1.礼子さんとの出会い
彼の名前は葛城裕太。
霊亭高校に通ういたって普通の高校二年生だが、どうやら特殊能力があるらしい…
幽霊は本当に実在するのか、なんてくだらないことを考える暇もないぐらいに俺は充実した高校生活を送っている。夕方五時には学校が終わり、そのまま友達とひたすらにチャリを漕いで帰る。財布が潤っている日にはみんなで夕飯を食べに商店街へ向かう。それがいつものルーティーンだ。
今日は財布が潤っているらしく、いつものメンバーで商店街にあるラーメン屋に行くことにした。
「おい裕太!相変わらずチャリ漕ぐの遅いな」
俺の名前を呼びながら横切って行った金髪男の名前は柏瀬大毅。こいつとは中学校からの仲だが、とにかくうるさいやつだ。しかし、俺が中学一年生の時に先輩に目を付けられ、ピンチになった際に自らの危険を顧みず、助けてくれた頼もしい友達なのだ。
「先に行ってるぞ~」
大毅はそう言い残し、チャリを漕ぐ足を速めた。
さらさらと靡く黄金色の髪が夕日に照らされ、琥珀のように輝いていた。
大毅の姿が見えなくなったころ、俺の左後方からひ弱な声が聞こえてきた。
「あんなに早く行ってもラーメン屋は逃げないのに…」
そよ風の音でもかき消されそうになっているその声は俺の友達から発せられたものだった。
墨屋卓三。昔からかなりのゲーマーで視力が相当悪いらしく、レンズが厚い黒縁眼鏡を常にかけている。俗に言うオタク、というやつだ。
卓三も中学校からの仲で、当時の俺が好きだった「フロッグモンスター」という育成ゲームがきっかけで仲良くなった。
今日は体育の授業があったため、いつもよりおなかが空いていた俺は
「まぁでも、腹減ったよな」
と無意識に口に出していた。
「卓三!俺らも急ぐぞ」
「えぇ…。ちょっと待ってよ~」
俺と卓三は大毅の後を追い、ラーメン屋に向かった。
というように、俺は親友たちとともに毎日充実した生活を送っているつもりだ。だからこそ、幽霊がいるのかなんてことを考える暇なんてなかったんだ。いや、「考える必要がない」のほうが正しいのだろう。
なぜなら、俺にはそれが「視える」からだ。
一般的に幽霊という存在は死者が成仏できず、この世に非物質的な「霊」として留まっている者のことを言うが、まさにその通りである。彼らはこの世に何らかの後悔があるらしく、常にそこら辺をうろうろしてたりする。
例えば、俺は今、卓三と共にチャリを漕いでいる。他人から見るならばこの光景はいたって普通だろう。しかし、俺には"それ"が視えてしまうため、卓三のチャリかごにちょこん、と体育座りをしている全裸のおっさんも視ることができるのだ。もちろん、卓三には視えていないため、目の前におっさんが座っていることなど知る由もない。
誤解されないように一応言っておくが、幽霊が皆、全裸というわけではない。大体は霊になる直前の姿、つまり亡くなる前にどんな服を着ていたかによって、その霊の服装は変わるのだ。おおよそ、このおっさんはお風呂場で亡くなったか、もしくは幽霊になってからわざと脱いだのだろう。
え?なんで俺がこんなに霊に詳しいかって?
それは俺が小学六年生の時…
「おい!お前ら遅いぞ」
一足先にラーメン屋に着いていた大毅は店の前で待っていてくれていた。
どうやら、いつの間にかラーメン屋に到着していたらしい。
この話はまた今度ゆっくり話すとしよう。
さて、たった今ラーメン屋に到着したわけだが、この店のメニューは醬油ラーメンのみだ。
そのため、何も言わなくても席につくだけで勝手にラーメンが出てくるシステムとなっている。
「腹減った~」
「チャリ漕いだ分、余計お腹空いたよ…」
大毅の独り言に対し、卓三がぶつぶつと文句を言いつつコップに水を入れていく。
俺も椅子に座り、ラーメンの完成を待つ。
俺にとってラーメンというのは、好きな食べ物を超え、もはや生き甲斐に等しい。この十数年で数々のラーメン屋を渡り歩いてきた。
ここのラーメンは美味しくないわけではないが、かといって美味しいとは言えない。
正直に言ってしまうと麺の歯ごたえは悪いし、なにより業務用のスープ缶を堂々と使用しているため、もはや安いインスタント麺に近い味になっている。
一人で食べるよりも多数で食べたほうが美味しいというのは本当なのだろう。いかに普通のラーメンでも三割増しで美味しく感じてしまうものだ。
しかし、もっと美味しいラーメン屋があると分かっててもここに来てしまう。今回で六回目だ。
恐らく店主の人柄の良さに惹かれているからであろう。
一見、強面で不愛想な雰囲気だが、話してみるとそうでもない。いや、むしろ優しすぎてびっくりするぐらいだ。例えば、無料で麺を大盛りにしてくれたり、チャーシューを一枚から三枚にしてくれたりする。
「今日の学校はどうだったんだい?」
「特に変わったことはないっすけど、体育でサッカーしてめっちゃ疲れたっす!」
店主からの他愛のない質問に対し、大毅が返事をした。
「そうかい。んじゃ今日は麺大盛りにしとくよ。」
「あざっす!」
「すいません。いつもサービスしてもらって…」
