剣の花②
大門の下部に位置する場所にあったのは、入校管理室と呼ばれる場所だった。
近未来的で金属質な部屋には、さまざまな装置が置かれている。この関所のような場所で、検査や試問を行う為なのだろうか。
「ん? ようやく次が来たか。なかなか次の子が来ないと思って、手持ちぶさたで作業を始めてしまってな……取りあえずそこに座って待っていてくれ」
装置の一つを弄っていた、美しく長い髪を伸ばした女性が口を開いた。
オレは案内されるがままに、部屋の中央にあった机に触れ、椅子に腰掛ける。蒼い素材で出来たそれは、触れると少しひやっとしている。金属に近いモノのように感じた。
「……ふむ、こんな所か。すまない、待たせたな」
理知的な気配を滲ませるその人は、ヒールの音を高く鳴らして机に近付いた。
「いえ。オレが遅れたせいみたいですし、そんなに待っていませんから」
「そう言ってくれると助かる。あまり、じっとしているのが得意ではなくてな」
白衣を来た、研究者らしい姿の人が、そんな『らしくない』事を呟いた。
「私は、この施設で研究員と教員を兼任している伊田と言う者だ。縁があればそれなりの付き合いになる。よろしくな」
伊田先生は、オレと向き合うように席に着いて咳払いをする。香水だろうか、揺れた髪から漂う花の香りが鼻腔をくすぐった。
「さて。入学案内に記載されている事だが、確認するぞ」
伊田先生は神妙な面持ちで、オレの目を覗き込む。
「――君が持つ、『最も秀でた才能』を失う覚悟は出来ているか?」
そして、この場所に足を踏み入れる事の心意気を問う。
「これは、口頭での説明が義務付けられている。知っていたとしても、もう一度よく聞いて欲しい――」
やや仔細に話をした伊田先生の説明を要約すると、こうなる。
――サステナ・カレッジでは、開発された『劣化因子』を身体に注入する事で、その人間の持つポテンシャルを分解する。
その標的となるのが、『最たる才能』と呼ばれるもの。
『最たる才能』。それは、人間が持つ『最も伸び代と可能性を秘めた才能』の事。
それを劣化させ、二つ、或いはそれ以上の数の、物事をやや得意に感じる才能である『量産才能』に変化させる。
『量産才能』は非情に単純なものである為、即座に使いこなせるようになるらしい――。
「――そして、『量産才能』に起因した能力が発現するのも、ここの特徴だ」
「……それが、『異彩』と言う事ですか?」
「ああ。どんな能力なのか、どれ程の力を有しているのか――発現してみないと、その詳細は分からない。それは、例え『最たる才能』を自覚していたとしても変わらないのが今の所の定説だ」
「今の所、ですか?」
「『量産才能』に分かれる際に、元の才能がどう分解されるかの研究も、まだデータ収集の段階だからな。要は、データベース上では同一だと分類される『最たる才能』を失ったとしても、『量産才能』、そして放つ『異彩』は全く異なる場合もある」
――つまりは、人によりけりと言う事だ。伊田先生は、重要な欠点を淡々と述べていく。
まるで、それが当たり前だとでも言うように。
「……このような開発段階の技術に、自分の未来を任せる事が出来るか?」
「そう言われると、ちょっと不安に思わなくもないですけど……」
「それはそうだろうな。まさに、何が起こってもおかしくないんだよ、この研究は」
机に肘を突き、口元に指を寄せた色っぽい仕草に、一瞬だけ目を奪われた。
「――それでも、入学を希望するのか?」
その、真剣な眼差しに射貫かれる。惚けた気を引き締めて、もう一度自問した。
「……はい。オレには、これといった才能と呼べるようなものはありませんし……」
しかし、それはこれまでに何度も考えた事だった。その度に、いつも同じ答えに辿り着いている。
だから――彼女の問いに頷く。
「実力が求められる社会で手に職を付ける為には、優秀ではなくても目に見える形の才能が欲しいので」
自分の力で生きていく。その覚悟と実力を周囲に伝える為には、サステナ・カレッジに入るのが一番手っ取り早いと思ったのだ。
「……それなら、もう一度考え直した方が良い。今なら入学を取り消す事が出来るからな」
しかし、オレの言葉を聞いた伊田先生は頭を振って目を細めた。
