マッチを売る少女
今日は祝日、お仕事がお休みな俺はベッドで横になりながらポスターについて考えていた。
もやっとしたイメージだけは浮かぶのだけど、鮮明に浮かばないのであんまり作る意欲が出てこない。
そんなふうに悩んでいる俺の目の前に突然親父の顔が現れた。
「おうおう、暇そうな顔だな。うっし、それならナツメの所に行って豆酒買ってきてくれや。代金だ、ほら持ってけ」
そう言って、俺の額に大銅貨が6枚置いた。
「……ナツメかぁ」
親父が言うナツメとはナツメ酒場の事で、俺の知る限りでは王国内で一番の激安酒場だ。
とっても激安なので、あらくれサーカス団の皆にとって行きつけの場所にもなっている。
「いや、そもそも俺暇じゃないいだけど‥‥‥まぁいっか」
俺はボサボサの髪をかいてから、額に置かれた大銅貨6枚を手に持った。
「気分転換に行ってくるかね」
「おう、行ってこい」
ベッドから起きあがった俺は、硬くなっていた体をほぐすために全身をぐっと伸ばした。それから、自分の財布にお金をしまってから、部屋から出た。
行くならぱぱっと済ませてしまおうと思い、滑るように階段を降りて、その勢いのまんま劇場の裏口の扉を開けて外へとび出した。
すると‥‥‥。
「おわっ!」
「きゃっ!」
裏口の真ん前にフードを被った少女がいたのに気がついたが、とび出した勢いが止まらなくて、俺その少女とぶつかってしまった。
「ごめん。だいじょうぶか?」
「は、はい。あ‥‥‥」
この少女の周りには、小さな木片のような物が沢山落ちていた。
どうやら、ぶつかった時に少女の持ち物が落ちてしまったようだ。
「ほんと、ごめん。今拾うわ」
俺は謝りながら一つ一つ拾っていく。
「これは‥‥‥マッチか」
マッチ。これは赤い先端を擦ると火がつく便利アイテム。
俺だとランプに火をつけるのによく使っている。
「は、はい。そうです」
「へー。はいどうぞ。これで全部だと思う」
マッチを渡すと、フードを被った少女は「ありがとうございます」と丁寧に頭を下げた。
貧民街の珍しく礼儀正しい子だなと思いながら、俺はその少女を少し観察してみた。
フードを被った赤い髪の少女。
つぎはぎだらけのエプロンにボロボロのワンピース。
姿からして多分、俺と同じ貧民地区に住む女の子。
多分だけどマッチを売って家族、もしくは自分の生活を支えているのだろう。
ふむ、この場所ではよくいる少女ではあるな。
「あの‥‥‥マッチいかがですか?」
「それじゃ‥‥‥1箱頂こうか。おいくら?」
「はい! 中銅貨1枚です」
俺はポケットから財布を取り出した。
とっても軽い財布が、さらに‥‥‥と思いながらも中銅貨一枚を取り出してフードの被った少女に渡した。
「あ、ありがとうございます。はいどうぞ」
「あい、どうも」
マッチ箱を受け取った俺は、ポケットの中に入れた。
それから少女に「それじゃね」と手を軽く振ってナツメへ向かおうとした。
「あ、あの! その、お名前聞いてもいいですか」
「おっ?」
おっと、これは珍しい。誰かに名前を聞かれることってあまりなかった。
いつもピエロの姿をしているから『そこのピエロさん』っと言われるだけで、名前までは聞かれることはなかった。
よしせっかくだし、ちょっと演技入りで自己紹介してみるかな。
「俺はピエロのロジック、宜しくなんだぜ!」
俺は得意のバク転してからグッっと親指を立てた。
「私はマリー。マリーです! よろしくです」
「マリーか、いい名前だ。それじゃマリーちゃん。またな!」
俺は手を振って、ナツメの酒場に向けて歩いていった。
やる事をすべて終えて夜になった。
俺はベッドの上にお金を置いて、頭の中で計算を始めた。
「えっと豆酒は、大銅貨5枚と中銅貨3枚だから、親父に返すのは中銅貨7枚だな」
お金には色んな種類がある。まずは最小単位の銅貨。次に銅貨が10個集まれば中銅貨に。中銅貨が10個集まれば大銅貨に。そして大銅貨が10個集まれば銀貨になる。銀貨も銅貨と同じように中銀貨、大銀貨がある。
ちなみにだが、大銀貨の上に金貨というのもあるらしい。どうやら金色に光っているらしいが、俺は見たことがないので、金貨というものは存在しない物と思ってる。
「おいーす。って、何してるんだ?」
「ん? あーこのお金な」
