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優秀種⑥

  ―― ★ ――


「……うっ、んっ……?」


 痛む身体と、身体に染み付いた泥の臭いに、意識が呼び戻される。


(……たしか、アタシ……ハルカさんと一緒に……)


 ――聞こえた、地面を抉るように踏み鳴らした音で全てを思い出す。


 霞む視界に、里桜は見据えた。血走った目が、人を軽々と貫ける牙が迫る光景を。


「――っ……」


 けれど、動けなかった。指の数本は動かせても、身体には力が入らない――振り払われた衝撃に耐えられなかった節々が、微かに軋むばかりだった。


(……ごめんなさい、ハルカさん……一緒に組んだアタシが、こんなに打たれ弱くて……こんなに、力が足りなくて……)


 無力を痛感し、屈辱を噛み潰す。傷だらけで倒れるのは、これが初めてではなかった。


 剣花里桜は、幼少期から正義感の強い少女だった。弱い立場に置かれるものを見れば、一方的に加虐する強者に我流の剣を振るうような子だった。


 いつも、いつも。来る日も、来る日も。それが日常で――その無謀が、当たり前であるように振る舞い続ける。そしていつも、握る剣の重さに身体が耐えられず、空回りをする。それを繰り返している内に、いつしか里桜は最弱の立場になっていた。


 しかし、自分が許せないものには果敢に立ち向かい続けた。そこに悪と感じるものがある限り、重過ぎる剣の柄が手の平を傷付けてもなお――強さの象徴を握り締めた。


 ――アニメで見た剣士が『カッコ良かった』から。漫画で見た剣士に憧れたから。そんな、空想と現実をごちゃごちゃにした日々を送り続けた。やがてその弱さは、誰もが見向きもしない域に達する。温かい、或いは蔑む目で見られるばかりの存在になっていた。


 ――触れない方が良い。目に入れない方が良い。相手にするだけ、時間の無駄だから。


 靴に登った蟻のように、軽くあしらわれる。服に付いた埃のように、片手で払われる。


(……アタシ、は……弱い……)


 弱くて、弱くて。でも、心だけは弱くなかった。力の足りない身体に、正義を貫く事ばかりが先走る心。ちぐはぐで、強くなれる筈がない生き方をして来た少女。


 叩かれ、辱められ、嘲笑われ。それでも、不屈の正義心を抱き続けた。


 ――カッコ良い自分を、諦めたくなかった。


 悔しかったかと問われれば、惨めだったかと問われれば――頷かざるを得ない。悪に屈するばかりで、信じる正義を貫けず――ただカッコ悪い姿ばかりを晒していたのだから。


 ――そんな自分を変える為に、確実に手に入る力を求めた。サステナ・カレッジに入学すれば得られると聞いた能力――『異彩』。それに、全てを賭けたのだ。


(けど……アタシは、まだ……弱い、まま……)


『劣化因子』を抽入する際に、里桜は初めて知った。『最たる才能』――自らの最も輝ける未来を失う事になると。


 迷った。今すぐに強くなる為に、将来手にするかもしれない『カッコ良さ』を諦めなければいけない可能性に気付いたから。


 ――それでも、この道を選んだ。


 敗北に塗れた人生を少しでも早く変える為に。正義を貫けなかった自分を超える為に。




(…………なりたい……!!)




 ――そして、その先の未来で出会った。


『君の力を、オレに貸してくれないか?』


 自分の力を必要としてくれた人が、ここに居るから。自分に力を貸してくれると言ってくれた人が、ここに居るから。


(……ハルカさんの為にも……!! アタシは――)


 手に収まったままの、折れてしまった剣の柄を握る。目を瞑って、『カッコ良い』自分を妄想する。怪我を負っていても動き続ける自分の姿を、精彩に思い描く――。


 ――だが、残酷な運命と言うものは、その奇跡を待たずに訪れる。


 その瞬間まで、もう数秒も掛からない。その牙が里桜の身体を貫く未来は、瞬きを一つ挟む余裕すらなく訪れるだろう。




「――アタシは……カッコ良くなりたいんです!!!!」




 地面に横たわるばかりの少女が、目に涙を溜めて叫ぶ。


 無様でもいい、言葉を発するだけでいい――人生の最期まで、自分らしくあり続ける。それが、自身の求めた『カッコ良さ』なのだから。


 自分の心が望むままに、生き続けるだけ――その心を、世界に表した瞬間の事だった。


「……っ!?」


 唐突に起こった現象に、少女が目を見開いた。


 里桜に牙が触れかかった瞬間――猪の突進を遮るように藍色が広がる。その広がりは円形に縁取られ、『細胞電子』が駆け巡り――星の輝きのように、昏き世界を彩った。


「……星……?」


 それは、無限の広がりを見せる宇宙の光景。遥か彼方に存在する、星の海を覗き込む。

 温かくて、深くて、包まれるようなそれは――まるで、人の心のようだと思った。


「…………あ」


 里桜は知っていた。その深い藍色と煌めきの光景――自分を守る為に展開された、熱く迸る意思の温度を。


 近くにあるだけで、心がくすぐったくなる。傍にいるだけで、何でも出来ると思わせてくれる。それは、きっと――。




「……ハルカさんっ……!!」




 ――いいえ、間違いなく。


 剣を捧げると誓った相手から感じたそれと、全く同じものだった。




 ――アタシは、いつも通り剣を握って、いつも通り空回りをするだけだった筈なのに。


 長かった、もどかしい人生の中では――本当に一瞬に感じた、夢のような出来事。


 初めて、剣が振るえました。初めて、アタシの心が震えました。


 閉ざされていた未来が、斬り開けたような気がしました。


 結局、いつも通り負けてしまいましたけれど、その先に見えた光景は全く違っていて。


 夕焼けの中。傷だらけの姿で、手を差し出してくれた人から伝わる、真摯で真っ直ぐな心。誰もが恥ずかしいと口を噤むような言葉を、カッコ良いままで囁いてくれました。


 これは、そんな……電気が走ったような、心が痺れる想いを抱いた彼のものでした――。



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