剣の花⑦
高級の金糸を束ねたような髪を靡かせた、少女の背中を見上げる。オレよりも少し小さいくらいの、平均的な女の子の体躯が威風堂々と地を踏み締めていたのだ。
その両手で持っているのは、身の丈程もある大剣――相当に重いのか、蒼い刀身は下向いていて、切っ先が地面に食い込んでしまっている。
「……君、は……?」
「アタシですか? アタシは、剣花里桜って言う者です! 正義の名の下に、あなたに助太刀をさせて頂きますよ!」
こちらに顔だけを向け、少女――剣花さんはニッカリと笑った。
「せ、正義……?」
「ええ! 先程、あの悪漢に追われていたではありませんか! あのような悪逆非道を、見過ごす訳にはいきませんから!」
「あ、悪漢って……」
加島の意図をなんとなく察してからでは、その呼称が少しかわいそうだと感じてしまう。
とにかく、あの逃走劇を見ていた彼女は、オレの為にここまで駆け付けてくれたようだ。
オレは残った力を総動員させて、身体を起こして地面に座った。立ち上がる事は出来ないが、ずっと寝転がっている訳にもいかない。
「あ、無理はなさらずとも大丈夫ですよ。アタシがちゃんと、力になりますから!」
「そんな、どうして……?」
「んー……強いて言うなら、アタシの心があなたを助けたいと思ったからですかね!」
切っ先で地面に溝を作りながら、彼女は大剣を構える。地面と擦れた刃が、見た目よりも軽快な音を奏でた。
「……なんだ、お前……! 今、炎を……切った、のか……!?」
「ええ! どうやら、これがアタシの『異彩』のようです! 今初めて知った事ですが!!」
加島の呆然とした問いに対し、少女が胸を張って答えた。
「きっと、風を操るとか、そう言う感じじゃないですかね?」
「……風を操る、か……すげえ力があるんだな……」
呟きに、羨望が入り混じる。加島は火炎放射器を力強く構え、彼女に銃口を向けた。
「……なら、金で買った火炎放射器で、『異彩』に勝ってやる!」
覚悟の叫びと共に放たれた炎が、風を巻き込みながら空を走る。迫り来る炎を見据えて、少女は剣を重そうに持ち上げた。
「よっ、と……さあ、もう一回同じ感じで……『ウインド・スラッシュ』!!」
それっぽい技名を高らかに言い放ち、腰を捻って剣を振り抜く。炎の中心を正確に捉えた斬撃が風をまとい――刀身が、炎に巻き込まれた。
「……あれっ、わっ、わああああっ!??」
炎を切り裂けなかった剣花さんの身体が、剣の重さに引っ張られて明後日の方向に流されていく。これで彼女が炎に焼かれる事はなくなった。一先ずは安心だ。
――うん。それは、確かに良い事なのだが。
「のわあああっ!!??」
彼女の後ろに居たオレは、守られない。慌てて地面を這うように射程から逃げ出し、再炎上の惨劇を回避した。
「あ、あたた……あれ? さっきは身体もしっかり動いたのに……どうして……?」
剣を手からすっぽ抜かした少女が、お尻を突き出して倒れている。めくれたスカートからピンク色のパンツが丸出しになっていて、眩しい臀部がもぞもぞと動いていた。
「……なんだよ、それ……? お前、俺をバカにしてんのか……?」
オレたち二人の酷い光景を見た加島が、殺気を放って佇む。その銃口は、倒れ込んだ彼女の身体に向けられた。
「つ、剣花さんっ! 火炎放射器…………いや、パンツ見えてるよ!!」
「えぇっ!? 何見てるんですかって炎来てりゃわぁあああっ!!??」
オレの呼び掛けに飛び上がった少女が、放り投げた剣を持たずに表情を強張らせる。そのまま、オレの隣に四足歩行で飛び込み、頭から倒れ込んだ。
「ふぎゃっ!? あ、いたた……」
「だ、大丈夫……?」
「え、ええ……でも、おかしいですねぇ……さっきはちゃんと出来たのに……」
砂だらけの顔を擦る剣花さんが自分の手を見ながら、疑問符を頭上に浮かべていた。
「あの、剣花さん?」
「あ、はい。里桜で良いですよ、名字が意味も無く長いですし。まぁ、『剣』の字が入っているのは好ましいのですが」
どう考えてもそんな事を言っている状況ではないのだが、今はリアクションをする時間すら惜しい為、余計な言葉をグッと飲み込んだ。
「……里桜さんの『異彩』って……どんな能力なの?」
「え? いや、たぶん剣から風を出す真空刃的な能力だと思います」
「しんく――えっ、たぶん!?」
「ええ、たぶんです。何分、先程あなたを守る為に出来たのが初めてでしたから。それを再現しようとしたんですが、もう一回は出来ないみたいなんですよねぇ」
「……つまり、偶然炎が切れただけの可能性もあるって事……?」
「アタシの天才的な力がその奇跡を可能にした……その可能性はありますね!」
剣を持っていない剣士が、ピースを作ってオレに向ける。能天気かつ無邪気な笑みに、何も言う事が出来なかった。
助太刀に来たこの少女は、オレと大差ない状況にあるようだった。
「でも安心して下さい! アタシは、あなたを守りますから!」
「どうやって!? 剣だって、あそこに置いて来ちゃったのに……!」
指を差したその場所は、オレたちが居る場所から一〇メートル以上離れている。
「……うむむ……そうだ! その剣、貸して頂けますか?」
「え? あ、はい。安物の片手剣で申し訳ないけど」
持っていた剣を手渡す。大剣を持っていた里桜さんには物足りないかもしれない――。
「うわっ、これ重ッ!?」
「そう、おも――え、ええっ!? そんなに重くはなかったと思うんだけど!?」
