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「騙された!!」
「もう来るか!!」
もう聞き飽きた。見飽きた。
つかの間の夢を見て、レシートという名の引導で目を覚まし黒服に強制連行される客の断末魔の悲鳴、もう何回聞いた事か。
色々な欲望と策謀が犇き合う、眠らない町として有名な繁華街・歌舞伎町。他の町とは違う、いるだけで胸躍る独特な雰囲気が漂う場所。
全部が全部と言う訳では無いが、今でも「5000円ぽっきりで飲み放題」と言うコスパ最高の売り文句、そして出る所出て締まる所締まったグラマラスで妖艶な色気を放つ美貌の女性や、一見屈託の無い笑顔を見せるキュートな女性に誘われて中に入り、いざ酒と女に酔いしれた後で黒服が持って来た伝票を見て仰天する。そして、払えないと聞くやゴリゴリマッチョ且つ鬼の様な形相の用心棒に連行され、コテンパンにされ金融会社へご同伴と言う訳だ。魅力的なメニューに美人の手招き、これはまるでワニガメやチョウチンアンコウの疑似餌に似ていると思える。
対外こう言ったバーに関係しているのは、暴力団関係者すなわちヤクザだ。ヤクザと言っても、幡随院長兵衛や清水次郎長の様な「弱きを助け強きを挫く」と言う大義名分を持つ任侠の徒では無い。抗争だとか恐喝だとか、詐欺だとか人身売買、密輸と言った悪事に手を染める今どきのヤクザだ。対外ぼったくりバーのケツ持ちないし、オーナーの中にヤクザがいる。偏見かもしれないが、バーだとかスナックだとか小料理屋だとかの水商売には少なからずヤクザが絡む事が多い。
一昔前は暴力団関係者は、それこそ肩で風を切りブイブイ言わせていた物だが、暴対法は施行されてからは成りを潜め、表立って鎬をする事が出来ない。歌舞伎町内ぼったくりバーに感する注意を促す有線放送が頻繁に流れている。しかし、家庭不和で欲求不満を持て余し、温もりを求める中年や、刺激を求める若人はこう言った甘い誘惑にはついコロリとイってしまう場合が多いのだ。
スナック「酔楽」の常連であり歌舞伎町の住人である柳沢健介、この三文芝居は飽きるほど見て来た。以前は、粋がってスカジャンを羽織って髪をワックスでピンピンに建てた若いガキが、生意気にもバーに入って黒服にしこたま揉みくちゃにされていたのに遭遇し助けてやった事がある。表立って義侠心を売り物にしている訳では無いが、一応それなりに世の中の裏側も見て来た年長者だ。二十歳に片足突っ込んだばかりの、人生の半人前がボコボコにされるのは見てられない。
黒服に怒鳴られ、恐怖を味わっただけでも十分薬になったろう。と、助けてやった事もあった。
カウンターでアイスボールが半分ほど浸かったウイスキーを一口二口啜りながら、チーズの添えられたステーキを食べるその姿。
前髪を後ろ手に立て、首の付け根近くまで伸びた黒髪、太い眉に猛禽類を思わせる目つき、高い鷲鼻。日本人離れした彫りの深い精悍な顔立ちで、こう言うバタ臭い顔立ちは調味料に例えると「ケッチャプ顔」だとか「ソース顔」だとか言うらしい。逆光で目元が黒く見え、高い鷲鼻で顎は尖っている
年の頃三十代はとっくに超えているだろう。しかし中年期は越してはいないと思われる。一見するだけでは、実年齢は把握出来ない。身長180を過ぎた長身に、長身痩躯だが華奢と言う訳では無く、鍛え上げられた無駄な贅肉の一切見られない体系だった。動作の一つ一つに余裕と貫禄が伺え、謙虚さと言うか慎ましさをさすれぬ動作、そしてその余裕のある雰囲気からは独特な色気が醸し出されていた。見るからに酸いも甘いも嚙み分けた男盛りの全盛期と言える見た目だった。
歌舞伎町の三番通りのちょうど真ん中に、「酔楽」がありそこが柳沢の行きつけだ。
「ねえ、先生。」
アイスボールを指で突きながら、何か考えている様子の柳沢はどこか声をかけづらい感じだった。
しかし、酔楽の売り上げの殆どを担うチーママである吉岡彩乃が声を掛けた。
「うん?」
と、どこか色っぽい声の彩乃の声を聴き柳沢は応答した。
「何か考え事?」
彩乃は興味津々で聞いた。
「うん、まあな。」
「お仕事も人段落したんだから、何も考えずゆっくり飲んだら?」
「そうだな、でも気が気じゃなくてな。」
「何が?」
