文句みたいだな。」
「うん、あの名曲は今の世の中を予言してるんだと最近俺は思うんだよ。極端かもしれんがね、今回の先生の依頼人は、その真っ暗闇の世の中の生贄だな。」
「生贄か・・・。」
「本当に、馬鹿々々しいよ今時はさ。その馬鹿々々しい空気が、組織の中にも漂ってきてると思わねぇか?」
それを言われた柳沢は、氷も入れずにウイスキーを無造作に注ぎ、それをグイっと飲みカツンと乱暴にグラスを置きながら言った。
「龍さん、その通りだよ。価値観、偏見、色眼鏡とかの最悪のレシピを混ぜ合わせて出来上がった組織の体たらく・・・、そんな悪しき意識のせいで無実の罪で死刑台に吊るされた人間、多くの人間をどん底に陥れながら明るい人生を約束された犯罪者が産まれ、警察や法曹関係者と言った法の番人がまるで悪党と同じ穴の狢の様に扱われている。気に食わん!!」
と、柳沢はアルコールで温まった吐息を吐きながら地面を見ながら言った。
どうやら地雷にを踏んでしまった様で徳永は、空になったグラスにウイスキーを注ぎながら、ふいと表情を暗くした。
それに気が付いて、柳沢は言った。
「どうした龍さん、シケた顔して。」
「あ・・・、何でもないよ。」
「くさくさした依頼を押し付けちまったんだ、今日はとことん飲もうぜ兄弟?まだまだあるぞ?」
「お・・・、おう。」
そう取り繕った表情を見せながら、榊原は柳沢が差し出したグラスにカツンと軽くぶつけて乾杯した。
「悪い、先生。」
「何が?」
「いいや、何でもない。今回の依頼、任せておきな。」
「頼りにしてるぜ?」
そう言いつつ、ヤクザが盃を交わすかの様に一気にウイスキーを飲みほした二人だった。
この法律事務所の所長、これから猟奇的な匂いの漂う依頼を遂行して行く事になる弁護士の柳沢健介。東京大学法学部卒業、在学中に司法試験を首席で卒業した秀才。しかし、生粋の弁護士ではない。検事を辞めて弁護士に転身した、所謂ヤメ検弁護士だ。
法曹界の父と言われた祖父の耕助、同じく検察をやめて弁護士に転職し数々の功績を挙げて名を残した泰輔と言った凄まじい血縁者を滝沢も、順調に次期トップとしてエリート街道を上っていた。
少年時代は絵に書いたようなやんちゃ坊主と言うか悪童だった。親しい友達が苛められたと知るや、バットを片手に殴り込みを掛けたほどのガキ大将だった。しかしそんな滝沢を、両親は許さなかった。元自衛官の本郷隼人が師範を努める道場「大道館」に入門させられ心身ともに鍛え、アクション映画に憧れ実戦空手の名門たる極真会館や、かの嘉納治五郎が起こした講道館等で日本武道の稽古を積み、絵本やノベライズ本が読みたい中で教科書や裁判の事例をコピーした書類をマンツーマンで読まされる等と、甘え容赦のない文武両道を重んじる厳しい生活を送った。
その結果ガリ勉とまでは行かないものの、生真面目な人間となり末は法曹家となるべく勉学と鍛錬に励んだ。その甲斐あって大学意を何の問題もなく卒業と言う、本来なら目出度い出来事を皆で喜び合うはずだった。
しかし、ここで考え難い事件が起きた。父が殺されたのだ。
生前の父が引き受けたのは、とある女子大学生の強姦致死事件だった。事実この被告人は関係を持とうと思ったものの、相手が悪かった。相手の女子大生は、周りには猫を被って優等生を気取っていた。しかし、裏に回れば誘惑して行為に及ぼうとした相手から示談金を毟り取る美人局の常習犯だった。そして被疑者たる就職間もない青年は、若気の至りで一時期非行に走り幾つも問題を起こした悪名高き元ヤンと言うかマイルドヤンキーだった。