「どうして、ですか?」
「君が今、才能を自覚出来ていなかったとしても、将来的には開花する事だってある。『劣化因子』を注入すると言う事は、その可能性を失う事になるんだぞ?」
伊田先生の気遣うような言葉に面食らう。入学者数を制限しない校風は、誰しもを歓迎するかのように見えていたが。
「……えっと。先生は、この学園に入学するのは良くない事だと考えているんですか?」
「……答えづらい質問だ。少なくとも、ここの研究員と言う立場ではな」
机上を指で叩きながら、彼女は目を閉じて眉を顰めた。
「『劣化因子』によるリターン――『量産才能』や『異彩』の獲得は確実なものだ。しかし、基本的には支払う代償の方が大きい。その損益は、決して等価交換とはいかないんだ」
「あ、それ……確か、入学案内にも書いてありましたね」
空っぽの頭で読み込んだ内容と、聞いた言葉が合致する。
確か、『劣化因子』がものを分解する際には少なからずロスが発生してしまい、手に入れた『量産才能』を数値化し、その全てを足しても原型の才能には及ばないのが定説だとか。
「珍しいな。最近の子は、こう言った冊子を配布しても読まない事が多い。つい先程も、『そんな事は初めて聞いた』と脳天気な事を言っている子が居たよ」
「あはは……でも、それだけサステナ・カレッジが信頼されているという事なのでは? 何せ、国が運営に関わっているんですし」
国が決めた事なら、そう大きく方針を間違えているという事はないだろう。そんな、曖昧な判断は多くの人が持っていてもおかしくない。そう言うオレも、その内の一人なのだ。
国立研究開発法人であり、国が出資している施設。その事実が信頼性を保証しているように感じられるのは、決しておかしな話ではない。
「……まあ、そう捉えるしかないのかもしれんな」
げんなりとした伊田先生が大きな溜め息を吐いた。
「伊田先生は、なんかこう、アレですね……オレがここに入学する事に対して、随分乗り気ではないと言いますか……」
「君だけじゃない。ここに進路を決めた子たち、全員の未来を憂いているよ」
何故ここの職員として勤めているのか。そう思わざるを得ない言葉が漏れ出ていた。
「……失った輝きは、もう二度と戻らないんだぞ?」
「……それでも、今よりはきっとマシな筈ですから」
才能が、最も輝ける未来が、全く惜しくない訳ではないけれど。無個性が個性と言えるような人間で終わりたくはない。
現状では誇れるような才能もないし、芽吹くような気配もない。そんな状況の中で、悠長な心構えで居たくなかったのだ。
『確かな未来を、確実に掴み取る』
サステナ・カレッジの、その堅実なキャッチコピーに惹かれた。不確かで見えない未来への不安と期待を、一緒くたに排除する事を決めた。
生命を存続させて、『彼女』との記憶をこの世界に残せれば、それで良い。
だから、その開かれた戸口に向かって歩を進めて来た。こうして伊田先生と向き合い、その慎重な考えに触れても、意思が変わる事はない。
「今よりマシ、か。君たちは、口を揃えてそう言うな」
――そう言わせてしまうのは、私たちなのだろうが。先生は頬杖を突き、そうぼやいた。
やがて彼女は観念したようにタブレット型の端末を取り出して、画面を表示する。
『サステナ・カレッジへの入学に係る同意書及び誓約書』
手渡された文面をザッと確認する。口頭で忠告された事項を全て受け入れ、学園側は一切の責任を負わない事。そして、学内で知り得た情報の漏洩を禁止し、違反者は『国』が厳重に処罰する事――それらに同意する為の署名画面だった。
「……内容に異存がなければ、そこに名前を入力する事。その名前は入学生名簿に記載されて、学生証がすぐに発行される――元々送られていた願書データと紐付けてな」
「分かりました……あの、これって、自分のフルネーム以外の名前でも良いんですか?」
「……なんだって?」
「例えば……そう、ニックネームとか?」
呆気に取られた伊田先生が、間を一つだけ置いて、取り出した手帳を確認する。
「……ああ、問題はないな。本名以外での入学を禁止する事項は、規則のどこにもない」
「それは良かった」
オレは既に決めていた自分の呼称を、カタカナで入力する。画面を覗き込んだ彼女が難しい表情を浮かべて唸った。