「それは言えん、俺達弁護士には医者同様に依頼人との守秘義務は守らなきゃならん。法律でも定められているかなな。」
「そうなのね、つまんない。」
「悪いな。」
「うふふ、先生なら許すわ。」
と、愛嬌たっぷりに彩乃は言った。
弁護士は、刑事訴訟や民事訴訟等訴訟を取り扱う仕事。中には人に聞かれたくないものもある。故に、依頼を喋ることは御法度なのだ。007シリーズ等で名だたるエージェントが拷問を受けても秘密を喋らない様に、弁護士もこの様な精神が必要となってくる。弁護士法23条では「弁護士又は弁護士であった者は、その職務上知り得た秘密を保持する権利を有し、義務を負う」とある。現役の弁護士はもちろんの事、弁護士が廃業したとしても、業務上で知りえた事を他言する事はあってはならないと言う厳格な法的義務を負う必要があるのだ。
ちなみに柳沢が懸念しているのは、つい此間解決したある資産家女性の旦那が巻き起こした不倫訴訟だ。依頼してきた奥様はかなりのヒステリーで、オフィスに来るや否やマシンガントークを叩き付けて来た。所属している弁護士会の理事長から紹介された依頼、気に入らない依頼は容赦なく突っぱねる確固たるポリシーを持つ柳沢が、大口のお得意様であり、オーナーの口利きでもある依頼故に、断るなんて出来るわけなく引き受けた。
残念ながら、知り合いの有能な私立探偵の協力もあって旦那の不倫はほぼ確実だった。
しかし、依頼されたとはド直球に事実を明かしてよい物だろうか。
つい此間も、離婚調停の依頼に来たマダムが、旦那が愛人と濃厚に乳繰り合っている写真を見せつけられれた。怒り狂うのは無理もないが、今回の依頼人に負けず劣らずヒステリックなマダムの怒り心頭ぶりは相当な物だった。机に成功報酬を詰め込んだ封筒をメンコの様に机に叩きつけて法律事務所を後にしたのだ。
そして迎えた訴訟の日、法廷の中で依頼人と愛人が取っ組み合いのけんかを始め、訴訟は泥仕合。判事や職員が右往左往する、まさに乱闘騒ぎだった。
訴訟の前日に、不倫した亭主が愛人と心中を企てたと言う最悪な結果もよく耳にする。口では「仕事の後の事まで知るか。」と、冷徹な返事をしたものだが気にならないと言えば嘘になる。
あの依頼人も、もしかしてと考えるとヘラヘラする気にはなれなかった。
言わば、職業病だ。
おもむろに胸ポケットに入った赤ラベルのマルボロを一本銜えて、ライターで火を付けた。
「酔楽」だとか、コンビニの喫煙所、数少ない喫煙可の飲食店くらいしか吸えなくなった。三箱以上は軽く吸うヘビースモーカーの柳沢は、今の世の中は生きづらいと思っている。
国民全体が健康志向になり嫌煙家が過半数を占め、最近ではドラマ内で喫煙シーンが映っただけで批判が殺到したと聞く。
近年ではアイコスやグローなる「匂い少なめ」「体の負担軽減」と言う謳い文句で発売された変わった電子タバコまで生まれたが、柳沢は昔ながらの紙巻き煙草の方が口に合っている。
「こう言う場所しか、一服できなくなったな・・・。」
「そうねえ、ヘビースモーカーの先生は辛いわよね。」
口から白い煙を吐き出しながら、同情する彩乃に言った。
「まあ、強引に公衆の面前で吸って反感買うのは避けたいし、喫煙所を探すのが一苦労だ。」
「ここでは思いっきり吸って。」
「そうさせて貰うよ。」
等と無駄話をしていると、奥から酒焼けした中年の声で「彩乃ちゃ~ん」と呼ぶ声がして優香はそちらへ向かった。すると入れ替わるように、シェイカーを振っていたバーテンダー兼シェフの渡辺聖司が声をかけて来た。同様に肩幅のがっしりとした体格の持ち主であり、長く伸ばした髪を後ろ手に結んだ抽象的な見た目でもあった。
「先生、お疲れ様でした。」
「おう聖司君、最近の中年ってのは落ち着きがないな。」
「隣の芝生言うのは、青ぅ見える言いますしねえ。」
着々と仕事をしながら、柳沢に声をかけ続ける渡辺。出来上がったソルティードックを柳沢の近場にいたスーツ姿の女性に差し出すと仕事の手を止め、柳沢に詰め寄った。
「先生ぇ、たまには俺も使うてくださいな。また榊原さんや滝川さんだけ頼ったでしょ?」
「彼奴らとは実質、業務提携してる様なもんだからな。」
「ほな、ターちゃんはなんで?」
「今回的の動きを探る為にネットが必要だったんだ。」
