優秀種⑤
―― ☆ ――
癒羽先輩と出会った日から、一週間程が経った。オレと里桜は、その多くの時間を共に過ごして来た。昼には中学時代の話をちらほらとしたり、里桜の宿題を手伝ったり。そして放課後には必ず、修行を兼ねた討伐を行う為に、草原区域へと出向く日々が続いている。
最初は危険度の低い研究生物と戦闘を重ね、里桜との連携の精度を上げていく。それから徐々に討伐出来る研究生物の種類を増やし、大きなものまで対応出来るようにしたかったのだが――全てが思い通りになるとは限らなかった。
「はぁああああッ!!」
里桜の振るった刃が、剣風を巻き起こす。ふわもこの四肢の付け根を連続で斬り付け、『細胞電子』で強化した膂力で吹き飛ばした。
「むにょあああああああっ!」
回転したふわもこが落下し、草地に叩き付けられる。草原上で動かなくなった屍はこれで三体目だが、まだ日が暮れ切っておらず、里桜の身体に深刻な疲弊も見受けられない。修業の日々が始まってから一週間が経ったが、成果は上々のようだ。
一体当たりに掛かる討伐時間も短くなり、里桜のペース配分や『細胞電子』の使用効率もかなり向上している。オレの支援も、彼女が必要としている時に行えていた。
(このペースなら、模擬戦闘での練習を視野に入れられる日も遠くない、かも……?)
出来れば、勝算が五割を超えた状態で戦い、確実に経験を積み重ねたい。『細胞電子』による身体能力の強化と電力供給しか出来ないオレと、手数と敏捷に特化した里桜の組み合わせでは、どうしても肉体面――地力での勝負が多くなるからだ。
「――ふぅっ。やりました、ハルカさん!」
屍に一礼をしてから、里桜がこちらに剣を振った。それに応えて手を振っていると――。
「……なっ……!?」
――突如として、夕陽の赤々とした光が翳る。その炎のような温かみを覆い隠すような巨躯が、転がるように草原へと『落下』して来た。
「グボオオオオオオッ!! バッフォオオオオオオッ!!」
「……い、イノシシ……っ!?」
それは、二階建ての一軒家程もある巨大な猪だった。全身の黒毛を逆立たせ、息を荒げて涎を垂らす。その頭に付いている、二つの血走った目が里桜の姿を捉えていた。
「……なんですか、この猪はっ!? って言うか、空の上から降って来ませんでした!?」
「う、うん……とにかく、そこら辺の奴らとは危険度が違う……! 気を付けて!!」
「言われ、なくともっ……にゃわああっ!?」
駆ける脚で草地を抉る程のパワフルな突進が、土混じりの暴風を巻き起こす。
「くっ、ふっ……むぅっ……!!」
里桜は身体の『細胞電子』を一斉に放出する。バックステップとバク宙を繰り返し、最終的に横へと大ジャンプ。その疾駆をなんとか躱した。
「くっ……取りあえず、やるしかないですよね……!」
放電現象を止めず、両手に持った剣の柄を強く握り締めた。草の上に着地した瞬間、里桜の身体が深く沈み込む――蒼白の稲妻が、猪突の数倍もの速さで地表を走った。
「ふっ……うりゃぁああああッ!!」
突進の反動で前のめりになっている巨躯を駆け上り、その背に力の限りの斬撃を放つ。
――まるで、金属を擦り合わせたように硬質な音が響いた。
「いっ……たぁっ……!!」
その体毛を微小に削っただけの一撃の代償は大きかった。里桜の両腕が悲鳴を上げ、身体を動かせない程の痺れが生まれてしまう。
――やがて、強い衝撃を受けた二振りの剣が、音を立てて瓦解した。
「ぐっ…………しまっ……!!」
『剣を持った自分』をイメージ出来なくなり、ただの少女に戻った里桜の身体から『細胞電子』の放出が止まる――身体強化による防御が失われてしまった。
「ッ!! 里桜、急いで退避するんだッ!!」
背中に携えていた予備の剣を手渡す余裕がない。オレは刹那の迷いを捨てて、里桜に『細胞電子』を供給した。
黄昏を切り裂く蒼白の電流が、硬直する剥き身の身体に輝きを与える。『許容電量』ギリギリまで『細胞電子』を与えた――これで最低限の身体強化は行えた筈だ。
「ブフッ……ブハアアアアアアッ!!」
――獣が嘶く。猪はただ背を取られただけで、誇りを穢した生物に怒り狂った。
巨躯が憤怒に身を任せ、暴れ回る。その頭部と牙の乱舞に、宙を漂う少女が翻弄された。
「がッ……きゃあああああっ!!」
牙の振り払いが、里桜の胴体を深く穿ち、女子高生の身体を軽々と吹き飛ばした。
「ぐっ、あっ……はぐぅ……あ、ああっ……!!」
「り……里桜ーッ!!」
草地を凄まじい勢いで転がる少女の身体が――やがて、完全に停止する。その白い制服に泥を付け、肌に大量の擦り傷を作った身体は、ピクリとも動かなくなった。
気を失っているのか――身体を保護するのは、小さく弾けている微かな電流のみだった。
「ブフウウウッ、ルルルルルッ……!!」
しかし、猪はなおも里桜に敵意を向け続ける。今にも突進をかまし、荒削りの牙で柔肌を引き裂こうと息巻いている。
あんな状態で重い一撃を食らったら、間違いなく致命傷になってしまう――。
「……っ!!」
――そう考えた時には、駆け出していた。『異彩』も放てない。ただ後ろで彼女の名を呼び、電力を供給する事しか出来ない人間が、鬼気迫る表情を浮かべて走る。
倒れ伏せた里桜に――壇上で傾いていく彼女の姿を重ねてしまった。
