剣の花⑥
―― ☆ ――
しばらくの逃走の末、オレは人気が無い都市部に出てしまっていた。広場があった中央都市部の超高層ビルに比べれば背が低いが、それでも十分に高い建物が立ち並ぶ。
「……はっ、はぁっ……ぐふっ……!!」
『第四街区』。そう表示された看板を見ながら、舗装された道を走り抜ける。運動不足の身体が息を切らす。普段からランニングでもしていれば、なんて後悔は全く意味を成さない。
「オイオイ、どこまで行くつもりだよ!? そんなに邪魔が入るのがイヤか!?」
後ろに迫る男は多少息を上げているものの、まだ体力に余裕があるようだ。このまま逃げ続ける事は不可能だろう。
(……どこかで、交渉をするしか……!)
勝敗や成績を判断するポイントは明らかにされていないが、相手も条件は同じ筈だ。だからここは身の安全を一番に考えて、話し合いで解決するのが最もベターな選択だろう。
走っている内に見付けた、遊具の無い公園のような広場に駆け込み、その足を止める。
「……成る程な。確かに、お前がここに誘いたがった理由は分かったぜ」
「げほっ、ごほっ……いや、全くの偶然ではあるけど……」
きめ細かな土が敷かれた、キャッチボールなどのスポーツをするのに適していると思われる場所で息を整える。滲んだ汗を拭い、追い掛け続けて来た彼に向き直った。
「こんなにお誂え向きな場所を知ってたら、そりゃあここで戦いたいって思うよなあ……」
感心したように周りを見回した彼が呟く。開けた場所にあり、障害物も少ない。まさに、『決闘をしよう』と誘う為に用意されたような舞台だった。
「お前、どうやってこの場所を知ったんだ?」
「ああ、いや……そう、入学案内のパンフレットに書いてあったような気がしたんだ!」
咄嗟に出て来た嘘だったが、伊田先生の言っていた事を信じて賭けてみた。
すると彼は「ほー」と間の抜けた顔をして信じてくれた。事前に説明書などを読まないタイプらしい彼は、広場に立っている謎の装置に近付く。
「じゃあ、これはなんなんだ?」
「さ、さあ……そこまでは書いてなかったけど……」
「ふーん……あ、でも『自動販売機』って書いてあるぜ! 丁度いいや!」
マスカを取り出した彼が円柱型の機械を迷いながら操作している。悪戦苦闘する彼から目を離さずに、近くにあった同じ装置に手を触れた――。
『自動販売機 飲食物・装備品』
――その瞬間、身の危険が大きくなった事をつぶさに感じていた。
「お、おおお、おおおおっ!!?」
向こう側の自販機がガシャガシャと音を立てて変形し、外側の円筒がずり下がる。
一連の光景の後――彼の前には、大きな銃口を持つ重火器が現れていた。ここまで状況が揃ってしまっては、好戦的な彼が大人しく引き下がってくれるとは思えない。
逃げて来て、安全な交渉をする為に導いた場所が完全な決戦地だった。運が悪いと言うか、全てが悪い方向に転がっているとしか考えられない程だった。
「……そんな事言っても、仕方ないか……」
――それなら、やるだけやってみるしかないのかもしれない。これ以上下手な事をすれば、さらに状況が悪化する事だってあり得るのだから。
自販機の画面を操作して、武器の一覧をザッと確認する。剣や銃器、槍などのさまざまな形のものがある。高額なものでは火や雷など、特殊な性能を持っている武具があった。
一瞬だけ悩んで、結局一番安い武器を選択。彼の選んだ武器の値段もちらりと見えた気がする――性能が恐ろしい事もさる事ながら、相当に高価なものだった。
支払い画面でマスカをカードリーダーにセットしてみると、最初から与えられていた資金で支払いをする事が出来たようだ。
「うわっ……!!」
決済が終了すると、その装置が変形し、彼の前で繰り広げられた光景が再現される。
円筒型の外側が無くなった際に見えた、蒼く光る剣の柄を握った。
「お前が選んだ武器は普通の剣か! 成る程、自分の『異彩』に自信があるって事だな!」
「……さあ、どうだろう。そうだと良いんだけど……」
「考えるまでもねえって事か! イイねえ、俄然燃えて来た!!」
挑発をするつもりで言った言葉ではないのに、何故か彼を焚き付けてしまった。
息巻いた彼が重火器を構えて近付いて来る。剣を構えた経験なんて一度も無いが、オレは両手で柄を握り締めた。
「そう言えば、お互いに名乗ってなかったよな! 俺は加島力人だ!」
「……ハルカって言います」
「それじゃ、始めようぜ――ハルカッ!!」
加島は銃器を片腕で構える。反対の手をかざし、オレの足下に照準を定めた。
「……フンッ!!」
燃える目が見開かれる。その貫くような視線に乗せられた、蒼白い光が背筋を凍らせた。
(……今のが、『異彩』……?)