「俺かてごっつ役に立ちまっせ?相手は水商売だったんでしょ?俺、こっちの方にも顔が利きますよって。」
人差し指の先で頬をツーっとなぜ、本職のヤクザを指すジェスチャーをした。
「別に取り立ての代行ってわけじゃないし、今回は手が足りてたんだよ。」
「込み入った際は、ぜひ頼ってくださいね。」
「おう。」
「頼んまっせホンマに。」
人懐っこい笑顔を見せながら、渡辺は言った。
すると何やら裏の扉があく音がし、ベージュのシアーシャツに流行りのアニメキャラクターのプリントされたTシャツ、下はクリーム色のデニムを履いたカジュアルな恰好の女性が現れた。
「あ、先生。」
「おう、愛美ちゃんか。」
「何か事件?」
「いや、もう終わったところだ。」
「なーんだ、つまんないの。ねえ、何か私にできる事ない?最近、徳永のおじ様もそっけないし。」
「無い、学生生活に専念しなさい。」
「ぶう、おばあちゃんと同じこと言わないで。」
と、頬を膨らませた。一条愛美は、ビルのオーナーであり地主でもある一条美智子の孫娘である。今は子供好きが高じて、早稲田大学教育学部に進学した大学二年生である。そして愛美は、生粋のミステリーマニアであり、それが縁で柳沢が主宰する法律事務所の調査員のバイトをごり押ししてくる。根負けして、この前家でした女子高生を探して欲しいと言う依頼が来た際に協力してもらってから、すっかり正社員気分で渡辺同様に仕事を求めてくる。しかし、弁護士は危険が伴うし、こっちに夢中になって単位を落とす事になる。それは避けたいと、あまり仕事を回さないようにしている。
「まあ先生、今日はゆっくりしてってくださいな。」
「ああ、そうさせてもらうよ。同じのもう一杯くれ。」
「あまり飲みすぎると、晴香ちゃんが怒りまっせ?」
「興醒めさせるような事言うなよ、仕事が終わった時ぐらい昼酒煽りたいんだよ。」
と、もう一本マルボロを銜えようとした所でスマートフォンが鳴った。送信した相手の名は「晴香」と書いてあった。
さっきまでバーボンが周り、良い心持になり穏やかな表情になってきたところだったが、一気に険しい表情に変わった。
その表情を見て、渡辺と黒田虎吉もすべてを察した様で憐みの視線を送った。
出るのを躊躇しながら、バーボンを煽り飲む柳沢。
「ああ、出たくない。」
と、思わず本音を零した。
「相変わらず、晴香ちゃんには弱いんですね。」
ニヤニヤしながら愛美が言うと、口をとがらせながら柳沢は言った。
「どっちが経営者だか、わからんよ全く。」
「出なくていいんですか?」
「マナーで気付かなかったとか言って、無視しとこうかな。」
「後でひどい目にあいませんか?」
と、渡辺が心配そうに言った。
うるさ型の秘書である阿部晴香には、どうも頭が上がらない。仕事なると、例え寝ていても叩き起こそうとする程だ。依頼の選り好みをしようものなら、懇々と文句を言われてしまう。
だが経営者たるもの、うじうじしてもいられない。
渋々ながら、二度目掛かってきた電話に出た。
「‐はい、もしもし。」
「‐もう、やっとでた!」
「‐晴香か。」
「‐晴香か、じゃありません!先生、今どこですか?」
「‐何時もの所だ。」
「‐え!?また昼間っから飲んですんですか!?」
「‐依頼が終わった時ぐらい、好きにさせろ。」
「‐何言ってるんですか!東弁会の大久保理事長から依頼が来たんですよ!」
「‐ほお、親父さんから。」
「‐ええ、誹謗中傷に関する訴訟だそうです。」
「‐誹謗中傷ねえ、乱れてんなあ。」
頭をかきながら、柳沢は阿部の電話に答えた。
「‐けっ、そんなの情報開示請求でもして勝手に訴えりゃ良いじゃねえか。」
「‐確実に勝訴するように、ですって。」
「‐いい様に使われんな。」
「‐しょうがないじゃないですか!代表弁護士らしく、ちゃんと仕事してください!」
「‐へいへい。」
「‐ともかく、依頼人が五時に来ますのでさっさと戻ってきて酔いを醒ましてください!」
と言い放つと、一方的に電話を切った。
「ったく。」
そう言うと柳沢は、まだ残っているバーボンを一気に煽り飲んだ。オフィスへ帰れば、また麻衣の文句を懇々と聞かされると思うと、一気に胃に流し込んだバーボンの酔いも直ぐに冷めると言うものだ。
苦し紛れにピースを一本取り出して、銜えた所で色々な調査に従事した渡辺が声をかけた。