あの時のオレは、何も出来なかった。何をすれば良いのかも分からなかった。
「……でも、今のオレはッ……あの時と……!!」
「ブフルッ、ボホオオオオオオオッ!!」
――そこに、どれだけの差があると言うのだろう。
オレが近付くよりも早く、猪が啼きながら土を巻き上げた。巨体が上下に揺れながら、横たわる里桜に向かって猛進する。
オレよりも近くに居る存在が、オレよりも速く向かっている――このままでは、絶対に間に合わない――――あの時と、何も変わらない未来が訪れるだけ。
――それでも。
「……諦める訳には……怖気づいている訳には、いかないだろ!!」
初めて出会った時。立ち上がる力すら無かったオレを助けてくれた里桜。
彼女が今、危ない目に遭おうとしているのなら。
「――『正義の名の下に、あなたに助太刀を』……だよね!!」
持ちつ持たれつ。二人で力を合わせる。彼女が動けないなら、オレが彼女の代わりに動けばいい。いつも通り――最後まで諦めないだけでいい。
「……オレの思い出、一緒に守ってくれるって言ったよね……?」
それは、大切な思い出だった。自分一人だけで守ろうとした、オレと彼女の生きた証を。
――それを一緒に守ってくれると、力を貸してくれると。そう、言ってくれた女の子が居るんだ。
『わたしは――』
今共有出来ている思い出は、ほんの少しだけだ。まだ君の名前すら伝えていないのに――こんな所で、躓く訳にはいかない。
『――天ノ川はるか。ただのしがない中学二年生よ』
「はるかっ……!! オレの相棒を守る為に、力を貸してくれえええッ!!」
――バチン。身体の中で電流が弾けて、大切な何かが目覚める音がした。
鎖が熱い電流に引き千切られ、扉が開け放たれる。こっそりと覗くばかりだった隙間が大きく口を開け、奔流のように光の粒子が溢れ出す。
身体中から放出された粒子が電流を発する。連ねて、織り交ざり――オレの背後に、温かな存在感を放つ誰かが呼び出された。
『ねね、わたしの歌、どうだった!? ……へっ? き、キレイだった、か……初めて言われた感想だけど……うん、すっごく嬉しい、かな……?』
『趣味、かあ。たくさんあり過ぎて、どれがホントの趣味なのか分からないわね。だから、何かを楽しむ事が趣味……かしら?』
『えっとね、そこはこの公式を使うの……そう、さっきやった証明問題と同じパターンね。どう? 勉強の楽しさ、少しぐらいは分かって来た?』
『アナタは確かに、特徴的って言える感じの性格ではないけど……そう言うの、無個性とは言わないと思う。そもそも、個性の無い人なんて、どこにも居ないんだから』
彼女の記憶が、奔流となって身体中を駆け巡る。はにかむ微笑みに、満足そうな笑顔。してやったりと言った風な得意気な顔に、人を気遣う真剣な表情。
それらは、たくさんの思い出の中の、ほんの一握りでしかない。それでも、一つ残らず拾い集めて、忘れないように身体に刻み込む。
はるかと出会う以前の思い出は、色褪せてしまって。その鈍色で染まった光景は、今では何一つ思い出せない。
はるかとの出会いが強烈過ぎて。はるかとの出会いが色鮮やかに残っていて。
『アナタの名前を聞いた時、運命を感じたの。それこそ、出会うハズがなかった人と無理矢理出会ったような――なんて、『天ノ川』が言うのは、ちょっとヘンかしら?』
その情景をこれから共有する、オレの友達も――里桜も、守ってあげて欲しい。
「……『天星哀歌』ッ……!!」
背後に感じる存在から流れ込み、頭に浮かんだ言葉をそのまま口にする。
これは、どん底から見上げる星に捧げる歌。失って、悲しい気持ちを閉じ込めてしまうのではなく――失ってしまった彼女の正夢を見る、未練がましい男の哀歌。
「……久し振り、かな……?」
背後に目を向けてみれば、美しい漆黒に星を散りばめたようなドレスに身を包んだ、白髪の星乙女がそこに居た。『細胞電子』の引き渡しの時に使っているオレの白髪化とはまた別の力――無意識下でそう感じる。
『細胞電子』のみを使用すると、彼女の『心を内部に』感じた。それに対し、この星乙女の召喚では彼女の『身体を外部に』感じている。
目を閉じたまま空中に漂う星乙女は、記憶の中の少女よりもほんの少しだけ成長している――『傍に居られると夢見た、儚い未来』が映し出されている。
(……でも、やっぱり、そう上手くはいかないみたいだ……)
激しい電流で相互的に繋がっているから分かる――背後に立つ彼女には血が通っておらず、魂も宿っていない――誰かの力になろうとする心を持っていない、と。
ただ、悲しみに暮れる男が、幻に涙する為だけの能力。『異彩』の放ち方を知らなかったら、剣花里桜と出会わなかったら――昨日までのオレだったら、そこで終わっていた。
「……里桜を助けるッ!!」
――オレが放つ『異彩』なのだから、この熱意を注いで意思を与える。身体から『細胞電子』を追加で発し、背後の彼女に電力を供給。暗くなり始めた空に、蒼電が舞い踊る。
――想起する。その眼に映る、藍色の世界に散った星の輝きを。
光れ、瞬け。見上げた空に広がる星の海の断片は、この地表に映し出しても――。
「――『星海の大盾』ッ!!』
「ゴッ……ボファアアアアッ!?」
――決して、砕かれる事はない。
星乙女の開かれた双眸が、広がる星空を切り取ったような大盾を呼び出した。