部屋に入って来た親父に、ベッドの上に並べたお金を見せた。
それから中銅貨7枚を親父に向けて投げた。
「ほれ、おつりだ」
「ほいほい。んで、酒はどこにあるんだ?」
親父は俺の周りを見回して豆酒を探したが、見つからないので、俺の頭を片手で掴んで持ち上げて聞いてきた。
「おいやめろ、痛いって。酒はもらってきてない」
「あん、どういうことだ?」
「新しい豆酒がもう少しで出来上がるんで、待ていてほしいってよ」
「ほう、出来立ての豆酒が飲めるのか。そいつぁ楽しみだ」
舌なめずりをした親父はとっても喜んでいた。
豆酒はナツメの所で一番安いお酒であり、アルコールの度数が一番高い酒でもある。
親父にとって安いから大量に飲めて、どっぷりと酔える。まさしく最高の一品というわけだ。
それゆえに親父は稼いだ金のほとんどを豆酒を買うのに使う。
どーんと樽ごと買うのだ。いわゆる大人買いだ。
「ていうか、まだ1階に豆酒の入った樽が3つほどあるじゃん。それ飲んでから買えよ」
「あれは非常食だ。何かあったら、あれを飲んで俺は生きていくんだよ」
俺は思わず、非常食なのかよとツッコミを入れたかったが、余計な事を言うと色々とうるさいので黙る事にした。
「そうだ、これやるよ」
「ん?」
俺の頭に箱のようなものが置かれた。
何だろうと思い、それを手に取ると‥‥‥。
「マッチ箱か」
「ああ、裏口の近くでマッチを売ってる女の子がいてな。ついな、1つ買っちまったわ」
ふと、今日あらくれ劇場の裏口でぶつかったマリーちゃんの事を思い出した。
「もしかして、フードの被った赤い髪の少女じゃなかった?」
「なんだ、知ってる子だったか」
「今日の朝にちょっとね。名前はマリーちゃんだって」
「ほう、マリーちゃんか。いい名前だ。それになかなか可愛い子だったな。俺も息子じゃなくて、可愛い娘がほしかったなぁ~」
「それなら俺もこんなガサツな親父じゃなくて、金持ちで優しい父親を持ちたかったぜ」
「あん、なんだと息子ぉ」
「おいこら、なんだよ親父ぃ」
俺と親父は互いをしかめっ面になって見合った。が、すぐにこの話題に意味がない事に気がつき、お互い溜息を吐いた話を終えた。
次の日。
俺は親父と一緒に舞台に上がり、6つの棒を使ったジャグリングという芸を観客に見せていた。
お互い舞台の端に立ちながらのジャグリングは、結構距離があるので力が必要な演技だ。
座長が手をあげると俺と親父は、演技を止めて観客席に向けて一礼する。
すると観客からパチパチと拍手が聞こえてくる。
「ん?」
観客席に目を向けていると、赤い髪の少女を発見した。
昨日ぶつかったマッチを売っていた少女、マリーちゃんだ。
俺はマリーちゃんに手を振った。
するとマリーちゃんはなぜか俯いてしまった。
なぜ? っと気にはなったけど、次の出番となるティティとアレクの邪魔になるので、俺は舞台の裏へと下がった。
「どうした?」
「あいや、さっきマリーちゃんがいたなって」
「ほう」
親父はタオルで汗を拭きながら、俺を見てニヤニヤした。
「ほう、お前にもファンが出来るとはな」
「まっさか。サーカスが気になって見に来てくれたんだよ」
「どうかな。まぁしかしだ、あの少女はよくここに来れたな。ここの入場料は大銅貨1枚。あの子にとっては多分大金だぞ」
たしかに。マッチを売って生計をたてているはずマリーちゃんにとっては、大銅貨1枚は大金だ。
中銅貨1枚のマッチ箱を10個売って、劇場に入る‥‥‥というわけにはいかない。
マリーちゃんは売ったお金で生活をしなければならない。それとマッチ箱を仕入れなければならない。
ゆえにだ、大銅貨1枚は、生活になんとか支障のきたさないように、多分30日ぐらいの日数かけて、コツコツと貯めて出来たお金だと思う。
しまったな‥‥‥そういことなら、もっとなにか見せてあげたかった。
俺が苦渋の顔をしてボリボリと髪をかいていると、親父が俺の頭をつかんだ。
「後悔してもしかたねぇ。それにだ、別に劇場でしか会えないわけじゃないだろ? 今度会ったら、まぁなんだ優しくしてやれや」
「ああ、そうするよ」
たしかに、親父の言うとおり、ここで悩んでも仕方ない。
よし、今度会ったら何か見せてあげよう。
俺はそう思いながら、親父からタオルをもらい、汗を拭いて部屋に戻っていった。