オレは未知の存在に触れ、身体に力を込めるばかりだった。何かが起こる事は間違いないのだが、どう対処すれば良いかが即座に思い付かない。
「ボーッとしてていいのか!?」
「っ……!!」
銃口がオレの身体を射貫く為に上向く。そこまで危険が差し迫って、ようやく身体が回避に転じた。全力で後ろに飛び退き、たたらを踏みながら後退する。
「――発射ッ!」
彼の引き金が引かれると同時に、橙色の光が溢れ出した。煌々とした輝きが体積を増やしながら、熱波と共に迫り――つい先程まで立っていた地点に火柱が上がった。
「やっぱり、火炎放射器か……!!」
「おうよ! マスカに入ってた金だと大分足りなかったが、後払い決済で買えたぜ!」
「そんな機能があるの!?」
意外な新情報に驚きを隠せない。顔に熱風を感じる程の距離で炎が燃え続けているが、いくつもの未知に踊らされている事を自覚する。
そして、異変に気付く。彼は既に銃口から炎を迸らせていないのに――。
「――地面が、燃えている……!?」
「そうさ! それが俺の『異彩』――『発火促進』だぜ!」
「『発火促進』……つまり、モノを燃えやすくする能力って事か……!」
「……お前すげえな! 名前だけで分かるのかよ! 俺ですら、壊しちまったあの装置で初めて効果を知ったってのに!」
「いや、そこまでストレートな名前と能力だと、誰でも分かるんじゃ……?」
(……と言うか、伊田先生が直していたあの装置は加島が壊したのか……でも、アレが使えれば、『異彩』の効果を知る事が出来るみたいだ)
砂地のような地面が燃えている光景に注意が削がれる。火元からは微かに蒼白い電流が上がっていて、やや幻想的な光源となっていた。
モノを燃やす能力ではなく、モノを燃えやすくする能力に留まってはいるが、彼の持つ火炎放射器によってその『足りない部分』は補われていた。これがサステナ・カレッジでの戦い方――『異彩』の正しい放ち方なのだろう。
オレの居た場所の地面だけが燃焼をし続けている。先程浴びた波動は、オレに向けられていたのは間違いない筈であって――。
「そらっ、次行くぜえッ!!」
――つまり、直撃すれば、オレの身体は燃え続ける事になる可能性だってある。そうなってしまえば、良くて火傷、悪ければ命にだって関わる大惨事に繋がってしまう。
「うおわあああっ!!??」
向けられた銃口。吹き出す炎を避ける為に地を蹴った。
火炎放射器を構える加島と距離が詰まらないように走る。彼を中心に置き、円を描くように身体を滑らせ続けた。
(……でも、そんなに持たないぞ、これ……!)
ここに来るまでの全力疾走のせいで、既に足は軋んでいる。いつまで体力が続くかも分からない緊張が心臓を締め付けた。
数分か、数十秒か。痛む肺と筋肉は、今にも立ち止まる事を求めて悲鳴を上げている。
それでも、足を止めてしまえば焼け焦げてしまうのだから、走り続ける。
今は、駆けるしかないのだ。
「うっ、ぬっ……! ちょこまか動き回るなっての……!!」
火炎放射器の扱いに不慣れな加島は手元を狂わせ、あちこちに炎を噴射していた。
炎の吹き付けられる地点とぶつからないように、加島から目を離さず駆け抜ける。少なくとも、これで直撃は避けられる筈だ。
(……なら、多少の無茶は出来る筈……!)
