剣の花①
今から一六年前に当たる、二〇一〇年。オレが暮らすこの国では、資源不足や少子高齢化によって、持続する満足な未来を創り上げられなくなっていた。
状況を最高レベルで危険視した政府は、これまで取って来ていた技術の高度化の方針を逆転させ、ものの『質』よりも『量』を重視する研究に予算を投入し、試験を実施した。
「ここが、『サステナ・カレッジ』……」
現在、二〇二六年の四月六日、午後一時。期待に溢れる周囲の喧騒に、個性的とは言えない自分の声が掻き消されていく。
仰々しい大壁――近未来的で超巨大な絶壁を見上げて息を呑む。壁の頂上を見ようとするだけでも首が痛い。目的地は、この壁の向こうにあるドーム状の施設だと聞いている。
――サステナ・カレッジ。国立研究開発法人によって設立・運営されている教育機関で、輝かしい若者を『正しい未来』に導く為の場所として門戸を開いている。原則的に入学者数を制限する事はなく、志願者全員が望む学生生活を送る事が出来る。
大学と名前に付いているが、修学内容が一般的な高等学校のものに相当する『高等部』が存在している学園であって、今日はその入学日となっていた。
この場所での研究によって開発された『劣化因子』は、人・モノの品位を安定して低下させる事が出来る――らしい。詳細は公表されていないが、その能力は有益な情報として対外的に広められている程だった。
この場所に関する情報を仕入れた入学案内をパラパラと捲る。ここはかつて、学術研究特区として存在していた都市をまるまる一つ分内包していて、閉鎖的ではあるが快適な生活が約束されているという。
(内部の写真がほとんど公開されていないから、真実かどうかは分からないけど……)
入学者へのアピールの為に発行された冊子は、基本的には良い面ばかりが取り上げられている。『注意事項』として小さく記された不穏な内容と、非公開の内部に抱く疑念を晴らす事は出来ないその資料を閉じて、鞄の中に仕舞った。
再び目線を上げれば、自分と同じような状況に置かれた人たちがぞろぞろと並んでいる。まだ固さの残るブレザータイプの制服に身を包んだ男女は、白を基調としたモノトーン調に彩られている。
オレたちが一様に身体を向けているのは、『第三ゲート』と書かれた関所のような大門だった。如何にも頑丈そうに見える扉の下部には近未来的な入場口があって、その奥に見える部屋に繋がっているようだ。
現在入場口では入学者をデータ管理する為の下準備を行っているらしい。その列が進むのを、順番に並んだ人海の中で待つ事しか出来ない。
「これで、退屈な毎日とはオサラバって奴だよな……!」
列のかなり前方で、入場口の目前に迫った少年が、拳を打ち鳴らして声を上げた。
「お待たせしましたー。次の入学希望者の方はこちらへどうぞー」
「ッシャアッ!! やってやるぜ、俺は!!」
案内されている最中も鼻息を荒くしている。余程、大きな期待を抱いているのだろう。
その浮ついた心の理由は、入学案内にも書かれていた、特異な内容にほかならない。恐らく、こうして行列を作っていた多くの若者たちが『それ』だけを望んでいるのだろう――オレとは違って、内部への疑念なんて一切抱いていないのかもしれない。
ここで開発された技術が生むのは、これからの低質時代を生きる若者にとって、マイナスの面ばかりではない。『それ』は、プラスの面――炎のように燃えている彼の熱源になり得たものなのだろう。
「次の方どうぞー」
サステナ・カレッジに入学した者には、『異彩』と呼ばれる力が発現する。ある所では超能力。ある物語では魔法と語られるような非日常が、確かな事象として現れるという。
「……次の方、どうぞこちらにー」
ただ、こればかりは実際に見てみないと分からない所が多い筈だ。それなのに、やや胡散臭めなサステナ・カレッジにこれだけの入学希望者が集まるのはやはり――。
「こらっ、そこの黒髪少年! 次の方どうぞって言ってるでしょうが!!」
「うわっ!?」
――すぐ傍から聞こえた怒号で我に返る。
気付けば、オレは列の先頭に立っている。誘導係を担っていた小柄な人が、腕を組んでオレの顔を覗き込み、じれったそうに足を踏み鳴らしていた。
「貴方、ちゃんと耳付いてる!? 何度も呼んでいるのに、どうして聞こえないのよ!?」
憤慨するのは、年下の少女のようにしか見えない人だった。新入生と同じ形の制服に、蒼い模様が付いた衣服を着ている。若葉色のツインテールの毛並を逆立てて揺らし、威嚇するように犬歯を見せていた。
その気迫のせいか、髪の毛からバチバチと青白い火花が散っているように見えた。
「ご、ごめんなさい! ちょっとボーッとしていたもので……」
「むむ、こんな時に呆けているなんて――んっ? ああ、そう言う事……?」
こちらの顔を見ていたその人はまだ文句を言いたそうにしていたが、唐突にその毛並みを元に戻した。
「昨夜は緊張して眠れなかったのね。気持ちは分からないでもないわ……体調、大丈夫?」
薄手の手袋に覆われた手櫛で、逆立っていた髪を梳きながら、少女は目を細めていた。
指の間から、微かな光の粒子が舞う。それらの間に電流が走り、鋭い音を立てた。
「え、っと……? どうして、体調を……?」
何故、急に怒りの矛先を鎮めたのか。理解が出来ずに戸惑っていると、見てくれの割に貫禄のある少女が、オレの顔を指差す。
「どうして、って……寝不足でしょ、貴方? 目の下にクマがあるわよ」
オレが目元を指差すと、少女が「うん、うん」と頷く。
「悪気がないなら、執拗に怒る必要もないからね。でも、ちゃんと早く寝ないとダメよ?」
大人びた雰囲気のその人は、唇を尖らせて鼻を鳴らす。ポンポンと頭を叩かれ、心がくすぐったくなった。
「……お気遣い、ありがとうございます」
「私は良いわよ、別に。後ろの子たちはどう思うか分からないけど」
「後ろ?」
振り向くと、待望の入場口を前にしてお預けを食らっている人たちの、恨めしい視線が突き刺さった。さらに、男子生徒からは羨望のようなものすらも感じる。
「ご、ごめんなさい!」
慌てて、入場口に向かって足を動かす。その情けない様子を見て薄く笑った少女が、ゲートの中へと招き入れてくれた。