それからの俺は、色んな出来事にあいながらも日々が過ぎていった。
それはこんな感じにだ。
ある日、マリーちゃんと出会ってちょっとした芸を見せた事。
ある日、童話作家のハンス・ローゼンバーグさんという人に会った事。
ある日、ナツメ酒場から豆酒の樽が届き、皆で飲み会をした事。
ある日、酔っぱらったティティさんが俺の頬にキスをしてきた、するとどこからか殺気を感じた事。
ある日、誰かに見られている気がして、親父達に相談したら笑われた事。
ある日、演技をしている中で、また観客席にマリーちゃんを見かけて、生活が大丈夫か気になった事。
ある日、ようやくポスターのデザインが決まり(パクってないよ?)、1階の舞台裏でポスター制作を始めた事。
ある日、また酔っぱらったティティさんにキスされて、どこからか殺気を感じた事。
ある日、童話作家のハンス・ローゼンバーグさんがよく見かける事。
そして‥‥‥。
「どうだ、完成したぞ!!」
俺は顔に絵具を付けたまんま立ち上がり、完成したポスターを見下ろした。
後は乾かして、トム座長に見せるだけ。
そう思ってると、丁度良いタイミングにトム座長が舞台裏にやってきた。
「どうだい? 制作は捗っているかい」
「はい。丁度出来たところです」
「ほうほう、では見せてもらおうか」
俺は横に移動して、トム座長に場所を譲った。
「‥‥‥これは、私が作ったポスターを少し変えた感じかな?」
「えっ!? は、はい。そうです」
結局のところ、流行に合ったとか、良いデザインとかなんて自分では思いつかなかった。
なので、ナツメ酒場に貼ってあったポスターのデザインと、座長が作ったポスターのデザインを合わせた感じなのを作った。
あ、もちろん人物のイラストには服を着せました。
「トム座長のデザインがあまりにも良かったので、せっかくなのでそのデザインを元にして、ちょっとアレンジを加えて作ったんですよ。はっはっは」
「うむ、そうか。やっぱり私のデザインは良かったか」
うんうんと頷くトム座長。とっても満足そうだ。
「いやー、これはなかなか素晴らしいよ。さすが若者だね。私のセンスとロジック君の若きゆえの発想が組み合わさった最高のポスターだ」
トム座長は笑いながら俺の背中をバシバシと叩いてくる。
「よしよし、それじゃ。あと7枚作ってね」
「はっ?」
なんだって。このポスターをあと7枚?
‥‥‥嘘だろぉ。これ1枚作るのに、すっごい大変だったんだぜ?
「色々な場所に貼りだすからね、合わせて8枚は欲しいね。しかし、いやー楽しみだね。これを貼った瞬間大勢の人が劇場にやってくるよ」
「は、はぁ」
「それじゃ、頼んだよ。いやはや楽しみだなー」
トム座長は満面の笑みを浮かべて去っていった。
「はぁ、まじかよぉー」
俺は脱力して、体を床に倒した。
それから2日後。
俺はもくもくとポスター制作に勤しんでいた。
今必死に塗ってるポスターの横には、7枚の完成したポスターがあった。
あと1枚。今目の前にあるポスターが完成させることが出来たら。8枚になる。
これを完成した暁には、俺はゆっくりと眠ることが出来る。
「‥‥‥眠い」
最近の俺はポスター作りで徹夜しているのだ。
のんびりと制作をしていると、ひょっこりと団員達が現れて「まだー? 早く作ってよー」と言ってくるのだ。
そして夜になって寝ようとすると、トム座長や親父が「完成したのか?」「ほう! 出来たんだね」と強烈なプレッシャーを与えてくる。
まぁ、要するにだ。ポスター出来るまで寝るんじゃないぞと皆が言ってるのだ。
なので俺はピエロとしての仕事を終わったら、すぐ舞台裏に行き、静かにもくもくとポスターを作っているわけだ。
だが、それもようやく終わる。
「終わった‥‥‥完成だ!!」
8枚のポスターが完成して、俺は立ち上がった。
そして両手を真上にあげてガッツポーズした。
早速俺は、トム座長に報告するために座長室へと走った。
「完成しました。トム座長!」
「ほう。待ってたよ」
紙飛行機を作って遊んでいたトム座長は椅子から立ち上がると、俺に近づき抱きした。
「よくやった。さぁさぁ、ポスターを会議室に持っておいで、私は皆を集めておくよ」
「あ、はい」
‥‥‥あれ、なぜ会議室?