「先生、帰った方がええんちゃいます?」
「偶には仕事から離れてえよ。」
すると真剣な表情で、黒田も言った。
「お察ししますが、旦那は今は宮仕えじゃなく経営者なんだから。」
「解ってるよ、辛い現実の前に一服させろよ。」
と、銜えたマルボロで火を付けた。火が付いた煙草の先端から立ち上る青紫色の煙を追う内に、段々と現実に引き戻される気がした。口から吸いこみ、肺に入る感覚は感じるものの、直ぐに仕事と言う現実に意識が引き戻される気がした。
フィルターの半分位煙草を吸った所で、縦肘を付きながらため息を付きながら渡辺に声をかけた。
「ふぅ・・・。なあ聖司君、ひょっとしたらお前に探偵になってもらう事になるかもしれんが、良いか?」
「待ってました!」
「おうそうか、ありがとうよ。」
フィルターギリギリまで焦げ、煙草の根元が見えるまでになった所で柳沢は煙草の火を消した。
弁護士の業務の主体ともいえる訴訟は大まかに分けて二つある。「借金をしたにもかかわらず返さない」、「交通事故を起こしてしまった」、「医療ミスの疑いがある」等所謂話し合いがこじれた場合の訴訟が民事裁判である。民事裁判における業務は、まず依頼人の希望を聴取すること、次に事実関係を調査して、依頼人に有利となる書類や証言などを集めること、そして裁判で依頼人の弁護を行う事で、よくサスペンスドラマなんかで熱弁を振るう事があるが、実際はいたって事務的な場合が多い。もう一つは殺人、強姦、暴力、器物損壊、窃盗、脅迫、わいせつ、賭博行為等の刑事訴訟と多岐に渡り、刑事事件における弁護士は、罪を犯した疑いのある被疑者や、罪を犯したとして検察に起訴された被告人の代理人となり、事件を調査したり、検察官を相手に弁護活動を行ったりすることが仕事となる。弁護士が担当する割合は民事が多く、刑事事件は少数派である。
ちなみに柳沢は、民事も刑事事件も引き受けている。しかし条件として、依頼人に毛程も非が無い事と依頼の中に偽装がないかが条件だ。後で非があった場合は、裁判を放棄する場合もある少々難物である。
天才思考と言うか、プライドが高い柳沢が眉を細めるのは無理もない。かと言って不満を叶え、「これは専門外」「その依頼はお断りします」なんて言っては忽ち食うに困り、今では星の数程ある法律事務所は食うに困る。それを柳沢は人一倍それを熟知していた。
「虎さん、おあいそしてくれ。」
「腹を決めましたか?」
「燻ってちゃ、商売にならねえからな。」
「御立派でごさいます、今回ツケで大丈夫ですよ?」
「それは駄目だ、ちゃんと払うよ。」
と、福沢諭吉が印刷された万札を三枚取り出して黒田に差し出した。そして、レジ担当の店員に声をかけようとした所を柳沢は「釣りはいらねえ」と、何時も通りの決まり文句を言った。有能な弁護士としてそれなりに知られている柳沢は、相変わらず気前が良い。と言うか、自分の関係者に協力を労いねぎらいたくなるのが柳沢の持って生まれた性格でもある。
「まったく、旦那はお人好しですね。」
「美味い酒や肴を食わせて貰ったんだ、その位の気遣いはあって良いだろう?」
「せやから、旦那の周りには人が集まるんやねえ。」
「煽てるな、俺はそんな人格者じゃねえよ。」
「御謙遜を、旦那のおかげで俺は食える様なもんでっせ?」
「バーテンダーか探偵か、どっちが本業か解らねえな。」
「何やったら俺も、探偵に転職しても良いんですがね。」
と言うと、黒田が後ろから声を掛けて来た。
「何だ聖司君、ここは不満かえ?」
「え?いえ、不満ちゃいます。一寸、刺激が欲しいわけで・・・。」
「解った解った、悪かったよ。」
と、言い包められた渡辺はバツが悪そうに言い、黒田も揶揄い過ぎたと笑った。
「はっはっは、まあ大も源さんも必要だったら協力を仰ぎに来るからそん時はよろしく頼むぜ?」
と、くたびれた紺色のインバネスコートを羽織り荷物をまとめながら柳沢は渡辺に言った。
「了解!」
と、おざなりながら自衛隊さながらに敬礼をした。
渡辺や黒田、一条家の人々。柳沢の人生の中で色々と関わった面子、そんなメンバーを協力者として信用している。
少数政型の法律事務所も、こう言った協力者の尽力があって成り立っているのだ。
その事は、誰よりも柳沢本人が解っている事だ。