優秀種⑧
普段はあんなに頼もしく聞こえる筈なのに。震え、掠れた声が、風に掻き消されそうになりながら耳まで届いた。
『こんな、どうしようもない剣でよければ……存分にお使い下さい……!』
彼女は確かに、そう言っていたけれど。
――でもオレは、君を『使いたい』訳ではない。だから、あの時も断ったのに。
「あなたが、振るえる筈の剣を持たずに、そうやって……自分の拳を痛める事。それをなんとも思わない……冷徹な、ただの鉄塊だとお思いですか?」
「っ……!!」
その言葉が、刃物のように胸を差した。ずぶずぶと突き込まれるそれは、心から独り善がりな気遣いを溢れさせ、地に零していく。
「剣とは、心で振るうものです。だから……どんなに無茶な使い方をしたとしても、愛情を持っていない事にはならない……アタシは、そう思います」
それは、人であり、剣である。
「……それが出来ると思ったあなただから、アタシは『剣』を捧げると誓いました」
これは、人の心を持ちながら、剣の如き意思を持つ――剣花。
「――大事に使うッ!! あと少しだけ、無茶をお願い!」
「っ……はいッ!!」
剣を手にする覚悟を決める。非力なオレ一人が息巻いても――『彼女が守りたいと思ってくれるもの』までは、守れないから。
振り上げた拳を握っていては、剣の柄は握る事が出来ない。だから、握り締めた拳を解き、手を開いた。
星乙女がその焼け焦げた手を慈しみ、覆うように触れる。身体が許容出来るだけの『細胞電子』に包まれ、痛みが治まった気がした。
「里桜!! 二人の力で、オレたちを守る!! それだけは忘れないでくれ!!」
「……まったく……優し過ぎますよ、ハルカさんはっ!」
倒れ伏せていた筈の里桜が夕闇に飛び出す。全身の至る所から血を流し、衣服を泥で汚した――気高き剣が、宙に舞った。
その姿を見せられて――傷付いてしまう君を見て――何も思わないと思うのか。
「……ごめん! でも、いつも、オレだけが守られる訳にはいかないよ!!」
「……ああー、えぇ、もう……分かりました、合点ですよッ!!」
里桜は両手に持っていた、折れてしまった片手剣の柄を猪の顔面に向かって放り投げる。その破片は込められた『細胞電子』に耐え切れず、猪の眼前で炸裂して眩い光を放った。
「ブアアアアアアアッ!! ボホッ、ゴオオオオオオオッ!!」
突然の閃光。猪が残った片目を眩ませたその隙に――里桜は、オレが投擲して弾かれてしまった刀剣を、空中で掴んだ。
「『双製四散』ッ!!」
自らを包む蒼白の光を剣に伝える。自分の腕であり、身体の一部であると示すように。
「ぐぐ――ふんっ!!」
体毛にぶつかり、刃こぼれをしていた蒼刃が、二振りの刀剣となってその手に収まった。
「ハルカさんっ!! さっきの剣を動かしてた力を、アタシに!!」
里桜は剣を振って空中で回り、頭部を暴れさせる猪と向き合う。その身体から『細胞電子』を過剰に発生させ、手にした刀剣に充填していく。刀身から、激しい蒼雷が迸った。
「分かった、行くよ里桜――『星天の反響』ッ!!」
手にまとった全電力を星乙女に供給し、歌声を響かせた。
「おっ、わっ、わぁああああっ!!」
電気で出来た喉の旋律は、空に反響して里桜の持つ二刀に干渉。その持ち手ごと、猪に向かって斜めに『落下』した。
「ブホアアアッ、ブギャオオオオオオッ!!」
猪が憤怒に吼え、四肢を膨らませて滾る。その牙を激しく暴れさせ、上下に振り乱した。
運命を操作された剣を握る少女が、その牙の方へ――悪い結果へと『確実に』引き寄せられていく。
「電力が足りない……っ!? 里桜ッ――!!」
避けろ。危ない。気を付けろ。そんな気遣い――他人事の言葉が溢れそうになる。
その運命を導き、窮地に追い込んでいるのは自分だ。今、オレが彼女に掛けるべき言葉は――ただ一つだけだ。
「――君の力を、信じる!! だから、その運命を斬り抜けてくれッ!!」
「ええ、信じて下さい! この剣で、必ず――うりゃぁあああああッ!!」
里桜の蒼刃が光を発し、二本の軌跡を描く。跳ね上がる直前の予備動作――瞬間的に深く沈んだ牙に刃を重ねた。
――鋭く、硬質な『擦れる音』が短く響く。里桜は空を滑る速度を殺さず、跳ね上がった牙に自分の身体を弾き飛ばさせていた。
「『穿刺・閃雷』ぉおおおおッ!!!!」
上方に吹き飛ぶ力を利用し、二刀の切っ先が稲妻のように頭部に突き刺さる。発光する刃が両の眼孔を抉り、頭部の深い部分まで穿った。
「ガボホッ……ボッ……ブオオオオオ……!!!!」
猪は、巨大な身体を司る脳に雷電の二刀一撃を受け――横たわるように地に伏せた。
「や、やった……!!」
「――良い勝負でした、猪さん」
里桜は身体を回転させて着地する。躍るように剣を振り回して血を払い、深く礼をした。
「里桜ッ……大丈夫……!?」
『天星哀歌』の発現を止め、里桜に近付く。
「ええ。無傷とはいきませんが、この通り、死んではいませんし」
駆け寄ったオレに、『細胞電子』をまとったままの身体をくるりと回して見せた。痛々しくも、最悪の未来とは異なるその姿に安堵の息が漏れる。
「……良かった……」
「……ハルカ、さん……」
血と泥にまみれた肩に、火傷で腫れ上がった手を置く。里桜は顔を歪めて――震える両手で、オレの手に優しく触れた。
「…………もっと、自分の身体を大切にして下さいよ。アタシを使って、ボロボロにしたって良いんですから……!」
「……そんな事、オレに出来ると思う?」
意趣返しをするように、そう問い掛ける――。
「……出来ないでしょうねぇ。お互いに人の事は言えないんでしょうね、アタシたちって」
――諦めたように、彼女は応えた。
分かり合っているようで、分かり合えていない。譲歩をするのも、相手の気持ちを汲む程度の所まで――だが、それがオレたちの正しい距離感なのだろう。
「……いつもボロボロだね、オレたち」
「えへへっ、そうですねぇ……見事にボロボロですよ……」
里桜はそう呟いて、剣を仕舞う。『細胞電子』の光が消え、草原を星だけが照らしていた。
「さて……これから、どうしようか?」
「……アタシは、今すぐ寝たい気分なんですが……頭がくらくらして、死にそうで……」
「そっか、死にそうか……えっ!? り、里桜、血が凄い事になってるよ!?」
「あぁ、どおりで……視界がぼや……ぴゃぁ……」
「り、里桜――ッ!?」
里桜の顔色が、『細胞電子』のように蒼白になっていた。オレは慌ててスマートフォンを取り出し、登録された連絡先の一つに電話を掛けた。
「あ、ゆ、癒羽先輩ですか!? はい、ハルカです……すみません、里桜が死にそうなので助けて下さい!!」
自分に出来ない事を誰かに頼る。それは、誇れるような事ではないのかもしれない。
しかし、何の結果も出せずに後悔して終わるより、ずっと良い結果に繋がる――そう教えてくれた人が居る。
『誰かに愛される事も、誰かが力を貸してくれる事も――その人の立派な才能なんだよ』
――また一つ、思い出す。また一つ、身体の中に大切な言葉が刻まれた。