「よくやったね。ゆっくり休んでいいよ」そう言われると思っていたのだけど、どうやら休ませてくれないらしい。
「はぁ‥‥‥」
疲れた体に鞭を打って、俺はまた1階に降りて、8枚のポスターを持って会議室へ向かった。
会議室には入ると、すでに皆が席に座って待っていた。
「さぁ、皆、君達に重要な任務を与えるよ。ロジック君、そのポスターをテーブルの上に置いてくれる」
俺は言われたとおりにテーブルの上に並べた。
皆は「ほぉー」といった感じでポスターを見た。
「早速だが、今からこのポスターを貼りに行きますよ」
「えっ、今からですかい。もうじき夜になりますよ。そんな時間帯じゃ、誰もポスターなんて見ませんよ」
親父が驚いたようポーズをして、それから面倒くさそうな顔をした。
「そう、たしかに今日は見ないかもしれない。でも明日の朝、いきなり変わったポスターを見て多くの人は驚くだろう。素晴らしいデザインのポスターに魅力ある宣伝文句。このポスターを見てるだけで楽しくなってくる。‥‥‥そしてこう思うだろう」
「あらくれサーカス団は他とは一味違う。彼らの演技を見に行かなければっとね」
「おぉーなるほど!!」
トム座長は身振り手振りで表現しながら熱い演説を行い、その熱意に団員達は乗せられて盛り上がった。
その盛り上がりの中、俺は睡魔と戦っていた。
‥‥‥眠い。
そうだ、ちょっと寝よう。今なら寝ていても気づかないよな。
‥‥‥すやすや。
俺は睡魔の戦いに負けた。
「というわけで、皆に1枚ずつ渡すので、今から貼りに行ってほしいわけです。もちろん私も行きますよ!」
「わかったぜ!」
「いいわよ!」
「おいす!まかせろや!」
「おっけだい!」
「おっけおっけ!」
団員達が一人ずつ返事する中、親父は立ち上がって声に出した。
「よっしゃ。ならいっちょ貼りに行くか、行くぞお前ら!!」
「おうよ!」
団員達はポスターを持って会議室から出ていった。
そして会議室には寝ている俺とトム座長だけになった。
「ロジック君、起きなさい。まだ今日は終わってませんよ」
「はっ。あ、すみません」
俺はトム座長に揺さぶられて目が覚めた。
「さぁさぁ、君もこれを王都の北西区の目立つところに貼ってきてください。それが終わったならゆっくりと眠ってもいいですよ」
「はい。すぐ貼りに行きます」
少しだけ眠ったせいか、スッキリしていた。
やっぱり睡眠は大切だわ。
俺はポスターを丸めて手に持ち、あらくれ劇場の裏口から外へ出た。
「あれ、ティティさん。どうしたんですか?」
先に出ていったティティさんが、なぜかあらくれ劇場に戻ってきた。
「ちょっと財布忘れ。あとそうそう、こっち来て」
「?」
ティティに近寄った俺は頬にキスをされた。
「がんばったご褒美ね」
ふふっと微笑んで劇場に入っていった。
俺は頬を染めて頭をボリボリとかいた。
その瞬間、どこからか殺気が膨らんだ。
背筋がゾクゾクとした悪寒が走った。
それと同時に誰かの視線を感じた。
俺はすぐ周りを見回した。しかし誰もいなかった。
「な、なんなんだ」
ここ最近感じるようになった視線と殺気に、少し恐ろしくなった。
おかげで、額から冷や汗が出てきて、どっと疲れも出てきた。
‥‥‥さっさとポスターを貼って、早く寝よう。
そう思いながら俺は王都北西区へと急いで走った。
俺が走り去ったその後、あらくれ劇場の裏口に、フードをかぶった少女がひょっこりと現れた。
そしてあらくれ劇場を見ながら小さく呟いた。
「‥‥‥あの女、許さない」
マッチの箱を持ったその少女は嫉妬の炎を宿していた。