――剣を持った手が重力に引かれ、座っていた彼女の身体をべしゃりと沈めた。
「ぐぬぅ……あの『ハリボテソード』と同じぐらい重い……!」
「なんてストレートな名前……って言うか、あの剣そんなに軽いの……!?」
「は、はい……自慢ではありませんが、アタシは何故か必要以上の筋力が増えない体質でして……剣を振るえる程の力を備えていないのです……!」
「そ、そんな……!」
口惜しそうにそう語る里桜さんの表情は、真剣そのものだった。
互いに全力を尽くして、加島に追い詰められている。ある種の親近感を覚えながら、その目に宿る『諦めない心』を強く感じた。
「……里桜さん」
「んっ、何ですか?」
「里桜さんは、剣が重いから振れないの?」
「は、はい……これまでに大剣、西洋剣、東洋の刀剣などなどを手にしてみたのですが、どれも重くてまともな構えが出来ませんでした……!」
もしそうなら、この世にあるほとんどの剣を得物に出来ないのではないだろうか。
「……スポーツとかでは?」
「ええ……さまざまな剣術の指導者にちょっとだけ師事したのですが、どれもしっくりこなくてですね……そもそも、どれも振り回されるばかりだったですし……」
「えっと……それならどうして、剣にこだわるの?」
「何をやってもしっくりこないアタシですが、剣を振る自分ならなんとなく頭の中に描ける――イメージが出来ていたんです。何故か、ここに来てからその映像が凄く鮮明になっていて……今ならどう動けばいいのか、どう剣を振るえばいいのか、手に取るように分かるのに……!!」
――でも、身体が思うように動いてくれないんです。
想像力が豊かで、剣への飽くなき憧れを抱いた少女が抱えた悩みに触れた気がした。
彼女に必要なのは、きっと――。
「……重くない剣をオーダーメイドで作るとか……?」
――彼女の熱い想いに応えられる剣だけだ。
「それが……刀匠の方や鍛冶屋さんにそのお願いをした事があるのですが、ナイフのような大きさでないと軽いものは作れないらしく……」
「……里桜さんが振るいたいのは、ナイフではないって事だよね……?」
こくりと頷いた里桜さん。強いこだわりと、自分の中に持っているイメージを大切にしているようだ。
「なら、自分で作るとか!」
「……自分で、つくる……?」
「そうだよ。この世界にまだないなら、作り上げるしかないと思う……君だけが使える、『剣花里桜の剣』を」
かつて、自分に才能や個性が何も無いと嘆くばかりで、行動を起こせない自分が居た。
けれど、オレは星の輝きを放つ少女に教えて貰ったのだ。
『自覚出来ていない人にも必ずあるのよ。自分だけでは気付けない、輝きが』
――オレを支えてくれた言葉は、彼女が死んだ今もなお、心の中で生きている。
「つく、る……」
この胸に宿った希望が伝播し、目を見開いた少女の心を震わせたようだ。
彼女との思い出が、誰かの希望に変わっていく。それを、少しだけ嬉しく感じた。
「……そんなの……考えた事もありませんでした」
片手剣の切っ先を地面に突き立て、立ち上がった少女は大きく息を吐いた。
「それは、確かに試した事がありません。アタシが何かを作り出せるなんて、思いもしませんでしたから!」
新しい可能性を見付けた少女が、心の限りに叫びを上げる。
「アタシ、やってみます……! ここに、アタシだけの剣を作ってみます!!」
「なっ……なんだ、何が起こってやがる……!?」
オレたちを怪訝な顔で眺めていた加島が、そう息を呑むのも無理はなかった。
剣を両手で握った里桜さんの身体から、大量の蒼白の粒子が立ち込めている。細かな輝きの間には電流が迸り、ぶつかり合う音が耳を劈く。
「一から作るには、何もかもが足りません……だから、元ある剣から作り上げる!」
両手で握り、震える腕で構えた剣に電流が集中する。製造主の理想通りに組み上がり、完成された作品を台無しにする――我が儘なエネルギーが宿っていく。
「で、りゃああああああッ!!!!」
蒼い金属のような素材――マスメタルの結合を無理矢理に引き剥がす。
過剰な電力にかまけた、夢想の実現。迸る火花が剣に悲鳴を上げさせている。
やがて、少女が手にしていた剣は眩い光に包まれ――。
「せい……やぁあああっ!!」
――その白き光の中で、姿が二つに分かたれた。
開かれた彼女の両手に握られているのは、未だに蒼白い電気を宿している二振りの片手剣だった。
「……剣が、増えた……!?」
それは、元の姿と全く同じとは言えない。その剣たちは、新品同然だったものとは明らかに違っていた。微妙に変形をしている上に、左右で対象の形にもなっていない。
それでも、彼女が手にしているのは間違いなく『剣』と呼ぶべきものだったようだ。両手に掲げた切っ先を、静かに上下させて重さを確かめ、里桜さんが満足そうに頷く。
「上手くいきました! 『同じ大きさだけど軽い剣』を、こうして作ってみたんです!」
「それが、君の放つ『異彩』……!?」
「どうやら、そのようです!」
スナップを利かせて、バトントワリングのように剣を器用に振り回す。刀身が描く高速の軌跡で、無地の空が蒼く彩られた。
「ちょっと不格好ですけど……これが、アタシだけの剣なんです。オーダーメイドでも出来なかったのに……頭に思い描いたような軽さの剣が、ここに、確かにあります!」
自分に合った剣を両手で構え、身体全体で攻勢を表す。蒼電の舞う決戦地に、ようやく対等となった戦士が向かい合う。