俺は店主のように優しい大人になりたいと思うよ。切実に。
「いいんだよ。君たちから元気を貰えるからね。これはほんの気持ちだと思ってくれよ」
優しい。優しすぎる。目からラーメンのスープが…
「はいよ。中華そばできたよ」
席についてまだ少ししか経ってないが、俺たちの分の中華そばができたらしい。
「「「いただきまーす!」」」
一斉に箸を割る。パキッ、という心地良い音が店内に鳴り響く。
一口目を食べたのは大毅だった。
「んん~っ!うめぇっ!」
うん、そうそう。ここの中華そばは絶品なん…
いや待て、重要なことを忘れていた。こいつが天性の味覚音痴だったことを。
大毅の味覚についての話を始めるときりがない。
例えば、この前行った定食屋では豚の生姜焼きにケチャップをかけて食べていたり、学校の購買でハンバーグ弁当を買った際には常備しているマヨネーズをかけていた。
それにしても、美味しそうに麺をすする大毅を見ていると、逆に俺の味覚がおかしいのではないか、と思ってしまう。
右隣を見ると卓三が何とも言えない顔をしている。やはり自分の味覚は正しい。そう信じよう。
「「「ごちそうさまでした~!」」」
「はいよ。またいらっしゃい」
ラーメンを食べ終えた俺らは店主に一礼し、店を出た。
「んじゃ、俺ら帰りこっちだから!」
「おう、じゃあな~」
大毅と卓三の家は商店街を抜けた先にあるので、ここで別れる。俺は隣町の黒羽町にある自宅に帰るため、チャリを漕ぎ始めた。
ちなみに俺はアパートで妹と二人で暮らしている。妹の名前は留美。現在、黒羽女子高に通う高校一年生だ。最近反抗期に入ったらしく、兄である俺に対し、このクソ兄貴だの、ベンジョムシだの。家に帰ればおかえりやただいまの一言もない。悲しい。おにいちゃんは悲しいよ。
さて、可愛い妹のことを考えてる間に自宅の近辺まで来たらしい。
いつもと変わらない景色。この黒羽町に引っ越してから今年で五年目になる。
俺が産まれてからすぐに父親は亡くなった。だから俺は父親の声を覚えてはいないし、顔は写真でしか見たことがない。写真で見る限りは強面のゴリラといった感じだが、赤ん坊の俺を抱っこしている顔は優しい父親そのものだった。
父が亡くなってから母親は女手一つで俺を育ててくれたが、小学六年生の時にその母はこの世を去った。
皮肉にも父親と同じ肺がんを患ってしまった。俺は神様は信じない主義だが、この時だけは神様を恨んだね。そこからは親戚の間で俺と留美を今後どうするかについての会議が開かれ、祖母の家に預かってもらうことになったらしいが、俺たちはこれを断ることにした。なぜ断ったかという疑問が浮かぶだろうが、その答えに関しては「なんとなく」である。当時の俺は何を考えていたのか。俺たちは極度の人見知りだったし、あまり話したことのない親戚たちのことを怖がっていたのだろうか。ただ、俺たちは二人で暮らしますとしきりに言っていたのを覚えている。
親戚のおじさんは納得できないといった表情をしていたが、最終的には信頼できる知り合いのアパートに住むことを条件に許可してくれた。
家賃が月三万の格安アパートだが住んでみると快適なもので、俺と留美二人分の部屋まである。
キキーッ!ガチャ…
駐輪場にチャリを停める。
今の時刻は午後七時。留美のチャリがないからおそらく夕飯は食べてくるのだろう。
さて、俺は宿題でもやろうかな。
「おいそこの少年!」
「はい?」
後ろから女性の声が聞こえた。振り返ってみると誰もいない。
おかしいな…。確かに声が聞こえたはずなのに。
「残念。正解はここでした~!」
ブッブーという効果音を出しながら足元から半透明の何かが出てくる。
「う、うわ!」
俺はびっくりして尻餅をついてしまった。
地面から出てきたそれは幽霊だった。霊と会話したのは初めてなので動揺を隠しきれない。
「君、私が視えるんでしょ」
「え…。あぁ、はい…」
「やっぱり!」
二十代前半ぐらいだろうか。ひざ丈のタイトスカートにシャツを着ている。
顔はとても美人で、なによりその…胸が大きい。
「あー、いま私の胸見てたでしょ」
「見てましたすいません」
「正直でよろしい」
しまった!動揺していたせいか、正直に言ってしまった。
「私、礼子っていうの。あなたは?」
「えっと、裕太です。苗字は葛城です」
「んじゃ~、裕太君!私のことは気軽に呼んでね!」
いや、待て待て。落ち着け。なんで俺は幽霊と仲良くなろうとしてんだ。
「今日から私、あなたに取り憑くことしたから」
「あ、了解しました」
え?今取り憑くって言わなかったか。この人。
間違って二つ返事でオッケーしちゃったよ。
「待って、今の取り消し…」
その瞬間、目の前に吸い込まれそうなほど綺麗な白い首筋が現れた。
もしかして俺は額にキスをされているのか!?
いや待て、そもそも幽霊って触れることができるのか?
だめだ、思考が追い付かない!
「とりあえずおやすみ。裕太君」
聖女のような笑顔で見つめる幽霊の礼子さん。
何だか意識が遠くなって…い…
草のクッションに凭れるように俺は仰向けに倒れ、気を失った。