「……恋人の名前か?」
「まあ、似たようなものでしょうか?」
「ふうん。でも、何処かで聞いた事がある名前だ……と言っても、別段珍しくない名前だから当然か」
肩を竦めた伊田先生に対して笑みを見せ、オレはタブレット端末を彼女に返した。
「でも、こんな事を聞いて来た子は流石に初めてだな」
「IT時代の今、電子画面での偽名使用なんて珍しくないようにも感じますけど」
「ばかもの。大事な場面で本名以外を使うなんて、異例中の異例だと言っているんだ」
呆れ混じりの声で窘められ、再びタブレット端末が差し出される。オレはそれに対して首を横に振った。
「……強情だな。君ならきっと、その才能を開花させる未来も遠くないと思うが」
「いつになるか分からない不確かな未来じゃ、ご飯は食べられませんし」
「大人なんだか、子供なんだか。とにかく、変わり者だって事は分かったよ――ハルカ」
画面に表示された名前を読み上げられ、オレは頷く。紫のマニキュアで彩られた指がデータを送信し、その名を学園に刻んだ。
「ようこそ、サステナ・カレッジへ。君の不安を取り除き、確実な未来を、今ここに」
用意されていたような言葉と共に、仰々しいケースから取り出されたのは、カプセル剤とプラスチック製のアンプル。そして、注射器の細い針が照明に照らされた。
「消化器と血管から『劣化因子』を注入して、君の『最たる才能』を分解・劣化させる。注入直後は目眩や嘔吐などが起こりうる可能性があるから注意しろ」
「……分かりました」
手渡されたカプセル剤を飲み下し、片腕の袖を捲る。
「一応医師免許は持っているから、安心して欲しい。注射は好きか?」
「いや、あんまり好きでは……」
「そうか。私もあまり好きじゃないから気持ちは分かるが、我慢しろ――これは、『君が自分で選んだ道』なんだから」
心を、言葉が――肌を、針が突き破り。熱い何かが、心身に注がれていく。
期待と不安。その振れ幅が一番小さく済む道を選んだと言うのに、感情が揺れ動く。
どこまで突き詰めても、この世界には完璧なものなんてないのかもしれなかった。
それから数分が経っても、身体には特に変化が見られない。少し身体が熱を持っているような気がしないでもないが、視界も良好で、気分を害する事はなかった。
「君は特に問題なさそうだな。たまに、手足がしびれて動けなくなる子も居るのだが」
「そ、そうなんですか!? 先に言って下さいよ、そう言う事は!」
「大丈夫だよ。この段階で死にかける子なんてあんまり居ないし」
「さっきからなんかこう、微妙な可能性が示唆されているのはいったい……?」
「気にするな。今こうして会話が出来るって事は、君には関係のない事だからな」
「そう言う、ものなんですかね……?」
「そう言うものだよ。特に、自らの大きな可能性を閉ざす事に比べれば、些末な事だ」
伊田さんは頬を歪ませて意地悪な笑みを浮かべる。その恐ろしさに肝を冷やして、自分が危ない橋を渡っていた事に気付き始めた。
そして、後戻りが出来ない為に、これからも危険な生活が続くのだ。それを助けてくれるのが、すぐに使える『量産才能』や『異彩』の筈なのだが……。
「あの……これで本当に『量産才能』が作られたのか、半信半疑なんですけど……?」
「『量産才能』と『異彩』を自覚するタイミングは人によるからなあ。まあ、いずれは否が応でも自覚せざるを得ないから、大丈夫だろう」
「……えっ?」
意味深な言葉を綴った伊田先生は、ペンでタブレット端末に何かを書いていた。
「……これでよし。さあ、その扉の先からは今までの常識を覆す世界が広がっている。文字通りの新世界と言う奴だ」
「……新世界……ですか。そう聞くと、やっぱり期待してしまいますね」
不安は尽きないが、まごついていても何も解決しないのだろう。それこそ、これまでの生活と同じで、前に進む選択が必要になる時がある。
すぐ近くに感じていた星の輝きを失い、全てが色褪せてしまった世界を生きる為に。
「……そこに、望んだものがあるとは限らないが、ね」
彼女の引き留めるかのような言葉を背に受ける。
それでもオレは扉に手を掛け、新たな世界への一歩を踏み出した。