ハルカの名⑨
――気付けば、彼女と別れた時の光景が広がっていた。
オレたちが通っていた、中学校の体育館。白く煙るその場所は、時間が止まっているように見える。彼女の事を忘れないようにと、事細かに、大切に思い描いていたと思ったが――一番記憶に新しいこの場面ですらも、随分と色褪せて劣化しているように見えた。
周囲に居る、固まった学生たちの制服――それが、●●●や●●●●●ではなく、サステナ・カレッジのものにすり替わっていた。入学式から始まった密度の濃い時間が、たった数日で記憶を上塗りしているのかもしれない。
「……っ!!」
壇上に、その取り戻せない時が固着している。彼女が唐突に倒れる、その直前。
オレに向けた、その切なさを孕んだ笑みが、取り残されていた。
「……あの時、何も出来なかったな……」
星色の彼女が、最期に伸ばした手。現実では、その手が遠過ぎて掴めなかった。
心の中――あの時を切り取っているこの場所なら、きっと近寄って、引き寄せられる。
壇上に向かう。宙を歩いているような、足取りの不確かな記憶の断片を進む。
ステージ上で凍り付いたように動かない彼女は、精巧に出来た石像のようだった。オレが今居る方には目を向けず、ただ一点を見つめ続けている。
過去のオレと、過去の彼女は確かに視線を交わしていた。現在に生きるオレは――現在に生きていない彼女と、同じ時を過ごす事は出来ないのだろう。
動かない過去の彼女に手を触れると、脆く『劣化』した彼女が崩れ落ちていく。そして、その体内に内包されていた球体が現れた。それは蒼く、脈動するように電流を放っている。
温もりを持つ球体に触れ、自分の胸に押し当てた――。
「……くっ、ぐっ……!」
――抽入される異物を拒むように、身体が悲鳴を上げた。
「……だい、じょうぶ……これ、は……オレたちの――」
拒む必要はない。改めて受け入れる必要もない。
「――『ハルカ』のものだから……ッ!」
もう、既に背負ったものの筈だから。
――君が居なくなってしまったのなら、オレが……遥星吾が、君の分までその名を背負う。君が運命を感じたと言った、二人分の偶然を併せ持つ。
そう決めた。そうする事しか、彼女の為に出来る事を思い付かなかったから。
弔いの言葉でも、感謝の言葉でも表し切れない想いを、いつか言葉にする為に。
その為に、自分の力で生きたかった。彼女の親族がオレを気遣い、用意してくれた楽な道ではなく、自分の足で歩める道を選んだのだ。
今、君が生きていたのなら。涙が出る程に笑いながら『ありがとう』と言うと思う。
そんな、今を生きる『ハルカ』の姿を想像する。
そこにあるものと、そこにないもの。二つを合わせて、オレは――。
「――彼女の分まで、生き続ける……ッ!!」
胸に宿った熱意が身体中に行き渡る。細胞単位の極小な刺激が、全身を大きく震わせた。