逃げ回っていても、いたずらに体力を消費するばかりで、危険は遠のかない。オレは覚悟を決め、徐々に加島と距離を詰め――火炎放射器の狙いが定まらない内に飛び掛かった。
「――うりゃああああッ!!」
「チッ……!!」
甲高い音を上げ、武装同士が衝突する。振り上げた剣先が描いた蒼線は加島に届かず、火炎放射器の厚い銃身に遮られた。
「ハハッ……やるなあ、ハルカ!」
こちらの手を痺れさせただけの一撃を押し返され、オレは身体ごと弾き飛ばされた。
転がるように体勢を整え、どうにか立ち上がる。剣を杖にしながら、痺れた手を振って痛みを誤魔化した。
「細っぽい見た目なのに、随分ケンカ慣れしてるじゃねえか! 今のはマジで震えたぜ!」
「……ケンカなんてした事ない。ただ、自分がケガしない事だけを考えただけだよ」
「随分余裕じゃねえか……! だが、最高のチャンスでも『異彩』を使わなかったのは、温存をしているからなのか?」
――それとも、俺を試しているのか?
攻撃を受けても、顔色一つ変えていない加島が目を細める。再び空気が震え、地面全体に電流を迸らせる。広場を覆う程に大きなフィールドが展開された。
「これなら、どうだ? どこに逃げても、次は燃やすぜ……!」
炎を恐れない男が、銃口から噴いた炎に顔を寄せて鋭い眼光を放った。
「……っ!?」
睨み付けた視線に身体が竦むが、直後に聞こえた火炎放射器の稼働音で我に返った。
放たれた赤い流線から避けるように逃走する――緊張状態での疾走が続き、オレの身体が一際強い悲鳴を上げた。
「……っあっ!!」
足がもつれてしまった。迫り来る炎の壁と保っていた、速度の均衡が崩れる。
――身体が、止まった。転がった地面に足を取られ、再び走り出す事も叶わない。
銃口から吐き出された炎が広い範囲で燃え続け、上昇気流を発生させている。ごうごうとうるさい程に吹く風が、横たわるオレの髪を揺らし続けた。
全体が燃えるようになった地面でも、延焼はしていない――その状況に今は救われていても、銃口がこちらに狙いを定めている事実は変わらなかった。
「燃えろッ!!」
――無様に転がる、『異彩』を放てない無力な身体が炎に包まれた。
「ぐっ……ああ、あああっ……!!」
――視界を、炎の波が覆った。身体を熱波が這い回り、まとわりついて焼き焦がす。
「がっ、あっ……っ……あああっ!!」
前後不覚の炎の中。焼き付ける地面の上をどうにか転がり、外気に触れる事を許された。
熱にやられた表皮が、砂と擦れて強い痛みを生んだ。内側にも響く痛みと、風を冷気と誤認するような火傷が身体を蝕む。
(……あの能力、人自体には効かない、のか…………)
危惧していたような、身体が燃え続ける自体には至らなかったのは不幸中の幸いだった。
――しかし。
「……身体が燃えても、『異彩』は使わねえってか?」
引き金に指を掛けたまま、銃口がこちらに向けられる。
明確な危機を感じているのに、転がる力すら残っていない。
人体には作用しない『異彩』だとしても、標的が乗る砂地を燃焼させる事は出来る。
「……信じるぜ、ハルカ。俺は、勝ちを譲られて喜ぶタイプじゃねえんだ……俺の『異彩』が特別ショボいワケじゃねえって、教えてくれよ……!!」
縋るような視線。震える声音。その心の叫びに、彼が模擬戦闘を仕掛けて来た理由の片鱗を感じ取った。
そう言えば、彼は……ゲートの前で見た彼と同一人物の筈だ。この学園での生活に大きな期待を寄せていたように見えた。もしかしたら、その『異彩』は――。
『確かに、人生って思い通りにならない事ばっかりよね』
――ふと。その美しさが色褪せないように、記憶の奥底に仕舞った思い出が蘇る。
『でも、だからこそ、人って頑張れるんだよ。理想に近付きたいって、願うから』
身体は動かない。でも、手を強く握って――訪れる未来から、目を背けない。
『――アナタが頑張りたいと思えるものだって、きっとすぐに見付かるわ』
視界の奥で蒼白の電流が生まれ、身体の外に放たれた気がした。
「これで、終いだあ!!」
引き金が引かれる。銃口から漏れ出た輝きがオレに襲い掛かった。
「……っ!!」
視界が炎に包まれる。高熱が身体を焼き焦がす。再び、文字通りの焼ける痛みに晒される――その筈だった。
「……ふぅっ! ギリギリで間に合いました……大丈夫ですか?」
確実に見えていた未来が、突如として斬り開かれる。断ち切られた炎の残滓が放つ、淡い光――それに乗せて、金色の煌めきが目に飛び込んで来た。