被疑者はとっくに更生し、尊敬する先輩の経営する鉄工所で汗水垂らして働くなどとヤンキーだった汚名を返上して社会復帰をしていた。しかし生来の酒好きは変わらず、仕事帰りに少しばかり酒が過ぎて千鳥足で買える最中に魔性の色気を放つ被害者の誘惑にまんまとはまって、誘われるままに彼女に部屋に入った。
だがそこからがいけなかった。イチャイチャとキスと事の前のボディータッチを重ね、彼女がその気になり共に服を脱がしあってシャワールームへと入り彼女が抱き着いて来た所で、ドヤドヤと二人ばかりの取り巻きが乗り込んで来てビデオカメラを回しつつ脅迫してきたのだ。
しかしそこは其れなりに知識のある被疑者は抵抗した。取り巻き連中は言葉こそ凄んでいたものの、喧嘩慣れのしていない小遣い稼ぎが目的の坊ちゃんだった。そんなエセヤンキーの取り巻きをいなし逃げようとする女性の動きを止めようとした。その後揉みくちゃになる中で女がガラステーブルに頭を強打して死亡してしまった。
目を覚ました取り巻きの通報により、被疑者は逮捕されて強姦致死の実刑を下されるところだった。表向きはおしとやかと清楚を絵に描いたような優等生で、美人局の悪事を巧妙にひた隠しにしていた優等生と、更生したとは言え過去に幾つも補導歴のある被疑者。善悪の天秤に掛ければ、悪党の方に上がるのは決まっていた。
そこで弁護を担当したのは滝沢の父、俊助だった。検察上がりで正義感の強い俊助は、培った人脈を駆使して日があるのは被疑者である確固たる証拠を掴み、有罪確率が遥かに高い刑事裁判で無罪を勝ち取った。
しかし、死んだ被害者の遺族は怒り心頭だった。知らぬが仏の遺族は、怒りの矛先を慶介に向け、仕事帰りに結婚記念日の母に好物を買って帰る俊助を襲撃し殺害したのだ。そこそこ護身術を心得る俊助だが、不意の急襲には対応出来ず殺害されてしまった。これに食いついたのはマスメディアだった。被害者遺族の強行から察するに、やはり俊助は犯罪者を無罪にしたと事実無根の取材を続け、それに同調された世間の拙い噂で心身を病んだ母はアルコール依存症となった挙句、吐しゃ物を詰まらせて死亡した。以降の滝沢は、父の親友だった大久保平蔵に面倒を見られ生活した。大久保らの活躍もあり、真の事実は明らかとなり、亡き両親の汚名は払しょくされたが、滝沢は仕事となれば100%怪しい相手でも弁護しなければならない弁護士の宿命を軽蔑し“本当の犯罪者へ法の名の下に制裁を加え、少しでも冤罪を無くす”と言う確固たる信念をもって検察官を志し、その夢を実現させた。
その後の滝沢は情け容赦なく犯罪者を断罪し、若くして幾多の犯罪者から鬼検事と呼ばれて恐れられ、憎まれる存在になって言ったのだ。
暫くし、自身の信念を否定する凄惨な出来事が起こり検察の組織と懐を分かち弁護士に転職。一条美智子の行為で空のまま残っていた法律事務所を引き継いだ。その後は父をも凌ぐ働きを見せ、転職して間も無く困難とされた刑事事件で無罪を勝ち取り、同時に警察の捜査の落ち度を裁判の中で糾弾し「法廷の鬼」と言わしめるまでになったのだ。
この功績を高く評価し、大久保は困難な依頼を滝沢に回す。しかし、柳沢は厳格と言うか頑固な性格の持ち主で、少しでも依頼人に落ち度があった場合はどれだけ大口の依頼であっても拒否する。余程の事がない限り安心だが、暴走してしまう血気盛んな一面がある。依頼を完璧に遂行する為には、検察時代の癖なのか無遠慮に質問をぶつけると言う依頼人を守るべき弁護士にあるまじき悪癖がある。
それを問題視した大久保により、東弁会直轄の調査員であり柳沢の盟友である榊原が依頼の度に助力するという訳だ。
今回の悪しき誹謗中傷の依頼も、柳沢と榊原は互に手を貸し合い依頼を遂行して行く事になるのだ。